12.背負ったものの重さ
ものすごい速度で迫る拳を紙一重でかわし、ミヤマは相手との距離をとる。相手は素手、ミヤマは剣だ、距離さえとれば一方的に攻撃できる。僅かに後退したところに、鋭い蹴りが飛ぶ。それを回避するとさらに突きが、続けて踵落としが放たれ、呆気なくミヤマはその場に沈没させられた。
「おーい、リーダー、まだ沈むには早いだろ。さっさと立って。」
絶妙な力加減をされた。それはミヤマにも分かった。頭が瞬間くらくらするが、なんとか立ち上がる頃にはなんの不調もない。軽い疲労感は、組手をしたのだから当然だが、それ以外は身体は完調なのが不自然だった。
訝しむようにミヤマが身体を動かすと、相手をしてくれていたミナヅキが焦れたように急かしてくる。
「リーダー、僕はそういう無駄な時間、嫌いなんだけど。」
「あぁ、悪い。」
違和感を拭えないまま、再びミナヅキと向き合い、軽く構える。ミナヅキは自然体だが、どうにも隙がない。
ミヤマが攻めあぐねていると、ミナヅキは短く息を吐き、一気に接近してきた。軽い一撃を訓練用の剣でいなし、距離をとろうと一歩引く。ミナヅキはより強引に近づく。蹴りと拳の連打に、気圧されながらじりじりと後退り、背後からヤヨイに頭を蹴り飛ばされた。床に勢いよく叩きつけられて一瞬呼吸が止まり、立ち上がろうとして四つん這いの状態で激しく咳き込んだ。肺から無理矢理空気が押し出されたような感覚がした。ひどく目眩もする。世界がぐらぐらしていた。なんとか立とうともがいていると、 ヤヨイがミヤマの横に来て、やんわりと言った。
「しばらく目眩が止まらなくしたので、そのままでいいですよ。ただ、その間に何がいけなかったのか、考えておくことをお勧めします。」
漸く咳は落ち着いたが、彼女の宣言通り視界は好き勝手に回転したままだ。この状態で考えろと言うのも結構無茶だとミヤマは思うが、ミナヅキとヤヨイに訓練を頼んだ時点で、無茶苦茶は想定していたから文句は言わない。この二人は若手の優秀な弟子を育てているらしく、人材育成も比較的得意分野だと言う。ならば、ミヤマにできることは、黙ってついて行くことだけだった。
例えば、何故今まで見守っていたヤヨイが、突然背後から攻撃を行ったのか。そこにはきっと意味がある。背後が隙だらけと言うことだろうか。いや、組手である以上、相手が目の前にいるときに背後を気にする必要はないように思う。だとすれば、後退したことが問題だったのだろうか。そう言えば、先程も後退したところでミナヅキに叩き伏せられた気がする。では、今回の問題点は後退するなと言うことだろうか。だが、剣と拳でやりあうならば、ある程度の距離をおくのが基本だ。どうにもその結論には違和感がある。
ぐるぐるとミヤマが考え込んでいると、ヤヨイがひとつだけヒントを出した。
「ミヤマさんはこの組手をなんのためにしているのでしょうか。」
「…………それはえっと、強くなるため?」
ヤヨイの視線が突き刺さる。しかし、言わないところを見ると、これ以上ヒントをくれる気は無いようだ。徐々に目眩がおさまるのを感じながら、ミヤマは周囲を見渡した。
ミナヅキといえば、こんな短時間の間にもう他の仲間の相手をして、捩じ伏せ、言葉を介さない指導を始めている。ヤヨイもあまり教えるということをしないが、ミナヅキはさらに極端で何が悪いとかどうするといいとは決して言わない。ただ組手のなかでその人の欠点を気づかせるだけだ。本人が頭を捻り、正解とも言える改善があるとミナヅキは少しだけ隙を見せてくれる。無論、一瞬のことで、すぐに次の弱点を突かれるのだが。
今ミナヅキの指導を受けているのは、パン屋の息子だ。剣を持つだけでも、なんだか危なっかしく見える。基本的な動きを、そこはかとなくミナヅキが誘導しつつ剣と拳を交えていた。砕け気味の青年の腰に、ミナヅキが綺麗な蹴りを入れた。それで青年も自身がおっかなびっくり剣を握っていたことに気づいたのだろう、なんとか姿勢を正そうとする。だが、今度は重心が上がってしまい、ミナヅキにすっ転ばされていた。
彼が剣を持つと不格好になるのは仕方がないとミヤマは思う。そもそもパン屋の息子など、一生のなかで剣を持つとは思っていなかっただろう。何事もなく普通に生きていれば、麺棒を武器として厨房で奮闘する毎日しか送らないはずだったのだから。革命を起こすためだけに、彼は握らなくても良かった剣を持っているのだ。
そして、ようやくミヤマは正解に辿り着く。ヤヨイに今度こそははっきりと答える。
「革命のため、だ。」
革命の最中は、乱戦になるだろう。一対一の戦いではないから、相手が目の前にいたとしても、背後に気を付けなければならないのだ。特に後退するときは余計に気を配る必要がある。普段、大規模な乱戦はしてきていなかったため、その感覚が鈍っていた。仲間がだいたい一人ずつ敵を受け持ち、各個撃破するような盗賊との戦闘とは訳が違う。相手は熟練の貴族の私兵で、こちらは寄せ集めの市民だ。二人でやっと一人の相手をする者もいるだろう。もしかしたら、相手に仲間の加勢を許してしまうこともあるかもしれない。そんな中で、ある程度経験のあるミヤマは全体を見て、状況次第で複数を相手取る必要もあるのだ。後方不注意などもっての他。
それだけじゃない。実際の実力ではミナヅキやヤヨイに遠く及ばないとしても、ミヤマは革命軍のリーダーなのだ。ミヤマが防戦一方になったりすれば、それは全体の士気にも影響する。
さっきまでとは違う目眩がし始めた気がする。
自身の背負ったものの重さを、改めて感じる。
自然と溜め息が零れた。
「溜め息と言うのもあまり感心しません。指導者たるもの、常に胸を張り、堂々と君臨すべきです。」
さらなるダメ出しに、ミヤマは苦笑した。ヤヨイも本気で改善を進めているわけではないのだろう、やわらかく微笑み返す。
「まぁ、そう簡単に直るものでもないでしょうね。」
「あぁ、俺も時々、こんな面倒で重くて嫌な立場、投げたしたいと思ったりするよ。」
思わず零れた本音。ヤヨイの表情が強ばる。けれど、ミヤマはまた苦笑して、続けた。
「いや、思うだけだけだ。投げ出したいと思うけど、それ以上にやりたいことが、俺にはあるから。」
ゆっくりと言葉を吐き出す。その中に込められた思いは、ヤヨイには分からない。ただ、きっととても純粋で切実な思いがあるのだろうということは確か。そして、便利屋として勝手に調べた貴族の依頼主の素性と、ミヤマの素性から、誰に対する思いなのかも一応推測はできる。その思いの種類すら、予想がつく。けれど、そんな事実関係は誰かの感情を判断するひとつの基準でしかなく、その基準だけでは、彼を革命軍のリーダーにさせた思いは理解しきれやしないだろう。
ヤヨイは時間をかけて彼の言葉を咀嚼し、完全にはわからずとも、そこに秘められた気持ちを少しでも深く感じ取ろうとした。
「…………以前、エリーさんがミヤマさん自身が選んだ茨の道だと仰っていました。本人が満足するまで突き進めばいい、とも。ですが、私はその時、貴方は多少なりとも周りに流されてその立場にいるのではないかと思っていました。」
そして、ヤヨイはミヤマを正面から見据えて、続ける。
「ですが、違うのですね。貴方の中には、確固とした意思があり、思いがあり、なしたいことがある。そして、その手段として、貴方は革命を選んだ。周りとは一切関係なく、貴方はひどく自分勝手にこれだけのことをしようとしているんですね。」
自分勝手。それは、ミヤマをとても的確に表現している。たくさんの市民を巻き込み、貴族や彼らに荷担する者の命を吹き飛ばし、とんでもない争乱をこの街に引き起こそうとしている。全ては、ミヤマ個人の勝手な願いを叶えるためだけに。
「そうだ。俺はすごく身勝手で、自己中心的で、ひどい人間だ。」
「その通りです。ですが、それは貴方だけじゃない。」
ヤヨイの断固とした口調に圧されなかったと言えば嘘になる。凛と背筋を伸ばす彼女が眩しい。
「ここにいる人間は皆、各々の勝手な願いを叶えるためにここにいるのですよ。確かに、貴方が提案しなければ、彼らはこんなことをしようとしなかったでしょう。けれど、貴方の計画に賛同しない道もあった。にも拘らずここにいる時点で、革命の中に身を投じるのは彼らはの選択によるものです。だから、貴方は最初に提案したと言う責任以上のものを背負う必要はありません。」
言い方は厳しいが、これはヤヨイなりの励ましだろうか。どう受け止めればいいのだろう。背負いすぎるなと言うことだろうか。
ミヤマがぼんやりと考え込んでいると、一見無造作に思えるけれどその実隙のない足い取りでミナヅキが戻ってきた。しかも、ゴロウザエモンを引き連れてである。そして、ミヤマの首根っこをつかみ、強引に立たせた。
「ほら、いつまでもくっちゃべってないで、組手するよ。リーダー、弱いんだから、だらだら遊んでる場合じゃないでしょ。」
いつになく刺々しく喧嘩腰だ。ミヤマはなんでミナヅキがここまでご機嫌斜めなのかわからず、ヤヨイの方を窺う。
「ミナヅキ、私がミヤマさんと話していたくらいのことで、嫉妬しないでください。」
「嫉妬してないっ!!」
それからの、ミナヅキとゴロウザエモンを同時に相手にすると言う組手はいつも以上に過酷だったことは、言うまでもない。