表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早退させていただきます。もう、悪役令嬢キャラには疲れました  作者: おでこ
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/39

第35話 「早退令嬢と、隣にいる人」


 思い出の男の子がルーカスだとわかってから、三日が経った。



 その三日間、エリーゼは自分がおかしくなったのかと思っていた。


 廊下で後ろから足音が聞こえると、ルーカスかもしれないと思う。図書室の扉が開くたびに、少し顔を上げてしまう。並んで歩いているとき、隣にいる人の気配が、以前より近く感じる。


 全部、気のせいだと思おうとした。でも気のせいにはならなかった。


 (……何をしているんだろう、私は)


 以前は、近くにいることが自然で、ただそこにいる人、という感覚だった。

 でも今は、それが以前とは全然違う感覚になっていた。同じことのはずが、違う意味を持ち始めていた。


 十二年間、約束を覚えていてくれていて、あの時の男の子だとわかった。


 それだけで、目の前の人が全然違う人に見えた。いや、違う人ではなかった。同じ人だった。


 でも、見え方が変わった。声の質も、横顔も、本を読むときの目も、全部、以前より輪郭がはっきりしていた。


 自分でも、何がそうさせているのかはわかっていた。


 わかっているのに、どうしようもなかった。


 そんなことを思いながら、今日も図書室に来ていた。



        ◇



 図書室で、先に来ていたルーカスが隣の席に座っていた。


 エリーゼが席に着くと、顔を上げた。それだけだった。また本に視線を落とした。


 (……いつも通りだ)


 ルーカスにとっては、何も変わっていないのかもしれなかった。

 でも、エリーゼにとっては違った。声の質も、横顔も、本を読むときの目も、全部、以前より輪郭がはっきりしていた。


 エリーゼは本を読むが、文字が頭に入ってこなかった。


 (……本当に、どうしたんだろう。困った)


 ふと、ルーカスが本から顔を上げた。目が合った。


「本が進んでいないな」


「……考え事をしておりました」


「そうか」


 それ以上聞かなかった。また本に視線を落とした。


 しばらくして、ふとルーカスの顔を見たとき、不機嫌な表情になっていた。


 (何か、まずいこと言っちゃったかな)


「……その、どうかしましたか?」

「不機嫌そうな顔をされているので……」


 ルーカスが少し間を置いた。


「……また敬語」


 一言だった。


 エリーゼは少し止まった。


「……え」


「ようやく再会できたのに、まだそんな話し方をするのか」


 エリーゼは少しだけ笑いたくなった。この反応が、あの頃と全然変わっていなかった。


「……わかった」


 言ってみると、思ったより自然だった。ルーカスが少し頷いた。それだけだった。


        ◇


 しばらく沈黙が続くと、ルーカスから声をかけてきた。


「卒業した後、何をするつもりだ」


「家のことをすると思う。それと……婚約も解消してしまったから、新しい方を探すことも、そろそろ考えないといけないかな」


 少し間があった。


 ルーカスが、エリーゼを見た。


「……候補はいるのか」


 少し低い声だった。


 エリーゼは少し驚いた。


「いない、けど」


 また少し間があった。


「そうか」


 ルーカスが前を向いた。何も言わなかった。


 エリーゼはその横顔を、少し見ていた。


 さっきより、何かが少し違って見えた。表情が変わったわけではなかった。ただ、肩の辺りの力が少し抜けたような、そんな気がした。


 (……なんで、候補がいるかどうかを聞いたんだろう)


 聞けなかった。でも、その「なんで」が少しわかる気がして、胸の中が静かに温かくなった。答えを確かめるのが少し怖くて、でも怖いだけではなかった。


「ルーカスは?」


 名前を呼んだ。敬語をやめてから、自然に言えた気がした。


「家に戻る。ただ、ここを離れるのは気が進まないが」


「図書室も、この学園も。悪くなかった」


 エリーゼは少しの間、ルーカスを見ていた。


「……私も、同じ。この学園に来てよかったと思うことが、たくさんあって。あなたに、また会えたことも、含めて」


 少し間があった。ルーカスがエリーゼをじっと見た。


「……そうか」


 同じ言葉だったが、今度は温度が違った。


「中庭の桜が、もうすぐ咲く頃だな」


「そうですね。暖かくなったら、あのベンチにまた座れますね」


「ああ」


 エリーゼは本に視線を戻した。頬が少し熱かった。



        ◇



 翌日の廊下で、フローラが友人たちと歩きながら話しているのが聞こえた。


 エリーゼが通り過ぎようとしたとき、フローラと目が合った。フローラが少し笑って、声をかけてきた。


「エリーゼ様、少しよろしいですか」


「ええ」


 フローラが、友人たちを先に行かせてから、少し声を落として言った。


「最近、ヴァイセンベルク様といつも一緒にいますよね」


「そうね」


「あの二人、図書室でも廊下でも帰り道でも、ずっと一緒って、もう学園中の話題になっているんですよ」


 エリーゼは少し間を置いた。


「……話題に」


「なっています。ヴァイセンベルク様って、他の子には全然近づかないじゃないですか。それがエリーゼ様とだけ、いつも一緒にいるから」


「そうなのですか」


「そうです!」

「最近、なんか変わったって言っている子もおりまして、『ヴァイセンベルク様と一緒にいるとき、エリーゼ様の表情が柔らかい』と。決して、悪い意味ではありません」


 フローラが少し慌てたように付け加えた。


「それと……私は、エリーゼ様に幸せになってほしいなって、ずっと思っていて。だから言いたくなって」


 エリーゼは少し驚いた。


「……ありがとう」


 フローラが少し笑って、歩いていった。


 エリーゼはしばらく、廊下に立っていた。


 学園中の話題。表情が柔らかい。


 (……そんなに、わかるものなのか)


 自分では気づかないうちに、何かが滲み出ていたらしかった。



        ◇



 その夕方、帰り道で廊下を並んで歩いていたとき、エリーゼの本が手から滑り落ちた。


 拾おうとした瞬間、ルーカスの手が先に動いた。本を拾って、エリーゼに渡した。


 受け取るとき、指の先がルーカスの手に触れた。ほんの一瞬だった。


「……ありがとう」


 声が、いつもより少し細くなっていた。自分でも気づくくらいに。


「ああ」


 ルーカスは何事もなかったように歩き始めた。


 エリーゼは一瞬だけ止まってから、また歩き始めた。


 本を、少し強く持った。指が触れた感触が、まだそこに残っている気がした。本当にそこにあるわけではなかった。でも、消えてくれなかった。


 隣を歩くルーカスは、いつもと同じだった。歩き方も、横顔も、何も変わっていなかった。それなのに、今日はその横顔が、少しだけ見ていられなかった。


 (……困った。本当に、困った)


 ルーカスは何も変わっていないのに、自分だけがこんなふうになっている。


 それが少し恥ずかしかった。


 でも、恥ずかしいだけではなかった。



        ◇



 その夜、部屋で一人になってから、エリーゼはしばらく天井を見ていた。


 最近のことを、頭の中で巻き戻した。


 図書室でじっと見られた、あの目のこと。指が触れた、あの一瞬のこと。廊下で聞こえた、皆が話題にしているという話のこと。候補はいるのか、と低い声で聞かれたこと。


 以前なら、流せた。でも今日は、全部がどこかに引っかかって、取り出せなかった。


 (……これは、なんだろう)


 うまく名前がつけられなかった。つけようとすると、少し怖い気がして、途中で止まってしまう。でも何かがそこにあることだけは、はっきりとわかっていた。


 胸の中が、温かかった。それだけは確かだった。


 ただ、卒業まであと三週間だった。この図書室も、この廊下も、毎日当たり前のようにあった時間が、あと三週間で終わる。そして、それぞれの道へ行く。


 (……卒業した後も、また会えるのだろうか)


 わからなかった。聞く勇気が、まだなかった。


 でも、聞かなければいけない気がした。三週間という時間は、長いようで短かった。


 婚約者がいた頃、こういう感情を持ったことは一度もなかった。自分で閉じ込めて演じていた頃はわからなかった。


 でも、今はわかる気がした。


 あの人は、十二年間、約束を覚えていた。また来ると言って、本当に来てくれた。ずっとそばに居てくれたのに、自分は気づくのが遅かった。


 (……本当に、遅かった)


 ルーカスに言われた言葉が、また頭に浮かんだ。


 気づくのが遅いぞ、と言っていた。少し呆れたような、でも可笑しそうな声で。


 あのときは少し悔しかった。でも今は、そうじゃなかった。


 なぜそうじゃないのか。なぜあの言葉が今も頭に残っているのか。


 考えていくと、また何かに行き着きそうで、エリーゼは少し目を閉じた。


 今夜は、ここまでにしよう。


        ◇


 エリーゼは旅する少女の本を手に取った。少女が最後の一歩を踏み出す直前のページを開いた。


 少女は怖がっていなかった。ただ、前を向いて、立っていた。


 (……次の話で、この子は踏み出す)


 エリーゼは二周目だから、それを知っていた。


 (……私は、どうだろう)


 本をそっと閉じた。窓の外に、冬の終わりの空があった。もう少しで、春が来る。


 中庭のベンチに、また座れる。あの思い出のベンチに、あの人と、また並んで座れる。


 それだけのことが、今夜は少しだけ、胸の中で大きかった。


 旅する少女が、最後の一歩を踏み出すページが、すぐそこにあった。



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


続きが気になる!と少しでも思っていただけたなら、

評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!


また次回でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)/


※残り2話で第二章が完結となります( ;∀;)

本当に応援していただきありがとうございます!

引き続き、最後までお付き合いいただければ幸いです(*^^*)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 山場の一つであるネタばらし回とそのアフターでしたね。  心の動きが大きくなっていくエリーゼがなんとも可愛いです。  ただ気になった事があるのですが、同一人物の台詞ならカギ括弧を分ける必要無くないで…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ