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【連載版】早退させていただきます。もう、悪役令嬢キャラには疲れました  作者: おでこ
第一章

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第9話 「早退令嬢と、旅する少女」


 噂の翌日、本当に転校生が来た。



 廊下がざわついた。


 銀色の髪だった。


 それだけで、廊下の空気が少し変わった。背が高く、口数が少なそうで、周囲のざわめきに一切反応していなかった。隣を歩く教師が何か話しかけていたが、短く頷くだけだった。


 エリーゼは廊下の端でそれを見ていた。


 (……ヴァイセンベルク公爵家の、嫡男)


 昨日の噂通りだった。銀髪で、誰にも振り向かない。確かにそういう雰囲気だった。


 転校生がふと、視線を動かした。

 エリーゼの方を、一瞬だけ見た。


 目が合った。灰色の目だった。


 何かを言うでもなく、ただ一瞬だけ見て、また前を向いた。


 エリーゼも特に何も思わなかった。視線を戻して、廊下を歩き出した。


 (……灰色の目だった)


 それだけが、なんとなく頭の端に残った。

 なぜ残ったのかは、わからなかった。



        ◇



 謝罪を始めたのは、孤立してすぐのことだった。


 最初は、何かを取り戻そうとしていたわけではなかった。ただ、言わないままでいる方が苦しかった。それだけのことだった。


「以前、失礼なことをしました」


 それだけ言って、頭を下げて、立ち去る。

 それだけにした。長い言葉は言わない。言い訳も説明もしない。


 最初の相手は、食堂で席を追い立てたことのある下級生の生徒だった。

 廊下で見つけて、近づいて、言った。


「以前、失礼なことをしました」


 下級生が固まった。


「え……あ、その」


 エリーゼは頭を下げて、立ち去った。


 次は、授業中に嫌みを言った相手に。その次は、廊下でわざと進路を塞いだことのある生徒に。一人ずつ、少しずつ、見つけるたびに同じことをした。


 当然、許されるとは思っていない。頭を下げたところで、彼女たちが受けた不快感が消えるわけでもない。投げつけた言葉の刃は、もう戻せないのだから。


 ただ、謝罪を続けながら、エリーゼは自分の醜さに気づかされていた。


 (……今まで、私は何を必死に守ろうとしていたんだろう)


 以前の自分なら、誰かに近づくときには常に「どう見られるか」「どう利用するか」という計算を張り巡らせていた。取り巻きを従え、虚勢を張り、誰かを下げることで自分の位置を確かめる。そんなことに、どれほどの神経を削り、心を濁らせていたか。


「失礼なことをしました」と、ただ事実を認めて謝る。そのあまりの簡潔さに、胸が締め付けられる。


 (……こんなに、単純なことだったのに)


 計算も虚飾も捨てて、ただ過ちを認める。それは自分を許すことではなく、自分の小ささを突きつけられる作業だった。

 けれど、その痛みが伴うたびに、喉元を締め付けていた重苦しいプライドが、少しずつ剥がれ落ちていく。


 「楽」ではない。

 ただ、自分がどれほど余計な重荷を背負って、自分勝手に他人を傷つけて生きてきたのかを、ようやく理解し始めたのだ。



        ◇



 図書室に行ったのは、偶然だった。


 放課後、廊下を一人で歩いていたとき、見慣れない扉の前を通り過ぎた。

 入ったことがなかった。令嬢として取り巻きを連れて歩いていた頃は、図書室など立ち寄る理由がなかった。


 扉を開けた。


 本の匂いがした。


 静かだった。窓から午後の光が差し込んで、埃がゆっくりと浮かんでいた。

 棚が並んでいた。背表紙がずらりと並んでいた。


 (……こんな場所だったのか)


 エリーゼはゆっくりと小説棚の間を歩いた。


 タイトルを一つひとつ目で追っていった。知らない本ばかりだった。読んだことのある本など、一冊もなかった。令嬢としての十七年間に、物語を読む時間などなかったから。


 棚の端まで来て、ふと手が止まった。


 見覚えのある本だった。


 表紙に、旅をしている少女の絵が描いてあった。


 (……この本)


 エリーゼの手が、少し震えた。震えたことに、自分で気づいた。


 知っている。この表紙を、知っている。

 十歳の秋、雨の日の自室。あの日読みかけて、取り上げられた本。


 ページをめくりかけて、続きが読めなかった本。


 七年間、どこかにあると知っていたが、探す理由がなかった。探す時間もなかった。探す自分が許されていなかった。


 エリーゼは本をそっと手に取った。


 棚の前に立ったまま、最初のページを開いた。


 少女が、どこかへ向かって歩いていた。行き先は決まっていない。問われると「どこへでも行けます」と笑う。そういう少女の話。


 (……続き、読める)


 たった一行読んだだけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。


 エリーゼは窓際の席に座った。午後の光の中で、ゆっくりとページをめくり始めた。


 本のページをめくる音だけが、静かな図書室に響いていた。



        ◇



 どれくらい時間が経ったのかわからなかった。


 少し本を読んでは、あまりの懐かしさに、何度も角度を変えて表紙を眺めた。

 上下を逆さまにして背表紙の綴じ目を確認し、また元に戻しては、食い入るように絵を見つめる。


 令嬢としての作法も、周囲の目も、その時だけは完全に忘れていた。



「何してんの」


 声がして、エリーゼは顔を上げた。


 少し離れた席に、男子生徒が座っていた。

 今朝廊下で見た転校生。銀色の髪をしていて、灰色の目が真っ直ぐこちらを見ていた。


「……懐かしい本でしたので、色々と確かめていました」


 エリーゼは正直に言った。転校生は少し目を瞬かせた。


 図書室は静かだった。本のページが風もないのに少しだけ揺れた気がした。


 転校生が口を開いた。


「……面白いか、それ」


 低く、短い声だった。


 エリーゼは少し驚いた。また話しかけられると思っていなかった。


「……まだ途中なので、わかりません」


「そうか」


 それだけだった。転校生はまた自分の本に目を落とした。


 エリーゼも手元の本に目を戻した。


 しばらく、また静かになった。風が窓の外を通り抜けた。午後の光が少しずつ傾いていった。


 (……変な人だ)


 エリーゼはそう思った。悪い意味ではなかった。ただ、変だと思った。

 ヴァイセンベルク公爵家の嫡男が転校してきて、初日の放課後に図書室にいる。しかも一人で、黙って本を読んでいる。


 それから、純粋な気持ちで私に話しかけてきた。

 何かを求めているわけでも、何かを探っているわけでも、何かを確かめているわけでもない。隣に人がいて、本の話をした。それだけだった。


 ただ、そのやり取りに身に覚えがあるような気がしていた。


 もう少しすると閉館の時間になった。エリーゼは本に栞を挟んで、席を立った。


 転校生も、ほぼ同時に立ち上がった。


 二人で棚に本を戻しに行った。エリーゼは旅する少女の本を棚に戻した。


 (……明日、また来よう)


 そう思った。続きが気になっていた。七年前から気になっていた続きが、まだそこにあった。


 図書室を出ると、廊下は夕暮れの光に染まっていた。転校生が先に出て、こちらを振り返りもせずに廊下を歩いていった。


 エリーゼはしばらく、その後ろ姿を見ていた。


誰かのためでもない。ただ自分として歩いているような、そういう後ろ姿だった。


 エリーゼは反対方向へ歩き出した。



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


続きが気になる!と少しでも思っていただけたなら、

評価(下の方にある☆☆☆☆☆)や感想で教えていただけると、本当に飛び上がって喜びます。


また次回でも、お会いできることを楽しみにしております^^


一話を確認した方いるかな?(*‘ω‘ *) わくわく

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