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嘘と革命  作者: 海猫鴎
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4.蜂蜜入りのホットミルク

 ヨナが家で適当に夕食をとっていると、ジュリが静かに入ってきた。彼女がヨナの帰宅の後に来ることはほとんどないので、勝手に今日は来ないのだろうと思っていた。少し意外に思いながら声をかける。


「こんな時間に来るなんて珍しいね。ジュリの分作ってないんだけど、どうする? なにか買って来ようか?」


 質問しつつも、ほとんど買ってくるつもりで席を立つ。外套を掴もうとした時にようやくジュリが答えた。


「いい、いらない。お腹空いてない。」


 それだけを吐き出すのが精一杯といった様子だった。彼女は引き留めかけたヨナの手を猫のようにすり抜けて、二階に上がって行く。

 いつになく心ここにあらずといった姿だ。出会った時も繊細さを人の形にしたような気配を帯びてはいたが、今の彼女は美しい抜け殻のようだ。


 彼女が自室の戸を閉めた音で、ヨナは我に返った。


「あ、ちょ、ジュリ、ホットミルク、いる?」


 階段を半分ほど上り、大きな声で訊く。返事はない。余計に不安になる。二階に上がり、扉を軽く叩きながら繰り返す。


「ジュリ? ホットミルクならすぐ作れるよ?」


 しばらく待ったが、返ってくるのは沈黙ばかりだ。諦めて下に戻り、勝手にホットミルクを作る。少し悩んで、いつもは入れない蜂蜜を投入。コップを二つ持ち、二階に上がる。


「入るよ?」


 特に制止の言葉もないので戸を開ける。

 そこは、部屋の主が少女だとは思えないほどに殺風景な部屋だった。彼女はここに来て眠るだけで、生活しているわけではないのだから、それもまあ当然かもしれない。


 靴を履いたまま寝台にうつぶせている。両手でシーツを強く掴み、頭を枕に埋めていた。

 泣いているのかと思うほど、沈み込んだ様子にとっさに言葉を飲んだ。途方にくれて部屋の前で立ち尽くしていると、ゆっくりと顔を上げヨナを見た。


「どうしたの? なにかあったの?」


 ヨナの存在に気づくと同時に、ジュリの表情が切り替わる。先程までの張りつめた姿は見せたくなかったのかもしれない。

 怪訝そうにこちらを見つめ、逆にヨナの心配をする。何事もなさそうな顔でこちらを向いた彼女は、辛いことを隠すのが人一倍上手い。それをヨナは知っている。これは、彼女の得意な作った表情だ。


「いや、それはこっちの台詞だよ。突然来て、二階あがって、返事しないからさ。さすがに俺だって心配になったんだよ。なんでもないなら俺は下に戻るけど。食事中だしね。」


 少し棘のある言い方に、ジュリは虚を突かれたようだ。慌てて歩みより、ヨナの腕を掴み、上目遣いで顔をのぞき込む。


「え、ごめん、すごい真剣に考え事してて。…………心配とか、してくれたの……?」


 自信のない様子に、むっとした。そんなに自分達は素っ気ない関係だと彼女が思っていたら、それはちょっと信用しなさすぎではないだろうか。若干苛立ちを覚え、自然と声が大きくなる。


「あのさぁ。」


 いつもよりも低い声に、ジュリが一瞬にして竦み、目に見えるほど怯えたことで自分の無神経さに気付き詫びを入れる。


「…………あー、ごめん。」


 我ながら無神経だった。そもそもジュリは、毎晩部屋に訪ねてくる貴族のご子息が怖くてここに逃げて来ているのに。自分はジュリの助けになりたいのに、こうやって脅えさせてしまった。一瞬膨らんだ苛立ちはすでに跡形もなく消えている。残ったのは情けなさといたたまれなさだ。


 ジュリは謝らなくていいと首を振るが、やはり震えが隠せていない。何度か言葉を探して口を開閉させ、とりあえず手に持ったカップを片方渡す。ジュリはそれを両手で抱え込むように持つ。一度部屋に入り彼女をベッドに座らせる。それからヨナは廊下に出て、一定の距離を置いた。ヨナが男だと言う事実だけでも、今の彼女には恐ろしいことだろうから。


 そして、今度はできる限り穏やかで優しい声を意識して、口を開いた。


「あー、だからさ、もう三年以上の付き合いになるだろ。今日は見たことないくらい疲れてたみたいだったし。その上なんも言わずに部屋直行するからさ。そんなこと初めてだから俺だって心配くらいするよ。うん、だから…………、心配とかしてくれたのってのはちょっと頭来た。」


「…………ごめん。」


「細かい事情は別に話したくないなら訊かない。でも、なんか嫌なことがあった、ってことだけでも言ってほしいかな。ホットミルクくらいなら出せるしさ。」


 一通り自分の言い分を語り尽くし、ホットミルクに口をつける。まだ結構熱い。ジュリはかなりの猫舌だから、当分飲めないのだろう。

 彼女は俯いてカップの中を見つめていた。いや、カップの温度で指先を温めていたのかもしれない。


「…………ん、っとね。明日から二週間くらいかな、少し遠くに出かけるの。だから、しばらく来れない。」


 こうして前もって報告されるのは初めてだが、彼女の遠出自体は何度かあった。突然ぱたりと訪ねてこなくなり、しばらくするとまたふらりとやって来る。だから、それだけの理由で彼女がここまで荒れるとは思えない。こんなにも彼女が情緒不安定になるのは、もっと他にも原因があるはずだった。

 案の定、ジュリは続けた。


「でね、んー、どこまで言おうかな、その、ちょっと人と会うんだけど。それが気が重い、っていうか。」


「苦手な人ってこと?」


「…………そうじゃないよ。偉くて良い人。でもね、うん、用件がすごく大事で。だから、重くて。」


 この話題は有耶無耶にしたいのだろう、よくあることだ。ヨナはよく理解していなかったが、適当に相づちを打った。


「なんかね、今回は私が自分で行きたいって言ったんだけど、気が重くて、たまに全部投げ出したくなっちゃうの。」


 曖昧にしたい話題の時、抽象論に持っていくと空気が重くならずに済む。それはここ三年間で二人が学んだことだ。今回は今までと比べるとだいぶ具体的に話した方だ。単に、これ以上は話せないと言うことなのだろう。


「でね、そういう時に限って大事な仕事があったりするの。」


 実際、ヨナも最近面倒になってばかりだ。仕事も革命軍の雑用も、度重なる用事に疲労が溜まる。


「それで、そういう時の仕事に限って、前に自分が望んで頼んだものだったりするんだろ。」


「そうそう、今更投げ出せないし。だからこそ、投げ出したくなるのかもね。」


「駄目って分かってることって、逆にやりたくなるんだよ。他人が真面目に出席してる時に一人でサボることほど気持ちのいいものはない、だろ?」


「そうなんだよね。うん、なんでだろうね?」


「さあ? 人間ってのはもともと悪い生き物なのに、悪い生き物が、身を守るために善人の振りをしてる、とか。」


「だから、権力を握ると安心して力に溺れるのかも。」


「そうだよ、きっと。この街の貴族達もそうだけどさ。大きい力を持ちながら善良であることは、難しいんじゃないかな。ろくな貴族なんていないだろ。あいつらはさ、自分のことしか考えてない。家の財産を増やして、名のある家と血縁関係を結んで、領土を広くして~、って。」


 貴族なんて奴らは大概ろくでもないのばっかりだと、ヨナは思う。自分の利益、家の利益、そんなことばかりを追い求めて、自分より下の層にいる人間のことを省みない。


「この街の前の領主の、キュピレアナ家だっけ? その人達はいい人だったって話をたまに聞くけど、今となっては落ちぶれて成金貴族に領地をとられてるんだから、所詮ろくでなしだ。現領主のシロガネ家は言わずもがな。俺からすれば、あの一族を放任している王家だって大差ない。」


 ふと、熱くなりかけている自分に気付く。そしてジュリが黙り込んでいることにも。見れば、俯いてカップの中のホットミルクをじっと睨んでいる。まだ熱いのかと、自分の分を口に含む。それは予想以上にぬるくなっていた。


「ジュリ、そろそろ飲まないと冷めるよ。」


 そっと忠告すると、弾かれたように顔を上げる。


「あっ、うん、飲む。ごめんね、なんかぼうっとしてて。一人で用事のこと考えるとなんか憂鬱になるんだけど、ヨナの声聞いてると安心して悩めるから。それでいろいろ考えてると、なんかそっちに集中しちゃって。」


「いや、別にいいけどさ。」


 自分の他愛ない話が彼女に安心を与えられるのなら、それは願ってもないことだ。


「考え事するのはいいんだよ。ただ、冷えたホットミルク飲むのって地味に惨めな気分になるからさ。」


 くすくすと笑うジュリを見て、ほっとする。泣き顔よりは怒っている方が、怒っているよりも笑っている方がいい。ジュリの笑顔は、ヨナに力をくれる。


「じゃあ、惨めにならないように……。」


 ジュリがカップに口をつける。こくりと嚥下し、驚いた表情を見せた。


「甘い……。」


「今日は誰かさんが随分参っているようだったからね。特別に蜂蜜を入れたから。甘いものって元気でるだろ?」


「…………うん、元気、出るね。」


「俺はたいしたことしてあげられないんだけど。それでも、ちょっとでもジュリの支えになれればいいと思ってるんだ、これでもね。」


「ずっと、支えられてるよ。」


「そりゃ良かった。」


 声はおどけさせていた。でも、気持ちは心底安堵する。ジュリの支えになれていたなら。いろいろな苦労も全て報われる気がした。


「…………むしろ、私の方こそ、ヨナになにもしてあげられてないよ。全然、私はなにもできてない。」


「なんもしなくていいよ。俺は、ジュリがそこにいてくれるだけで安心できるし、気が休まるし、気持ちが暖かくなるんだ。俺はジュリにいっぱい暖かいものをもらってる。」


 やや求婚の言葉のようになってしまったが、この気持ちは嘘じゃない。


 ジュリはホットミルクを啜り、幸せそうに溜息をつく。そんな何気ない所作もどことなく洗練されていて、ヨナには眩しいくらいに美しく見える。

 ジュリはしばらく黙ってちびちびとホットミルクを舐めるように飲んでいた。考えをまとめているのかもしれない。


 そして、突然残ったホットミルクを一気に飲み干し、なにか決意したような顔をした。今までの自信のない様子からは想像もできないほど、凛としていて、彼女のなかでなにかが変わったのがヨナにも伝わってくる。

 ヨナを見上げ、寝台の横をぽんぽんと叩いてきた。しかし、さっきの失態が脳裏をよぎり、ヨナは丁重にお断りした。代わりに部屋に入り壁により掛かって話を聞く体勢を作る。ジュリもそれ以上は繰り返さず、そんなに真面目な話じゃないんだけど、と前置きした。


「ヨナは革命軍に入ってるんだったよね。」


「ん、ああ、そうだけど。」


「なら、いい情報。偉い人にでも伝えて。半年後にシロガネ家が結婚式をするの。いずれ市民にも伝えるだろうけど。その日、お祭りの振りして革命起こすといいよ。準備で人が集まっても、祭だからって言えるでしょ。正式な式は後日王都でするから他の街の貴族はいないし、街の貴族はそこに集まるし、王家に親書出すとか仕事がいっぱいあって、警備が手薄になるから。」


 初めて見る、ジュリの鋭い表情に、ヨナは息を呑む。それを知ってか知らずか、ジュリはすぐにふにゃりと力を抜いた。


「…………なんか、ヨナに言われて気付いたけど、自分で思ってたよりもずっと疲れてたみたい。小さな気配りが温かくってさ。でも、自分でやりたくてやってることだし。投げ出したくはなるけど、投げ出せないんだよ。」


 軽く伸びをして、ジュリは微笑む。


「それに、ありがとう、悩み事、全部ヨナと話してて解決しちゃったよ。」


「俺はなにもしてないけど。悩みの内容すら聞いてないし。」


「いいの。全部、ヨナと話して私の中でまとまったし、覚悟もできた。だから、ありがとね、ヨナ。」


 来た時と比べると、だいぶ元気になったようだ。その様子にヨナが肩をなで下ろし、空になったカップを受け取る。


 瞬間、彼女は抱きついた。

 ヨナの胸に顔を埋め、やがて離れた。

 その間、両手が埋まっていたヨナは、眼を白黒させることしかできなかった。


「うん、ほんとにありがと。明日出かけるから、本当は今日は来るつもりはなかったんだけどね。なんか来ちゃった。来て、良かったよ。明日の用意もあるし、屋敷に戻らなきゃ。」


 そう言い残して、彼女は階段を下りていく。ヨナも我に返ると急いであとを追い、家の外に出たが、既にジュリは夜の闇の中に消えていた。



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