第22話 「早退令嬢は、気にしない」
二学期が始まってから、二週間が経った。
学園の空気が変わっていることに、エリーゼは気づいていた。廊下の中心を歩く人間が変わった。食堂で声が集まる場所が変わった。一学期のうちに静かに変わって、二学期には、もうそれが当たり前になっていた。
イザドラ・カーレン。
同じ学年の侯爵家令嬢だった。存在は把握していたが、接点はほとんどなかった。でも今は、廊下を歩けばその笑い声が聞こえた。食堂に入れば、その周りに人が集まっていた。
(……なるほど)
エリーゼはそう思った。それ以上でも、それ以下でもなかった。
自分には関係のない話だった。今日も中庭に行って、本の続きを読もうと思っていた。
◇
午後の授業が終わって、エリーゼは廊下を歩いていた。
中庭に向かう途中、授業棟の前でざわめきが聞こえた。
何かと思って目を向けると、廊下の先にイザドラがいた。転校生に話しかけていた。
転校生はいつもと変わらない表情で立っていた。イザドラが何かを言うたびに、短く答えていた。でも、立ち去る様子もなかった。
エリーゼはしばらく、その様子を見ていた。
(……何か、話している)
それだけだった。特に気にならなかった。転校生が誰かと話すことを、エリーゼが気にする理由はなかった。
目を逸らして、廊下を歩き続けた。
◇
中庭に着くと、転校生はまだ来ていなかった。
エリーゼはいつものベンチに座って、本を開いた。
旅する少女は、最後の国の、最後の道を歩いていた。あと数ページで終わる。ゆっくり読もうと思っていたのに、気づくとページが進んでいた。
しばらくして、転校生が来た。
いつもと変わらない様子で、いつものベンチに座った。本を開いた。
「遅かったですね」
エリーゼは言ってから、少し驚いた。そんなことを言うつもりはなかった。
転校生が顔を上げた。
「少し話していた」
「イザドラ様と?」
「ああ」
それだけだった。
エリーゼは本に視線を戻した。
(……気にしなくていい)
そう思った。でも、なぜそう思ったのかが少し不思議だった。気にするようなことは、何もないはずだった。
風が吹いた。本のページが少し揺れた。
◇
翌日も、また翌日も、似たようなことがあった。
授業の後の廊下で、イザドラが転校生に話しかけていた。転校生は短く答えて、そのまま中庭に来た。エリーゼはそれを見て、何も言わなかった。
三日目、エリーゼは廊下でその様子をまた見かけた。
イザドラが笑っていた。楽しそうだった。転校生は相変わらず表情が変わらなかったが、会話は続いていた。
エリーゼは目を逸らして、先を歩いた。
(……別に)
そう思った。でも、その「別に」が、いつもより少し早く頭に浮かんだ気がした。
中庭のベンチに座ってから、本を開こうとして、少し止まった。
(……なぜ、気になるんだろう)
気になっていた。気になっていないつもりだったが、気になっていた。自分でも少し意外だった。
旅する少女の本を開いた。最後のページが、近かった。
◇
その日の中庭で、転校生がいつもより遅く来た。
転校生が座ってから少しして、自分から言った。
「イザドラ様と、よく話しているんですね」
「……見ていたのか」
「廊下で、何度か見かけたので」
転校生が少し間を置いた。
「話が合う部分もある」
エリーゼは本から顔を上げた。転校生はすでに自分の本に視線を落としていた。
(……話が合う)
その一言が、少しだけ頭の中に残った。転校生が誰かについてそういう言い方をするのを、エリーゼは聞いたことがなかった気がした。
エリーゼは本に視線を戻した。
(……あの人は、何を考えているんだろう)
学期末のパーティーで見た、あの笑顔が浮かんだ。楽しそうな、何かを手に入れようとしているときの笑顔。
エリーゼは少しだけ、そのことを考えた。
でもすぐに、本に視線を戻した。
旅する少女は、最後の道を歩もうとしている。
◇
放課後の廊下を、イザドラが令嬢たちと歩いていた。
「ヴァイセンベルク様って、本当に素敵よね」
令嬢の一人が言った。
「顔立ちも、立ち居振る舞いも。なのに全然近づけなくて」
「そうなのよ。こちらが話しかけようとしても、なんか近寄りがたいというか」
「それがまたいいのよね。簡単に手に入らない感じが」
イザドラは二人の会話を聞きながら、少し笑った。
「そうね」
それだけ言った。
廊下の窓から、中庭が見えた。
エリーゼと転校生が、それぞれのベンチで本を読んでいた。二人とも、何も話していなかった。でも、その沈黙が、外から見ても自然だった。
イザドラはしばらく、その光景を見ていた。
(……なるほど)
令嬢たちとの会話を続けながら、イザドラは廊下を歩き続けた。
口の端が、かすかに上がっていた。
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