希望は絶望への片道切符だったんですが
お代を、払え?
お兄さんが何を言っているのか、僕はとっさには理解できなかった。
お代って言われても、僕は先ほど500円を払っている。それで交換するように、さっきの薬をもらったのだと思ったんだけど。
「500万て、500円のことじゃないんですか?」
「アホか。500万言うたら500万円のことやろが。だれがあんな高い薬、500円ぽっちで売るかいな」
「でも、他の人にはそんなこと言ってなかったじゃないですか」
「あんなあ、おのれに売ったんは、【エリキシル】っちゅう貴重な霊薬なんや。他のチンケなオモチャと一緒にしていいもんじゃないんやで。それに、あてがわざわざカバンから取り出すところを見てたやろ。なんでそれが他と同じような値段や思ったんか言うてみいや。あ?」
お兄さんは前のめりになって、睨みつけてくる。どうすれば、どうすればいいのかわからない。
「ぼ、僕が500万円なんて大金を持ってるわけないだろ?お兄さんこそ、なんで僕にそんな高いものを売ったんだよ」
そうだよ。僕は見た目からして、ただの中学生。家もごく普通だし、両親ともにギャンブルをするような人間じゃない。お金持ちのようには絶対見えるはずがないんだ。どう見たって僕に、500万円なんて大金を払えるはずがない。
どうしたらいいのか迷っていると、お兄さんは手を伸ばして、僕が握りっぱなしだった、注意書きが書かれた紙をつかんだ。
大人しく手を離すと、お兄さんはその紙をじっくり見て、注意書きが書かれた面を裏返す。そして、一部分を指さしてこちらに向けた。
それをのぞき込むと、こう書いてあった。
『私(購入者)は、販売者の提示した適正な値段で本製品を購入しました。この契約は、本製品を使用することで締結されることを了承します』
「う、裏面に契約書があるなんて、聞いてないよ!」
思ったことをそのまま口に出すと、お兄さんに叩かれた。
「あてはよく読め言うたやろ。よく読んでからなら、飲まずに返すこともできたはずや。それをしなかったのは自分がアホやったからや。聞いてないんは自分の責任やで」
「で、でも僕は500万円なんて払えないからね。僕だって、払えるなら払いたいけど、今持ってるもの全部だしても、それに届くわけないよ」
無理なものは無理なんだから、お兄さんには諦めてもらいたい。
でも、僕が薬を買って、しかももう飲んでしまったのも事実だ。
両親に相談して、お金を立て替えてもらおうか。
でも、修学旅行に行って500万円もするものを買っちゃったからお金出してなんて言ったら、ものすごく怒られることは間違いないだろう。もしすごく怒って、自分で払えなんて言われたら、僕はほんとにどうしようもなくなってしまう。
親から見捨てられるなんて、そんなことはないはずなのに、思考はどんどん悪い方へ向かって行ってしまう。
大丈夫かな?それとも大丈夫じゃない?ダメ?いける?でも、まさか、でも、でも。
そうやって頭を抱えていると、お兄さんが僕に顔を寄せてきた。
「まあ確かに、金持ってなさそうな自分に高いもん売ったんはあてや。せやから、ちょいとサービスしたる」
サービス?
「値段をオマケしてくれるの?」
「んなわけあるか!アホ。サービスちゅうんは、二つある。ひとつは、支払いはすぐでなくてええ。お金が用意できるまで、ゆっくり待ってやるわ」
それなら、なんとかなるかも。修学旅行終わってから……だと遅いから、今から家に電話して、事情を話して、お金を用意してもらって……。
「で、もうひとつのほうはやな」
今後のことを考えていると、お兄さんがさらに言葉をつづけた。
「金を稼げるところを紹介したる。なあに、自分やったら、500万なんてあっちゅう間や。そこで稼いで戻ってきたらええ。ああ、あてはなんて親切なんやろな」
「お金を稼げるところって、まさかマグロ漁船?」
「自分変なこと知っとるな。せやけど違うで。まあ遠い所っちゅう部分は合っとるが」
「まさか海外!?強制労働施設に売られるんだ!」
「せやからちゃうわ。労働するかしないかは自分次第や。せやけど働かんと、一生戻ってこれんで」
「じゃあ人に言えないようなところだ。僕みたいなそれなりにかわいい少年を欲しがる人たちがたくさんいるところで働かされるんだ。そして僕は、お金持ちでキレイでやさしい人に指名されて、優雅な生活を送ることになるんだー」
「自分、想像力たくましいな。しかもなに都合のいい展開にしとるんや。あと自分のことそれなりにかわいいて、謙虚なフリして自慢しとるやないか。アホか。自分ほんまもんのアホか」
もちろん現実逃避の結果です。そんな都合のいいことが、自分でも起こるわけないとわかってる。でも想像するくらいいいじゃないですか。
そんなことを考えていると、お兄さんは一本のくたびれた紐を取り出して、僕を囲むような輪になるようにそれを置いた。
「ほんなら、せいぜい気張って稼いできいや。楽しみにしとるで」
「え?今から?僕、修学旅行の途中なんだけど」
「そうなん?それは大変やな。じゃあ、そっちもなんとかしといたる。こんなサービス満点の商人さんなんて、そうそう居らへんで」
そう言うとお兄さんは、懐から、動物の細長い爪のようなものを取り出した。
それを僕の足元、紐で囲まれた内側へ放りながら、呪文を唱える。
「『トンネルート』、【アクリック】!」
「ちょっと待って、いったい何を……」
爪が、紐で囲まれた床に落ちた瞬間、そこに真っ暗な穴が開いた。
「なにこれーーー!」
足元の地面がなくなれば、あとは重力にしたがって落ちるだけ。
僕が伸ばした手はむなしく空をきり、穴はあっという間に小さくなって、視界は闇に閉ざされた。
――――――
「あー、もしもし。ムーちゃん?お兄ちゃんやで。元気しとるか?……いやいやいやいや、今日はそんな事やないねん。あんときの事はホンマ悪かった思うとる、堪忍してや。……当たり前やがな。……もちろんもちろん。……わかっとる。でな、ちょっとおもろい話があんねんけど、聞いてかへん?」
商人のお兄さんが旧式のケータイで電話をしているのが、アカネには見えた。
どうやら、中島はもうどこかへ行ってしまったらしい。
お兄さんに聞こうかとも思ったが、電話なのにペコペコ拝んだり、手をぶんぶん振ったりして忙しそうだ。
「アカネちゃん、どうしたの?」
「アカネっち、トイレでも行きたいの?」
アカネは、後ろから声をかけてきた親友二人を振り返る。
ちょうどすぐ近くにトイレがある。ミチコはそれを見て言ったのだろう。
「別になんでもないわ。それより、もうすぐ集合時間よ。今のうちにトイレも済ませておきましょ。特にミチコ。バスに乗ったら簡単にはトイレ行けなくなるんだからね。さっきたくさんジュース飲んでたから、しっかり出しておかないとダメよ」
「はーい、お母さん」
「ちょっと、誰がお母さんよ!」
「わあ、お母さん怒っちゃやだー」
「コラ、ミチコ。やめてって言ってるでしょ」
じゃれ合う二人を、エリイが笑顔で見ていた。
その奥で、通話を終えた商人のお兄さんが、広げた荷物をしまい始めた。
慣れているのか、広げた布をたたむだけで、商品がキレイにおさまっていく。
いや、慣れてだけではない。
石の塊や不気味な人形など、どうやってもデコボコしそうなものでさえ、その布の中に入ると、小さく平たくなって、簡単にトランクへと並べれられていった。
商人が立ち上がると、そこにはまるで、最初からなにもなかったかのようにキレイな床があるだけだった。
もちろん、人が入れるくらいの穴など、どこにも見当たらない。
全部片付いたこと確認すると、商人はアカネたちの横を通り過ぎ、男性用トイレへ入って行った。
数分後、男性用トイレから、中島セイジが出てきた。
セイジは辺りを見回して、同い年くらいの少年に声をかける。
「なあ、修学旅行の集合場所ってどこやったっけ?」
「中島君?そのしゃべり方はなにさ」
「あ、しもた。ええと、さっきのお店の人の話し方がうつっちゃったんだよ」
じゃっかん棒読み気味のセリフで答えるセイジに、少年は何だよそれと笑みを返す。
「それより、もうすぐ集合時間だよ。早くいこう」
「そうだね。じゃあ、楽しい修学旅行へレッツらゴーや!」
そうして何事もなく、彼らの修学旅行は始まった。