第十話 『死闘-2』
斬撃が舞い、閃く剣先が虚空を殴る。漆黒のギアドラコートが空中を翔け、その手に握られたコスモソードが砂漠精霊の体躯を袈裟懸けに引き裂いた。
真紅の鮮血を零すその肉体は光の粒子となり、次々にこの場から姿を消失させていく。
ILO初めてのイベントにてトップ・プレイヤーに配られた、言葉通り世界に二つと無い片手剣。剣士アインハルトの象徴ともいえるその剣を振り抜き、中堅レベルの魔物である砂漠精霊を、一体残らず一撃で撃ち落とす。
闇夜を映し込んだような黒髪は、その頭に何も装備品を施していないように見えて、実際は否。そのむき出しになった頭蓋には、ゲーム内最高レベルの耐久値をもつ、ギアドラヘッドを装備している。
黒龍渓谷に出現するマギア・ドラゴンの素材で作られた、ギアドラの名を冠した防具。アインハルトはその防具で全身を包み、バグガードなる黒揚羽の模様を施された堅牢な盾を背負っている。
片手に構えられたコスモソードを両手持ちへと持ち替え、虚空を横薙ぎに翔けるアインハルトは、刹那的に地上へ着地する。そしてすぐさま虚空へと飛び込み、空中を泳ぐ砂漠精霊の体躯に、斬撃という名の凄まじい猛攻を加えんと奮闘する。
「うがぁぁぁぁ――――!!!」
アインハルトが砂漠精霊と対峙している間、獣人格闘者シグマは、辺りの地面から顔を出すモグラのようなMOBを捉え、鉄槍の爪を振りかざし、無防備に出現した円らな瞳を容赦なく抉り取る。
眼球が露出して視神経が飛び出すエフェクトが弾け、大地を埋め尽くさんと出現したモグラ型MOBは、一斉に光の粒となって儚げに消滅した。
アインハルトが砂漠精霊を一匹残らず撃ち落とし、シグマの鉄槍の爪が七十二個めの眼球を抉り取ったところで、辺りに漂う砂煙が薄くなり、徐々に消失の兆しを見せていく。
オードゥグ遺跡最難関とも呼ばれる、最大の魔物。それは、辺りを砂塵で埋め尽くす砂漠精霊や、巨躯を揺らすと同時にプレイヤーを刈り取る赤色蟻――はたまた擬態蠍などのちっぽけなものではない。
アリジゴクを模した、巨大な魔物。登場前の前奏曲として幾何かの砂漠精霊と無数のモグラMOBを出現させ、それら全てがプレイヤーの手によって片付けられるまで、悠然と穴の中で構える、所謂フィールド・ボスと呼ばれる魔物。
砂漠精霊を撃墜し、無数のモグラMOBを打倒し終えた。刹那再びの地響き、この場にいるプレイヤー総員の眼前に『地響き・中』というステータス低下メッセージが出現する。
それに合わせてアインハルトとシグマが後方へ飛び退き、その背後にてリリアンが《瞬間攻撃上昇》の詠唱を唱えた。
リリアンの持つミリオン・ロッドから紫紺の輝きが放たれ、眼前のアインハルトとシグマの体躯を妖気な雰囲気に包み込む。
「最初の一撃はお前に任せていいか?」
「分かりました。斬撃攻撃の弱点は、先端の角っぽい部分で間違いないですね」
漆黒の影が残像を揺動させ、虚空に階段を作ったような滑らかな足捌きで空中を疾走する。
一見飛翔しているようにも見えるそれは、極限まで上げられた《脚力ステータス》と《瞬発力ステータス》による跳躍なのだが、アインハルトが放つその動作に、跳躍なんて言葉は似合わない。
漆黒の少年剣士が直線に飛翔し、剣閃による一本の道筋が作られる。空を翔ける剣士は傲然と構えるアリジゴクの巨躯を軽々と飛び越え、とある一点にて降下の兆しを見せた。
「はぁぁぁぁぁぁ――――!!!」
アインハルトの声音が木霊し、コスモソードの両断攻撃がアリジゴクの頭上に炸裂する。
容赦なく打ち付けられた部位から鮮血と脳漿のエフェクトが飛び出し、先制攻撃を受けたアリジゴクの悲鳴が虚空に轟いた。
「がぁぁぁぁぁ――――!!!!」
その怯んだ隙を見逃さない。シグマの雄叫びが大気を揺るがし、攻撃的な体躯が爪を立て、未だ苦痛に呻くアリジゴクの頭蓋へと突撃する。
熊のようなシグマの体躯も、アリジゴクの巨躯の前ではちっぽけなノミのようでしかない。飛び掛かり、振り下ろされた鉄槍の爪がアリジゴクの頭蓋に炸裂し、再度脳漿と鮮血が雨のように噴出する。
見るからに痛々しいエフェクトを撒き散らし、オードゥグ遺跡の主は頭を垂れる。
アリジゴクが持つ角のような部位を忠実に再現した《顎》が横薙ぎに大地を摩耗した。
既に撤退していたアインハルトとシグマに被害は無かったが、鋭い顎が通り抜けた跡を見れば、その攻撃がもつ果てしない威力を理解することができるだろう。
戦場を装飾していたサボテンや積み石が根こそぎ破壊され、真っ新な砂の大地が顔を覗かせる。
大地を切削した顎はそのまま天を向き、土色をした巨躯を器用にくねらせ、自身が作った穴の中へと体躯全てを隠匿させた。
「ナディさん、気を付けて! 一定量のダメージを与えると、あいつは砂の中を縦横無尽に移動するようになるの。相手の動きはこっちから見えないし、しかも攻撃範囲は、一瞬だけどバカみたいに広い。ナディさんの防御力じゃあ、多分一撃で――」
エリアの叫びが終わるより先。視界が歪み、立っていられないほどの地響きがエリアに襲い掛かった。次いで出現するのは、『地響き・大』というステータス低下メッセージ。エリアの脳内に『ああ、襲われたのはあたしだったか……』という言葉が羅列された。
「でも、良かった。あたしならこいつの一撃くらい耐えられるし、何よりナディさんが無事で、良かった」
アリジゴクが行う攻撃動作の一つ《地中突き上げ》に狙われたプレイヤーは、いくら逃げても、回避行動を続けても、当たるまで攻撃の的にされてしまう。
その間、アリジゴクは無防備だ。そのためオードゥグ遺跡のアリジゴクに狙われたプレイヤーは、スタミナが持続するまで疾走し、他プレイヤーの攻撃時間を作らなければならないという、暗黙の了解がある。
「みんなー、あたしが狙われたみたい! スタミナ続くまで突っ走るから、その間に出来るだけダメージ与えてちょうだーい!」
言い終わるが早いか、エリアは砂漠地帯を疾走した。ILOでは職業ごとにスタミナ値や体力に、若干の補正がかかる。体力に関しては微々たる差だが、スタミナに関しては、その極小の差異がこの戦術ではプレイヤーの立ち直りを大きく左右させる。
スタミナが多く《持続ステータス》が高いプレイヤーか、《疲労回復スキル》をもっているプレイヤーであれば、自分を犠牲にしてスタミナ切れを起こしても、すぐに自分も回避行動を起こしたり、攻撃に回ることができる。
だがスタミナ値が少なく、そういった類のスキルを持っていないと、スタミナ切れを起こしてから立ち直るまでに若干のタイムラグが生じてしまう。
そのタイムラグが結構痛かったりする。アリジゴクの一撃は辛うじて堪えても、攻撃を受けて倒れ込んでいる状況に、さらに追撃をされることもあるのだ。
これは本当に運が悪い時に起こる逆即死コンボであり、通常のプレイ中にその不幸にぶち当たっても、復活地点にて再生した後で、仲間たちに『運が悪かったねー』などと言われ、笑って済ませられる程度のペナルティだが。今は違う。
生身の肉体がかかっている、笑い話では済まされない状況なのだ。もしこのタイミングで、その『逆即死コンボ』が発生したら。エリアの体力、防御力では到底耐え忍ぶことなどできないだろう。
さらにエリアの職業は錬金術師なため、スタミナは若干低めに設定されている。最前線で戦う職業でもないため、スタミナ系統のスキルは持たず、ステータス上昇も行っていない。悪運の塊である連撃を受けても、立ち直りの早さと回復されたスタミナによる回避で何とかなることも無いため、もしエリアが悪運の女神に微笑まれたら、その時は――。
攻撃要因であるシグマやアインハルトが狙われなかったことは僥倖だったが、こうなると、狙われる本人エリアとしては、あまり幸運だとは思えなかった。
ガンガン削られるスタミナ値を見ながら、エリアは砂漠を全力疾走する。
背後ではアインハルトが放つ斬撃の音や、シグマの雄叫び、そしてリリアンによる魔法攻撃の爆音が奏でられていた。
幾たびかアリジゴクの怯み声が木霊し、エリアの走行速度が緩むが。すぐさま立ち直るアリジゴクの気配を感じ取り、回復しかけたスタミナを酷使して広大な大地を駆け抜ける。
現実の肉体とは違い、いくら走っても足が痛くなったり、足がもつれて転ぶようなことはありえない。
エリアが一歩を踏みしめる度に、休みなく降り注がれる連撃の音が背後から木霊す。
錬金術師という職業がら、自分が魔物を倒しているという実感が湧いたことは無かった。
だが今は違う。自分が走れば走るほど、仲間たちが魔物へダメージを与える。
自分の行動は無駄では無い。必要な行動なのだ。
そう思えるだけで、エリアの闘志は湧き上がっていく。だが本人の闘志がいくら燃え盛ろうと、ゲームの中ではスタミナという概念からは抗えない。
火事場の馬鹿力や逆境などといった、都合の良いステータス上昇は存在しないのだ。
やがてエリアのスタミナ値が底をつき、硬直を余儀なくさせる。アイテムバッグから取り出した最大級の回復剤を片手に握り締め、防御態勢。エリアの走行速度と寸分違わぬ速度で追いかけていたアリジゴクの顎を視界に捉えた刹那、エリアの腹部に強烈な衝撃が走った。
尖った顎が脇腹に激突し、エリアの体躯が宙を舞う。
上下の感覚を失いながらエリアの体躯は降下の兆しを見せ、彼女のアバターは背中から砂漠地帯へとゴミのように落下した。
ごっそりと奪われた体力。エリアはすぐさま回復剤を飲み干し、一応の応急処置を済ませる。
さてここからがエリアの運試しだ。アリジゴクの興味が他に逸れる、もしくはアインハルトたちの猛攻により討伐完了するか、はたまた――倒れ込んだエリアへ最後の一撃を施さんと攻撃態勢に入るか――。
「ギュゥゥゥゥゥァァァァ――――!!!」
大気を歪曲するような鳴き声が轟き、アリジゴクの巨躯が奇妙な形に捩られる。
刹那アリジゴクはエリアのアバターから興味を背け、背後にて猛攻を加えるプレイヤーへと襲いかかる体勢に入った。
エリアはもう一つの回復剤をガブ飲みし、体力を完全に回復させる。勝った。悪運に勝った。エリアはスタミナが自然治癒するのを待ってから、エリアとは正反対の方向に向かったアリジゴクを追いかける。
錬金術師である彼女が次に行うことは、攻撃を受けて瀕死状態に陥った仲間に回復魔法をかけることだ。
攻撃を受けるのは誰だ。ヘイトが溜まっているならば、アインハルトかシグマ、もしくは大穴でリリアンか――オーディンかもしれない。四人の防御力であれば、アリジゴクの追撃程度余裕で耐えることができるだろう。最初にエリアが受けた一撃と違い、設定されたダメージや辺り判定はそこまで高められてはいないのだ。
ナディは弓兵であり、アリジゴクが向かった先にはいない。的確なクリティカル距離を保ちながら、木と鉄で作られた質素な弓矢を精密機械のように撃ち込んでいる。
あの距離なら、アリジゴクの攻撃を受けることはない。
エリアは走りながら、アリジゴクが目指す先を探し、視線を彷徨わせる。
アインハルトは通り過ぎた、リリアンも追い越した、シグマ――はたった今アリジゴクの巨躯と交錯し、跳ね飛ばされた。
巨体を揺らすアリジゴクはそんなシグマに興味を示すことも無く、砂の敷かれた大地を悠々と泳ぐ。その先には――、
「うわあぁぁぁぁぁぁ――――!」
全身甲冑姿の騎士の悲鳴。鈍色の甲冑は俊敏性ステータスを低下させる代わりに、高い防御力を持っている。だがそれは、彼が今まで戦ってきたフィールドでの話だ。
初めて戦うフィールドで、フィールドボスの一撃を受けとめるまでの耐久値は持っていなかった。
「シィィィィィザァァァァァ――――!!!!」
大巨漢の声音が木霊し、鈍色の甲冑が鋭利な顎に貫かれる。断末魔を上げることも、共に戦った仲間たちに別れを告げることも叶わず。無口な甲冑騎士シーザーのアバターは、光の粒となってオードゥグ遺跡から消滅した。
「よくも、よくもシーザーを!」
「大巨漢さん、危な――」
攻撃地点に向かって疾走していたエリアは手を伸ばし、盾を掲げた大巨漢に『危険だ!』と告げようとした。
だが一瞬早く、大巨漢の体躯はアリジゴクの顎に噛み砕かれ、血飛沫のエフェクトと共に光の粒子となって弾け飛んだ。
身に着けていた防具も、彼の象徴だった巨大な盾も、全ての存在がエリアの眼前から消失し、そこには元々何も無かったのではないかと思わせるような、静寂が広がっていた。
あっけなく奪われた生命に戸惑い、エリアは思わずその場に膠着する。
時間が止まったような錯覚が生じ、仮想空間だというのに、鼓動が速い。
「二人、とも……」
「エリア、立ち止まるな!」
その声がエリアの耳朶を打った次の瞬間、エリアの脇を黒い影が通り抜けた。
黒い疾風。そう比喩することが的確であろう風とともに、氷のように閃くコスモソードが虚空を断裁しながら突き進む。
吸い込まれるように一直線な動作で駆け抜け、マギア・ドラゴンの素材で作られたロングコートが風を受け、舞い上がる。
二人のプレイヤーを仕留め、満足げに巨躯を揺らすアリジゴク。
その背中、無防備に晒された土色の背中に向かって、アインハルトの矮躯が突進する。
コスモソードの剣先が閃き、宇宙空間を生み出されたような錯覚が弾け飛ぶ。
濃紺色の銀河が甲殻を裂き、背中に纏った殻がぶちまけられた。
次いで体液と血液が噴出するエフェクトが弾け、心を抉るような苦痛の断末魔が大気を劈いた。
断末魔が終わるとともに、アリジゴクの巨躯を構成していた光の粒子が弾け飛び、その存在は音も無く消失する。
残ったのは、勝者に贈られる数多の栄光――アリジゴクを含め取り巻きの砂漠精霊や、名もなきMOBたちが遺した素材のみ。共に戦った二人の戦士たちの遺体はもちろん、仇であるアリジゴクの死骸さえ、残らない。
アイテムや防具がドロップすることもなく、最初からそんな人間は存在していなかったとでもいうように、静寂しきった砂地が風に吹かれているだけだった。




