第34話 「早退令嬢を、忘れるわけがない」
二月に入った。
図書室での読書を終えて、二人で廊下を歩いていた。
夕方の廊下は静かだった。ほとんどの生徒は帰っていて、足音だけが石畳に響いた。
エリーゼは本を抱えながら歩いていた。旅する少女の表紙が手の中にあった。
「もうすぐ卒業ですね」
「ああ」
「なんだか、あっという間でした」
「そうだな」
しばらく、二人とも黙って歩いた。
エリーゼはふと、本の表紙を見た。
「この本、子どもの頃にも持っていたんです」
「そうなのか」
「途中まで読んでいたのですが、 母には不要と言われて取り上げられてしまって。ずっと続きが気になっていたんです。この学園の図書室で見つけたときは、懐かしくて……」
「この本を読んでいると、子どもの頃の記憶が少し戻ってくる気がして。とても、印象に残っている記憶があるんです」
◇
「どんな記憶だ」
転校生が聞いた。
エリーゼは少し考えた。
「父の仕事の関係で、三日間だけ同い年の男の子がうちの屋敷に来たことがあって。一緒に庭で遊んで、それがとても楽しかった記憶があります」
「ふうん」
「銀色の髪の子でした。口数が少なくて。でもその分、話すときは本当のことしか言わない子で」
「そういう子もいるな」
どこか他人事のような、でも否定もしない返事だった。エリーゼは続けた。
「泥だらけになって遊んで、帰ってから親に怒られて。でも全然懲りなくて、また次の日も外に出て」
「楽しそうだな」
「とても楽しかったんです。でも四日目の朝に、急に帰ることになって。また来ると言って行ったきり、来なくて」
「そうか」
転校生の返事は、変わらなかった。落ち着いた、静かな声だった。
エリーゼは少し笑いながら続けた。
「子どもながら、ずっと気になっていたんです。あの子は今どこにいるのかなって」
◇
「その子は、どういう子だったんだ」
「変わっていましたね。少し不機嫌になることがあって」
「何のときだ」
「私が敬語で話すと、嫌そうな顔をするんです」
転校生が、少し間を置いた。
「それは、距離を置かれている感じがしたからではないか」
エリーゼは少し止まった。
「……距離を置かれている感じですか」
「敬語は、壁になることがある。特に子どもにとっては」
エリーゼは転校生を見た。
なぜそこまで踏み込んで言えるのか、少し不思議だった。
「……それ、なんだかその子が言いそうなことです」
「そうか」
また、どこか他人事のような返事だった。
エリーゼは前を向いて歩き続けた。でも、頭の中に小さな引っかかりが生まれていた。
◇
階段を降りながら、エリーゼはまた話し続けた。
「でも、なんで敬語がそこまで嫌だったのでしょうね。向こうも五歳か六歳だったのに」
「もっと、仲良くなりたいと思っていたからではないか」
「そういう表現は、言葉にしづらいものだ」
「そうですかね。確かに、思ったことをそのまま言う子でしたが、感情を表すのは苦手そうでした」
「……そういう性格は、大人になっても変わらないものだ」
エリーゼは少しだけ、足を遅くした。
大人になっても変わらない。
その言葉が、どこか自分のことを言っているような気がした。
「……あなたも、そういう性格ですよね」
「そうかもしれない」
転校生が静かに答えた。
エリーゼは転校生を見た。横顔だった。
(……なんで、さっきからこんなに話が合うんだろう)
引っかかりが、少し大きくなった。
◇
廊下の角を曲がったとき、エリーゼはもう一度口を開いた。
「その子、名前を思い出せなくて。子どもの頃の記憶なので、顔もうろ覚えで」
「そうか」
「でも、話を聞いてもらえているうちに少し思い出してきました」
「確か……名前は、ルーカス、だったような気がして」
エリーゼは歩きながら、頭の中で繰り返した。
ルーカス。
(……ルーカスって、もしかして)
隣を見た。銀色の髪。口数が少ない。思ったことだけ言う。感情表現が苦手。
(すごく……すごく似ている)
今まで積み重なってきた返事が、一気に線になった。
エリーゼは少し足を遅くしながら、静かに口を開いた。
「……あの時の男の子って」
転校生が、足を止めた。
少しの沈黙があった。
振り返った転校生の顔に、いつもとは少し違う表情があった。口の端が、かすかに上がっていた。
「約束通り」
「また会いに来たぞ。エリーゼ」
静かな声だった。
エリーゼは少し開いた口を手で押さえながら、転校生を見ていた。頬が熱かった。目の縁が、少し滲んだ。でも泣かなかった。ただ、言葉が出なかった。
十二年間、ずっと覚えていてくれた。ずっと、約束を持っていた。
それだけのことが、胸の中にいっぱいになって、うまく言葉にできなかった。
◇
しばらく沈黙が続いた後、転校生が口を開いた。
「気づくのが遅いぞ」
少しだけ、呆れたような声だった。
エリーゼは我に返った。
「……いつから、気づいていたんですか」
「学園に来た初日から、気づいていた」
エリーゼは驚いた。
「ずっと、言わなかったんですか」
「お前が気づくかどうか、見ていた」
エリーゼは少し転校生を見た。
「……意地悪ですね」
「こういうのは、言わない方がいいと思って」
「だから、思い出させるために私のそばにいたのですか」
ルーカスが下を向きながら短く返事した。
「ああ」
「あの三日間は、俺にとっても最高の思い出だった。忘れるわけがない」
エリーゼは少し目を伏せた。
あの三日間が、ルーカスにとっても特別だった。それがわかっただけで、十二年間の「また来る」を待っていた時間が、少し軽くなった気がした。
「だが、本当にずっと気が付かなかったのか?」
「……顔はそんなに変わっていないと思っていたが」
ルーカスが言った。
「だいぶ変わったと思いますよ。子どもの頃とは全然違います」
「そうか」
「エリーゼも変わったな。前よりもずっと」
少し間を置いた。
「……綺麗になった」
さらりと言った。何でもないことのように。
エリーゼはまた、固まった。
「……今、なんと」
「そのままの意味だ」
エリーゼは少し俯いた。頬がまた熱くなった。
「だが、わんぱくな性格は、変わっていないな」
「え?」
「突拍子もないことをしたかと思えば、大事なことに全然気づかない。あの頃からそうだった」
エリーゼは顔を上げた。
「……それは私のことですか」
「ああ」
「失礼な……」
「事実だ」
ルーカスが、また少しだけ笑った。
エリーゼも、笑った。
廊下の窓から、冬の最後の光が差し込んでいた。二人の影が、石畳に並んで伸びていた。
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