5.令嬢と侍女の会話
貴族の屋敷の一室。比較的質素な内装だが、それでも庶民の数年分の生活費では済まないような金額がかかっている。大きな寝台には軽く温かい羽根布団。落ち着きのある色調の絨毯も繊細な意匠がこらされているし、壁に掛けられた大型の鏡も非常に高価なものだ。
その部屋には二人の娘がいた。貴族の令嬢とその侍女である。令嬢は領主の子息の婚約者だったが、今日からしばらく所用で出かけるため、衣装を侍女に着せてもらっているところだった。
「はい、お嬢様、できましたよ。」
きつく締めたコルセットや、つま先が細くかかとの高い靴は着ている者に苦痛を強いる。しかし、令嬢は慣れた様子で、鏡の前に立ち、小さく頷いた。
「ありがとう、ロゼ。」
「もっと高価な衣装でもいいと思うのですけれど、お嬢様はあまり派手なのは好みじゃないでしょう? なので、大人しい雰囲気でも細かいところで手の込んだ装飾があるものを選んでみました。」
「ええ、気に入ったわ。」
侍女のロゼは令嬢の髪に櫛を通し、丹念に梳かしていく。やはり華美な髪飾りを嫌がる主人のために、髪を結いあげ、飾り付けない方が美しく見えるように整えていく。令嬢はその間、静かに椅子に座っていた。
ひどく穏やかな瞳で、彼女は一体何を見ているのだろうか。窓の外に視線をやり、少しだけ物憂げな表情をした。
「その……お嬢様、本当に行くのですか?」
ロゼの問いに、令嬢はしばらく答えなかった。
一見凪いだように思える彼女。その心には静かに、けれど確かな炎がごうごうと燃えていることを、ロゼは知っている。今回の外出の用件に関して、彼女がどれだけの覚悟を持って、決断を下したのかも知っている。主人の決意を疑うような発言は、使用人としてしてはならない。けれど、彼女と互いに幼い頃から親しくしてきたロゼとしては、どうしても訊かずにはいられなかったのだ。
ロゼが髪を結い終わろうとした時にようやく、令嬢は口を開いた。
「ええ、行きます。」
凛とした宣言を嚥下しながら、ロゼは主人の髪に控えめな髪飾りを差す。少し後れ毛がでたので、またそれも整える。
「ロゼ、貴方が私だったとしても、きっと同じ結論にたどり着いたはずですよ。」
「そうでしょうか?」
彼女のように高潔な、そしてある意味残酷な決断はできないと思う。そこまでロゼは強くない。そしてもっと自分勝手だ。
けれど、主人はそうは考えていないようだった。
「ええ、そうよ。だって例えば、貴方の恋人の騎士さんが、なにかとても大きくて立派なことをしようとしていたら、ロゼはそれを支えてあげたいと思うでしょう?」
「勿論です。出来ることならなんだってします。」
ロゼは恋人の姿を思い浮かべる。彼は、正確には傭兵なのだが、通称騎士と呼ばれる仕事をしている。凛々しくて生真面目に、剣を携えて周囲を見張る勤務中の背中は、見ているだけで安心感を覚える。実直で口下手な彼が、ロゼは好きだった。
「それと一緒よ。私にも大切な人がいる。だから、私はその人のために、私に出来うる全てのことをする。それだけのことだわ。」
そう言いきるロゼの主人は、とても気高く、そして同時にまるで今にも消えてしまいそうなくらいに儚げだった。