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嘘と革命  作者: 海猫鴎
11/15

11.月光に照らされて

 ヨナは、どうしてこんなことになっているんだろうと、自室の扉を開けて途方に暮れていた。


 目の前の寝台では、少し顔の赤いジュリがすやすやと可愛らしい寝息をたてている。いつもヨナの使っている毛布にくるまってころりと子猫のように丸くなり、昨日ヨナの寝ていた寝台のシーツを握って、幸せそうに、無防備な姿で、寝入っている。枕の上に広がる栗色の髪は窓から入る月光を浴びて艶やかに輝き、白くてやわらかそうな肌は暗い室内で淡く浮かび上がった。

 ジュリと出会った日のようなどしゃ降りの雨がさっきまで降っていた。今では綺麗に晴れて、きらきらと窓から月光が差し込んでいる。


 今日の夕食の席で、仕事帰りに同僚に渡された度数の低い果実酒をジュリと分け合った。ほんのりと酔いがまわったのか、ジュリはいつもよりもよく笑っていた気がする。そして、ジュリはいつもより早く自室に向かった。その足取りは危なげないものだったはず。


 では、どうしてそのジュリがヨナの寝台で寝ているのか。

 きっと、たぶん、おそらく、酔っぱらって寝ぼけて部屋を間違えた、というのが理由だろう。


 しかし、もしかしたら。

 何らかの意図のある行動だったとしたら?


 ジュリは確かに酔っぱらっていた。

 頬がほんのりと赤みを差すくらいには。

 だが、前後不覚はおろか、思考が曖昧になっている様子すらなかった。

 果たして部屋を間違えるほど、しかも数年間使っているこの家で自室とヨナの部屋を間違えるほど、酔っぱらっていたのだろうか?


 ヨナも若い青年、妄想じみているとは分かっていても、この現状に何も思わずにはいられない。

 決してヨナ自身も酒に強いわけではないが、今日呑んだ果実酒は非常に度数が低い。実際、同じような瓶を一本一気に飲み干して、こんなものは酒じゃないと言い放った仲間もいる。そして、今の今まで、ヨナは自分が酔っているだなんて一切考えもしなかった。


 ふらりと、一歩部屋に入る。

 自分の部屋だ、入ること自体は咎められるようなことではないはず。


「んっ…………。」


 室内に響いたジュリの声に、ヨナはびくりと硬直する。

 息を押し殺し、自分の部屋に入っただけだと自身に言い聞かせ、ジュリの寝姿から無理矢理目を逸らす。


 けれど、視界の端に映る彼女は、蠱惑的なほどに美しい。その華奢な肢体が月光に照らされ、さながら月の女神のようですらある。少しだけ捲れた毛布の下に白い肌が覗いていた。

 とっさに部屋を見回す。そして、普段ヨナの部屋には存在しないものを見つけた。


「ジュリの使用人服…………。」


 しわにならないよう、軽く椅子にかけられているそれは、この家に来るとき彼女が身に纏っている、見慣れた紺の使用人服。そして、それが椅子にかけられているということは、今毛布にくるまっている彼女はほとんど何もまとっていないということだ。

 そう理解した途端、自然と視線が彼女に引き寄せられる。


「ん……みゅぅ…………。」


 もぞもぞと寝返りを打ち、ジュリはまた気持ちよさそうに寝息をたてる。穏やかにその背中が上下するのがわかった。

 ふうっと安堵の息を吐いて、力を抜く。

 寝返りを打つ際の衣擦れの音が、まだ頭のなかで響いているような気がする。

 どくんどくんと自信の心音が耳障りだ。頭がくらくらして、全身に怪しい熱が帯始める。


 ゆっくりと寝台へと歩み寄る。

 ヨナの目は、最早ジュリから逸らすことが出来ない。その寝姿を舐め回すように見つめてしまう。

 向けられた背中の肩甲骨が、広がる髪に埋もれたうなじが、毛布からはみ出た踵が、暗い部屋で艶かしく月光に照らされる。


 この美しい髪に触れたいと思った。

 柔らかそうな栗色の髪。

 それを自身の指で優しく梳いてみたいと。


 寝台の横に立ち、眠るジュリを見下ろす。理性が警告を発しているが、髪を軽く触れるだけならいいような気もする。ゆっくりと身を屈め、ジュリの髪に手を伸ばす。


「……よな…………。」


 まるで図ったようなタイミングで、舌足らずな声で名前を呼ばれ、ヨナが身を引く。けれど、ジュリは起きたわけではないらしく、また寝返りを打って、安らかな寝息をたて始めた。


 ヨナの心臓は激しく脈打ち、身体が熱くなる。よくないとは分かりながらジュリの寝顔を見やった。

 そして、ヨナは息を飲む。


 彼女は、泣いていた。

 決してうなされているわけではなく、その表情は少しだけ寝苦しそうなだけだ。なのに、彼女の閉じられた瞼からは、一本の並みだの筋が枕へと伸びている。


 ヨナの身体から一気に熱が引いていった。ただ、ジュリが愛おしくて、大切にしたくて、彼女を苦しめる全てから護りたかった。

 そっと彼女の頭に手を伸ばす。さっきのように熱にうなされた感覚はなく、心のなかはひどく穏やかに凪いでいた。


「ジュリ、泣かないで。」


 彼女の頭を撫でる。優しく、壊れ物を扱うように。


「大丈夫、ジュリが怖がるものは、ここにはないから。」


 少し前に自分が彼女を脅かす存在になりかけていたことは秘密だ。

 彼女が安心して眠れれば、それでいい。

 この安らかに眠れないお姫様を抱き締めるのは、彼女が本当に穏やかな眠りを手にしてからでいい。

 そっと、彼女の涙を拭う。この家に逃げてきてすら、彼女は泣きながらでないと寝れないことが、悔しかった。


「君が、安心して眠れる場所を作るから。頑張って、俺が作るから。だから、もう少しだけ待っていてほしい。」


 それは、ヨナにとっての誓いの言葉だ。こうして告げると、気恥ずかしさもある。けれど、相手は寝ているのだから、どうということはないのだけれど。

 彼女の体を見ないようにしながら、ずれた毛布をかけ直してやる。

 ジュリは最初と同じように、穏やかな寝息をたてていた。


 彼女が酔っぱらってヨナの寝台で寝ているのか、はたまたなにか意図があってここで寝たのか、ヨナには分からない。けれど、意識してても無意識のうちにでも、この寝台を安心できる寝床として選んでくれたことが嬉しい。そして、そんな場所ですら彼女が泣かなければいけないことが悲しい。泣かないで眠れる寝床を提供できないことが、悔しい。


 心の中の様々な思いを忘れないよう、胸に刻み込んで、ヨナはそっと部屋を出た。

 今夜は、階下のソファで寝ればいい。

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