ダンジョンのボス
冒険者の痕跡を発見してから3日ほどで、冒険者は慌ただしく地上へと逃げ帰ったが、その後も、度々ダンジョンにやって来てはバタバタと歩き回り、舞花の生活を脅かしていた。
彼らはダンジョンの主に勝てるほどの力はないらしく、主に挑んでは、毎回毎回恐ろしい叫び声を上げながら逃亡していく。はっきり言って舞花にとってはいい迷惑だったが、ダンジョンの主に自分ならそう苦戦はしないだろうと予想できるのが心苦しい。
舞花がダンジョンの主を倒してしまえば、彼らがあれだけ傷だらけになって戦う必要はないのだ。
勇者祭りヤッホーイとお祭り騒ぎをしている町の人たちの暢気さをまったく知らない舞花は、マンガ世界みたいに魔王が原因で苦しんでいる人がいることを想像し、ひどく落ち込んだ気持ちになった。
人との会話恐さに、舞花は倒せるはずの魔物を倒さずにいるのだから、冒険者たちの必死な声を聞かされるほど、憂鬱さも増していく。
やけに豪華になった墓に手を合わせ、舞花は静かに考え込んでいた。
冒険者たちはお人よしなのか迷信深いタチなのか、お墓の前を通るたびに、供え物やら飾りやらを増やしてくれている。そのおかげで、舞花も入れ違いで足音を聞くことができなくても、冒険者の侵入を察知できたが、繰り返されるやりとりは、冒険者と文通でもしている気分を舞花にもたらした。
舞花が呪いの文字を書き足した回には、冒険者はその下に安らぎを祈る言葉のようなものを書きつづっていた。
それを発見した時の舞花の手には、冒険者から隠れている間に暇つぶしで作った粘土製の片腕。関節の曲がりから爪の先まで作りこんだこだわりの逸品があった。
そんなものを置いておいたら次に来た冒険者がお祓いでも始めてしまうかもしれないな、と思いつつも折角の自信作だ。墓の横に地面から生えて見えるよう、綺麗に埋めておくのが当然だろう。
そして数日後には再び、冒険者の反応。
粘土製の腕に引っかけられた白い花の冠に、ちょっとドキッとしてしまった事実は心の奥にしまい込み、舞花は土の手を作り替え、花冠をぐっと憎らしげに握りしめさせておいた。今のところ、それから後の反応はまだない。
とはいえ、問題なのは偽墓での交流ではない。
ダンジョンのボスに戦いを挑むか、これからもダンジョンの訪問者から隠れ続けるかだ。
「私に力があるのなら……」
自分の手を見つめながら、演技がかった大げさな仕草でポーズを取る舞花。
冒険者のことも心配だが、実のところダンジョンのマッピングが最後まで終わらないのが、マップを見るたびに気になっていたのもある。
レベルもあまり上がらなくなって来ていて、そろそろボスの倒し時ではあったのだ。
これまで大きな困難にもぶつかっていない舞花は、この時はっきりと油断していた。
調子に乗っていた部分もあっただろう。
冒険者は舞花の存在には気づかず、魔物も簡単に倒せて、倒した後もグロテスクではない。
道具屋は見た目きぐるみの可愛いクマで、食べ物にも寝る場所にも困らない。
都合のいいことばかりの異世界で、舞花が困らされたのは、ダンジョンを訪問してくる冒険者くらいのものだった。
「この先だな」
扉を前に立ち止まり、舞花はボス退治後には、もしかしたら離れなくてはならないかもしれないダンジョンに思いをはせる。
短くも充実した日々だった。
魔物を倒して手に入れたコインで、ドミノ倒しに熱中したあの日。
ダンジョンの壁で、ドラゴンや牛を描く壁画に挑戦したあの日。
地面から掘り出した粘土で、土器っぽいものを量産したあの日。
いつも、舞花の隣には壁がいてくれた。
時にどっしりとした逞しい壁に寄りかかり、粘土をこねた。
時にがっしりとした分厚い壁に隠れ、冒険者をやり過ごした。
その壁とも、もうすぐ別れることになるかもしれない。
寂しさを覚えながら、舞花は扉を開いた。
「くくっ。冒険者め、懲りずにまたやってきおったか!!」
そして扉を閉じた。
ふうと息をつき、舞花は地下5階を目指して歩き出す。
ダンジョンのボスが人型でないと、一体どうして思い込めていたのか。
「このダンジョンとは、長い付き合いになりそうだな」
舞花はしみじみと呟いた。
まだレベルは上がる余地があるだろう。
冒険者が苦戦していたダンジョンのボスに挑むには、まだレベルが足りていない気もしてきた。
戦う前に素早い逃亡に、扉の奥からは舞花の臆病さをあざけるような声がうっすらと聞こえてくるが、舞花は穏やかな顔でやり過ごす。
冒険者たちは傷だらけになりながらも逃亡できていた。
つまり、扉のこちらまで奴は追って来れないはずだ。
地下5階のホームへ戻った舞花は、道具屋ではちみつとパンを買って、クマにそれを差し出した。
すでに舞花の餌付け行動に慣れていたクマは、ためらうことなくムキャムキャとパンを食べる。
クマのもっさりした動きに癒されながら、舞花は考えた。
「ダンジョンに来てまだ1ヶ月も経ってないし、そんな焦ることないじゃん」
自分なりに納得すると、いつも通り食料を買い込み、いそいそと隠れ家に移動する。
最近の粘土細工は少し複雑にできるようになってきていたのだ。
アニメキャラのフィギュアに挑戦できる日も遠くないだろう。
フィギュアをコンプリートしたら、ボスに再挑戦しよう。
舞花はそう決心し、長い旅路への二歩目を踏み出すのだった。