胎動する悪
続きです。どうぞ!
第四章~胎動する悪~
1
どれくらいほうけていたのだろう。雨は既に上がっている。
そこらに転がる骸を乗り越え、俺は歩き出す。先に行った土方さんと斉藤さんを追いかけなければ。
歩みは、重い。
殺すつもりなど、毛頭なかった。手足の関節でも外して無力化し、奉行所にしょっぴいてやるつもりだったのに。あの野郎。勝手に死にやがって。それに、あの言葉・・・。
俺は自分で殺したわけではないにせよ、自分が深く関わって死んでいった賊の男の最期を忘れられないまま、新選組の詰所を目指す。
詰所まではすぐのはずだった。いつもであれば十分もかからない道のりだ。俺たちが戦った場所は、見回りの最後の路地。あとは突き当りまで進み、角を曲がるだけだ。
しかし、俺は道の途中で歩みを止めた。
先程から聞こえている鐘楼の音と、男が残した言葉から、起こっていることはわかっていた。
俯いていた顔を上げる。
空が、朱い。
近くで湧き上がる炎。通りを駆けていく人々。
やはり。燃えているか。
俺はそれでも走ることはせず、ゆっくりとまた歩み始めた。
しかし、木が爆ぜる音や人々の喧騒の中に、ぶつかり合う金属音を聞いた途端、俺は我に返った。
歩いている場合じゃねぇ。落ち込んでる場合じゃねぇんだ。
俺は集まっていたやじうまに叫びながら走り出す。
退け!新選組だ!道を開けろ!
深夜に差し掛かっているにもかかわらず、この時代のやじうまときたら、わらわらと数が多い。
なんとか野次馬を押しのけ、俺は燃えさかる詰所へ突入する。
詰所の入口には大きな門があり、それを越えると、少し広い庭のような場所に出る。その庭を囲むように、宿舎や道場、会議所なんかが建っていたのだが、今は庭以外の全てが燃えている。いや、庭にはやしている木々までも燃えているから、庭すら燃えさかる豪華の真っ只中だ。
そこで、隊士たちが戦っていた。
賊の数は、見えているだけでも三十はいる。それに対して隊士の数は圧倒的に少ない。奇襲にあって、少なからずその数を減らされたのか・・・。
俺はそこでハッとする。
燃える、あれは剣術道場の中で、近藤さんと、沖田が、二人の剣客と切り結んでいる。相手の背丈はほぼ同じ、一人は近藤さんよりは小さいが、それでもまだ大きい野郎で、沖田と切り結んでいるやつも起きたよりでかい。
一合、二合、三合。4合目で切り結び、近藤さんは鍔迫り合いの形から頭突きを食らわせた。相手がひるんだところへすかさず中段への前蹴り。豪快に吹っ飛んだ相手に追い討ちをかけるべく近藤さんは駆ける。
そして沖田。彼は力では相手に劣ると判断したのか、襲い来る猛攻を躱すことに徹している。近藤さんの相手の獲物はオーソドックスな日本刀だったのだが、沖田さんの相手は違う。
刃渡り一米ほどあるだろうか、柄の長い、大鎌だ。黒装束にフードを被っていて、まるで死神を具現化したような野郎だ。
それだけの大物を振り回しているにもかかわらず、そいつの動きは速かった。鎌の攻撃がよけられたかと思えば、すかさず武器をかえして柄の後ろの方、刀であれば柄頭に当たるところでの打突を繰り出す。
沖田はその打突を左の手の甲であさっての方へ弾き、後ろへ飛び退いて距離をとった。
ちらりと後方を確認し、炎が間近に迫っていることを確認する。そのまま目を相手に戻し、しかと見据えたまま、構えを解く。左手をだらんと下げ、右に持った刀を肩において言う。
「へぇ。やるじゃぁねえの。そんな大物振り回してよぅ」
これは彼なりの挑発と陽動だ。相手の動揺を誘い、何か少しでも情報を引き出そうとする。と、そこで、門の付近でそれを見ていた俺の存在に気づき、にやりと口元を歪めた。
「あーあぁ。やめだやめだァ。殺しちまっちゃあ話が聞けねえってんで、土方さんに止められてたけど、おれぁ今決めたぜ。ここが、おめぇの死に場所だぁ」
そう言い放つと、再び両の剣の切先を相手に向けた、前傾姿勢の構えを取る。殺るつもりだ。
「ここで一つ、てめぇの命、花と散らしなぁ」
そう言い放つ目は、燃え盛る炎のそれよりも、はるかに紅く染まっていた。
と、そんな光景に目を取られていた俺の足元に、一人の隊士が吹き飛ばされてきた。
おい!大丈夫か?
俺は彼を抱え尋ねる。
「あぁ。ユウさんですか。不覚を・・・とりました・・・」
彼は新選組詰所駐屯隊士筆頭の、山南敬助だ。普段は物静かで知的な優男ではあるが、刀を持つと土方さんや斉藤さんと肩を並べるほどの実力者であるはずなのだが。
「いけま・・・せんねぇ。少し、稽古を・・・怠りましたか・・・」
苦しそうにしかしそれでも気丈に俺に話しかける。
もういい!それ以上喋るな!
見ると、大怪我や致命傷はないものの、体中に刀傷や打撲の跡、それに焼けた跡まである。重傷に変わりはない。
「彼は・・・強いですよ・・・っ。どうか、お気を付けて・・・」
俺はそれを聞いて、山南さんが飛ばされてきた方を見やる。
そこには少年が、そう、まだ年端もいかないような少年が、身の丈ほどの大剣を携えて俺たちを見下ろし立っていた。
山南さんは苦しそうに呻いている。
俺は山南さんをゆっくり地面に寝かせ、少年と対峙して構えた。
少年も、構えを取る。刀身諸刃の大剣を、体の中央に左足を少し引いた、正眼の構えだ。
てめぇ。何もんだ。喧嘩屋にゃぁ見えねぇぜ。
俺はできるだけ低い声で問う。
少年は無言。
「っ・・・彼らは・・・」
山南さんが苦しそうに体を起こそうとする。
山南さん!あんたはそこで少し休んでてくれ。それと、俺に敬語は、いらねぇぜ!
そう言うと同時、俺は走り出す。
身を低く、地を這うように風を切って走り込み、少年の懐、その襟首を狙う。
殺す気はない。ただ、無力化して制圧し、情報を引き出してやろうと思っていた。
しかし、少年は速かった。
俺の攻撃を飛び退いて躱し、その反動で今度は俺の中段を狙ったおお振りの剣を繰り出してきた。
一瞬の躊躇も遅延もなく、俺は前に踏み込み、刃の攻撃圏内から外れ、更には少年の懐に潜り込んだ。
悪いな。
高校時代、俺が得意としていた、中段への突きから、上段への回し蹴りという二連擊を見舞う。
それでも少年は、一発目の中段突きこそまともにくらったものの、即座に剣から片手を手放し、続いた蹴りを防ぐ。
みしっという骨の軋む音を響かせて、少年は距離をとった。その左手は折れてしまったか、だらんと下げられている。あれではもう、大剣は振るえまい。
さぁ、どうする。おとなしく縄に付いてくれんなら、これ以上はナシだが?
俺は遥かな高みから物を言うような態度をとる。
しかし直後、少年は大剣を捨て、背中に隠していた小刀を抜いて、右手一本で飛び込んできた。どうやっても降伏ってことはないらしい。
だがそんな攻撃も、わかっていたなら問題はない。俺は襲い来る右の小刀を片手で制し、頭突きを食らわせようとしてハッとなった。
っ!毒かっ!
気づいた直後俺の体は反応する。飛び退いて避けたわけではない。
膝をかがめ、少年を抱きしめるように引き寄せた。
少年の吐いた毒霧は、俺の顔を掠め、後方に撒き散らされた。
そのままの体制で少年の傷ついた左手をひねり上げ、背中に回して足を払い、うつ伏せに倒して制圧。刀を持った右手は、俺の右足が押しつぶしている。
っつ。
少年はしばらくじたばたと暴れたが、やがて観念したのか、おとなしくなった。
そこまでして、やっと俺は視線を周囲に戻す。
戦はほぼ終結していいて、そこらには、首を落とされたもの、胴を断ち割られたもの、そんな無残な骸が転がっていた。その中には少なからず空色の羽織を着た者たちの姿もあり、俺は奥歯を噛み締めた。
道場は既に焼け落ちている。二人は大丈夫だろうか。
とそこに、敵を片付けた斉藤さんが走ってきた。
「片付けた、か」
あれだけの敵を斬っていたにもかかわらず、その息は少しも乱れていない。なんて人だ。
「そいつは?」
斉藤さんが問う。
あぁ。山南さんがやられてさ、代わりに俺が。
その言葉に斉藤さんは少し目を見開き、傍らに倒れている山南さんに駆け寄っていく。
「大事ないか」
「あ、あぁ。一くん・・・。少し、油断しました・・・」
そう言ってやはり微笑む山南さんの顔は、すぐに苦痛に歪んだ。
「すぐに治療する。しばし待て」
そう言って斉藤さんは、近づいてきた土方さんを見やる。
「山南さん・・・。チッ。いってぇどこのどいつだ。こんなことしやがるなぁ」
山南さんは既に気を失っている。
「今は」
斉藤さんは短く言った。
「そうだな。全員聞け!俺たちは退く!第二詰所へ向かえ!」
それを聞いた生き残った隊士たちは、傷ついたものは比較的傷の浅いものに助けられつつ、なんとか歩き出し、詰所をあとにした。
「俺もあいつらと行く。斉藤、殿は任せるぞ」
土方さんは早口で言い切ると、羽織を翻して隊士たちを追う。
「ユウ。君も行くんだ。あとは俺に任せておけ」
未だ焼け続ける詰所であった建物にその鋭い瞳を向けながら、俺に言った。
でも、斉藤さん。この少年は・・・。
俺は未だ足元に押さえつけたままの少年を見る。先ほどおとなしくなってから、ピクリとも動いていない。本当に観念したのだろうか。
「ユウ。彼はとうに死んでいる。離してやれ」
えっ。
俺は驚愕して、慌てて少年を抱き起こす。
その顔は、苦悶に歪み、目を見開いたまま、絶命していた。
なん・・・で・・・。
俺はあまりの恐怖に少年を突き放し、後ずさった。
俺に制圧された瞬間に、死ぬしかないと選択したのか。先程の毒霧に用いた毒を今度は飲み込むかしたのだろう。自殺である。
あ・・・ぁ・・・。
俺は何もできずにその場に崩れ落ちた。
何でだ。なんで死ぬなんてことがそんな簡単にできるんだ・・・。
呆ける俺の姿を一瞥して、視線を燃え盛る炎に戻しながら、斉藤さんが語りかける。
「此度の刺客たち、皆並々ならぬ殺気の持ち主であった。おそらくは喧嘩屋などではないだろう。路地で遭遇した者たちもまた同様にだ。その点は君も気づいているところだろう。おそらく、君は敵の正体も検討はついているのだろう。そうであるならば、その少年の自害は理解できないわけではなかろう。君は未来から来たと言っていたが、未来では人が死なないわけでもあるまい。あるいは君の身近にも御仏のもとに帰られた者たちもおるやもしれぬ。そうであるならば、君はなぜ、彼の死にそれほどまでに動揺しておるのだ」
淡々と、それでも温度を宿さず、その声は俺の耳に響いた。
人が死んでいるんだぞ。目の前で。俺がその最後の決め手になっているんだぞ。平気でいられるわけがあるか。なんで。なんでだ。俺は困惑する。
じゃあ斉藤さんは、人を切ることに何の感情ももたねぇってのか。
俺は、頭の中に渦巻く数え切れない感情や思考をまとめ切れないまま、震えた声で聞いた。
「そうだ。斬らねば斬られる。それはつまり、殺さねば殺されるということだ。俺はまだ死ぬわけにはいかん。なれば、生きるために降りかかる火の粉を払うまでのことだ」
やはり冷たい、氷の刃のような声だ。その声は炎の音の中でも確かに響き、俺の心に刺さった。だが、先程と違うところもあった。それは、その言葉には、確かな信念、斉藤さんの中で、彼を動かし、燃えている、熱い魂のようなものが感じられた。
その言葉を俺は理解できないわけではなかった。生きる目的がある。そのために、死ぬわけにはいかない。
でも、だからって。
そして、俺が更に斉藤さんに問を続けようとした時だ。
派手な轟音を立てて、宿舎であった建物が崩れた。
それに続いて、道場も、会議場も崩れ落ちる。
その音と光景に、俺のほうけていた頭はなんとか覚醒した。
今は、そんな時ではない。
斉藤さんがここにまだ留まっているのも、土方さんが休む間もなく隊士たちを逃がしたのも、理由があったのだ。
一際大きい音が鳴り響く。その音がなると同時かコンマ以下の後に、甲高い金属音が続く。
斉藤さんが抜刀して、飛来した鉛玉を斬った。
「チッ。やるなぁ。さすがは斎藤一といったところか」
ひどいノイズの混じったようなガラガラの声が響き、炎の中から一人の男が姿を現す。
身の丈は百七十センチほど。華奢なからだに、黒い、あれはスーツか、タキシードか。その上に赤色の羽織を纏い、両の手には拳銃。詳しくはないが、あれはおそらく、リボルバー式とかいうやつだ。腰には刀がふた振り。右の目には眼帯をしていて、それを隠すように髪を片側だけ下ろしている。見るからにこの時代に不釣合な姿で、異様である。
「貴様は・・・」
斉藤さんがつぶやくと同時、刀を納めて構えなおす。それを見て、男は不敵に口元を歪め、二丁の拳銃を構える。
俺も黙って見ていたわけではなく、しかと敵を見据え、構えを取る。
俺の攻撃の射程に入るまでは五歩は確実にかかる。先程飛来した鉛玉は、見えていたとは言え、あの速度、躱せるか・・・。
炎をまとった熱風が俺たちと男の間を吹き抜ける。
それを合図に、斉藤さんが走り出す。
並の人間には見えないほどの足運びで男に迫る。
それでも男は発砲することなく、襲い来る刃と俺の拳を、静かに見比べていた・・・。
2
同じ頃、料亭笠川。京の街の中央部ではなく、少し外れた、隠れ家的料亭だが、ここは新選組の第二詰所にもなっている。正式な許可はとっていないらしいが。
女将さん!俺だ!土方だ!すまねぇ、けが人がいるんだ、しばらく宿を貸してくれ!
道中、不気味なほどに何もなく、第二詰所へとたどり着いた一行は、笠川の前に座り込んでいた。俺はもう一度扉を叩く。
女将さん!
二度目のノックのすぐあと、扉がスッと開く。
「はいはい。待ってましたよ土方さん」
そう言いながら、気の良さそうな優しい声の女性が姿を見せた。彼女はこの料亭笠川の女将、お松。いつもは気立ての良い、物静かな女性であるが、時と場合によっては、世の並の男どもを軽々と凌ぐ気迫を見せる人だ。それにしても、待っていたとはどういうことだろうか。
「あんたたちの詰所が焼けているって聞いてね。ここに来ることはわかっていたんだよ。だから、少し用意をしていてね。ほら、入っておくれ。傷の重いものから順に手当していくよ」
そう言うと、女将自ら隊士たちに肩を貸し、料亭内へと運び込んでいく。
俺は最後まで扉の外にいて、注意深く周囲に目を向けていた。それから、全員が中に入ったのを確認して、自分も中に入る。
すまねぇお松さん。何者かしらねぇが、俺たちの詰所が・・・
「いいんだよ。わかっているさね。ささ、あんたも手伝ってくんな」
思うところは数多くあるが、それも今は飲み込んで、俺は二階へと上がる。今は傷を癒さねば。
準備していたというだけはあって、見事な手際で治療にあたっていく。針も湯も布も、十分に用意されている。いつもながら、お松には脅かされる。
「それじゃ、あたしらは夕餉の支度をしてくるよ」
あぁ、すまねぇ。
隊士たちの治療を終えたお松が、いいんだよと言い残して、女中達を連れて部屋を出ていく。
一転して静かになった部屋には、傷ついた隊士たちの苦しげに呻く声が、たまに響くのみであった。
そんな中、薄暗い闇に身を預けて、俺は考える。
あれだけの殺気、そして一人一人の技量。統率のとれた襲撃、ユウは知らないことではあるが、俺たちが詰所についたとき、斉藤や、隊士の中でも手練連中には、数人がかりで刺客がついていた。圧倒的に戦力差があるにもかかわらず、一人ずつ確実に仕留めていく算段だったのだろう。
(あいつら、一体何もんだ・・・)
逆恨みを買うようなことは山ほどやってきたが、あれほどの者たちから恨みを買うようなことは、身に覚えがない。近藤さんは何か知っているんだろうか・・・。
いや。近藤さんが俺に秘密を作るなんてこたぁねぇはずだ。
「土方さん、ちょっといいか」
頭がパンクしそうなほど考え込んでいた俺の耳に、仲間の声が聞こえる。
見ると、正面に男が正座している。真面目な性格がそのまま顔に出た、優しい風貌の男、永倉新八だ。
「実は、あんたたちが見回りに出てしばらくしたあと、詰所に火矢が打ち込まれて、それに文がくくりつけてあったんだ。一応持ってきたんだ、見てくれ」
そう言うと新八は懐から綺麗にたたまれた一枚の紙を取り出した。
俺はそれを受け取ると、焦る気持ちのまま、乱暴に紙を広げる。
こいつぁ・・・。
そこには、見慣れた文字で一つの句が書かれていた。
おもしろき、こともなき世を、おもしろく
この句と文字で、敵の黒幕は確定した・・・
野郎・・・。
俺は小さくつぶやき、次の行動を思案するため、瞳を閉じる。
俺の対面に座ったままの新八は、静かに、俺の言葉を待っていた・・・。
3
俺の拳と斉藤さんの剣は、不敵に微笑んだ男の首の皮一枚のところで止まっていた。いや、止められていた。
斉藤さんの必殺の居合は、男の首に薄く赤い線を作るだけにとどまり、俺の拳は、男の中段をしかと捉えたにもかかわらず、その身体にも、内部にも、響いた確かな感触はなかった。まるで、表面に何か不可視の鎧をまとっているかのように、攻撃は傷を与えることはできなかった。
「貴様・・・」
斉藤さんは飛び退いて刀をしまい、再び居合の構えを取る。
それに続いて俺も飛び退き、構える。しかし、今度は飛び込む気はなく、敵の周囲、更には詰所全体に渡るまで、注意を巡らす。
その時だ。
俺が気づくか気づかないかの間に、斉藤さんの後方から、膨大な量の熱風が吹き荒れる。
すぐさま反転して、飛来した熱風に向けて短くも覇気のこもった気合とともに、斉藤さんは抜刀する。
「ハッ!!」
抜刀の衝撃で、空気が激震する。続いて響く小さい金属音の数々。
飛来した熱風を安安と吹き飛ばし、隠れていた無数の鉄針をへし折った。
それを見届けるのを待たせぬかのように、今度は俺の後方から刃が飛来する。正確に俺の頭部を狙った攻撃は、しかし俺に当たることはない。
身を反転して攻撃を躱し、回した手で飛来した物を止める。
円形の鉄板で、真ん中に穴が空いている以外は、薄く研ぎ澄まされた、殺傷力の高い飛び道具、円月輪だ。これは。忍び道具か。
雲に隠されていた月が姿を現し、俺を攻撃した人間を怪しく照らす。
身の丈は百六十センチほど。痩身ではあるが、その身には色濃い殺気をまとっている。
「おせぇじゃねぇか。小太郎、剛樹」
小太郎と呼ばれた痩身の男は、無言のままに飛び出してきた。言葉は必要ない。ただ、戦の一時あるのみ。そういう気迫が感じ取られた。
横目に映る斉藤さんには、また無数の鉄針が降り注ぐ。鉄針を飛ばしている人間の姿はここからではよく見えないが、かなりの大男には間違いない。
と、そこで俺は相手に向き直る。
ちょうど、俺に円月輪を投げつける動作に入ったところだった。
短い初動で武器を投げると、何か口元でつぶやき、手をパチンと打ち鳴らす。
とたんに一つだった円月輪が、俺の視界を埋め尽くそほどに増殖する。
こいつぁ!
俺はその全てが本物の殺傷力を持っていることを即座に悟り、身を低くして大きく横へ飛ぶ。
そのまま、小太郎へと飛び込んでいく。
迷いはない。
飛来する円月輪や手裏剣も、腕を組んでこちらを見るマントの男も、あれも恐らく忍術であろう、爆風を巻き起こす男も、それに立ち向かう斉藤さんの姿も。全て見えている。俺の感覚は冴え渡っている。
恐怖はない。不安もない。
俺はもう気づいてしまっていた。
もしここが夢の中なら、最初に俺があの刺客を助けられなかった時に、目覚めているはずで、それは二度目に少年を助けられなかった時も同じだ。
であるなら、ここは俺の思いどうりに行く世界ではない。
どういうわけか、俺はこの時代にトリップして来てしまったらしい。
ならばやることは一つだ。
帰るつもりはない。ただ、なぜ俺がここに来ることになったのか。それには必ず理由があるはずで。ならば俺はそれを見つけるまでだ。
そのために生きる。たとえどんな苦難が待ち受けていようと、どれだけの凶刃に襲われようと、俺は生きる。生き抜いてやる。
死闘の最中だというのに、俺の心はこれまでにないほど高揚していた。
生まれて初めて生きる意味を見つけた。命を賭ける大義を見つけたんだ。これほど嬉しいことがほかにあるか。
一度顔を見せた月はまた隠れてしまっているが、俺の瞳はそれでも、今までになく明瞭に世界を映していた・・・。
いかがでしたでしょうか。
次章から、話も少しずつ展開していきますので、
お楽しみに!