第20話 「早退令嬢と、学期末パーティー」
※この物語の学園は二学期制です。
今日で、一学期が終わる。
その事実を、エリーゼは朝の支度をしながら静かに受け止めていた。
あの大広間で早退したのが、つい最近のことのように思える。でも実際には、あれから何ヶ月も経っていた。取り巻きがいなくなって、婚約が解消されて、一人で中庭に座るようになって、転校生が来て。旅する少女の本を読み始めて、孤児院に行って、夏季休みがあって。
ずいぶん、いろんなことがあった一学期だった。
(……悪くなかった)
鏡の前で、そう思った。令嬢の顔を作らずにいられる朝が、今はもう当たり前になっていた。
今夜は一学期末のパーティーだった。
◇
あの大広間での一件から、学園の空気は変わったままだった。
リナは、休み明けから今日まで、ひたすら静かに過ごしていた。廊下でも食堂でも、誰かに積極的に話しかけることもなく、かといって欠席もせず、ただいるだけという日々が続いた。クロード殿下も同じように姿を潜めていた。授業には出るが、余計な場には出てこなかった。
二人とも、今学期の残りをただやり過ごすように生きていた。
そして今夜、一学期最後のパーティーが来た。
◇
学期末の祝賀パーティー。
会場は、一学期を終えた生徒たちの解放感に包まれていた。
本来なら、私はこの会場の中心にいたはずだった。
ふわりと広がるドレスを纏い、困ったように眉尻を下げてみせれば、高貴な方々が競うように私をエスコートしてくれたはず。でも、今の私の周りには、冷たい空気だけが流れていた。
(……どうして。どうして誰も私を見ないの)
あの断罪劇の日から、私の武器はすべてガラクタになった。
あの日、イザドラが大広間で証言者を並べて公にしたあの内容が、学園中に広まっていた。日付、場所、私がそれぞれの殿方に囁いた言葉の数々。それがあまりに正確だったせいで、どんなに「誤解です」「嵌められたんです」と訴えても、誰も信じてくれなくなった。
今の私の一番の絶望は、責められることではなかった。
「透明な存在」として扱われることだった。
◇
「リナ嬢、少しよろしいですか」
声をかけてきたのは、かつて私のためにエリーゼに詰め寄ってくれた男子生徒の一人だった。
私は即座に、鏡の前で何度も練習した笑顔を浮かべた。今にも泣き出しそうな、儚げな笑顔を。
「はい……私、皆さんに顔向けできるような立場ではございませんが……」
これまでの成功体験が、私に最高の演技をさせた。でも、彼の目は少しも揺れなかった。それどころか、憐れむような、軽蔑するような冷めた視線が私を貫いた。
「いえ、事務的な連絡です」
彼が言った。
「あなたが受け取った贈り物の返還、あるいは相当額の弁済についての最終確認です。期日までに対応いただけますよう」
一拍置いた。
「……それと、その顔。もうやめた方がいいですよ。みんな、その表情が『計算』だと知っていますから」
それだけ言って、彼は去っていった。
心臓が、ドクンと跳ねた。
私の最大の武器だった「困った顔」が、今や「私は嘘つきです」と宣伝する看板に変わってしまった。
返還。弁済。
その言葉が、頭の中でじわりと広がった。贈り物は、もう手元にあるものではなかった。売ってしまったものもあった。相当額、という言葉の重さが、じわりと現実になっていった。
(……どうすればいい)
でも、今夜その答えを出せる頭が、もう残っていなかった。
◇
会場の中央では、イザドラ・カーレンが笑っていた。
令嬢たちに囲まれて、楽しそうに話していた。誰もがイザドラの方を向いていた。声をかけられた者が、嬉しそうに答えていた。今夜の大広間の中心は、イザドラだった。誰が決めたわけでもなかった。ただ、そうなっていた。
私はその光景を、会場の端から見ていた。
あの断罪の日から、ずっと考えていた。イザドラがなぜ動いたのか。なぜ私を選んだのか。
今夜の光景を見て、わかった気がした。
私が消えて、殿下が潜んで、そこに空いた場所に、あの人は立っている。
(……全部、計算だったのか)
でも、それを確かめる術も、覚える怒りも、今の私には残っていなかった。
◇
広間の端の方に、エリーゼがいた。
一人。誰かに囲まれているわけでも、誰かに話しかけられているわけでもなかった。グラスを持って、広間の灯りを眺めている。
でも、みじめそうではなかった。
エリーゼはもう、以前のような令嬢の仮面を被っていなかった。扇も持たず、気負いもなく、ただ静かに、そこにいた。その姿は、今の私よりずっと軽やかで、何より自由に見えた。
(……あの人は)
エリーゼのことが、今学期ずっと読めなかった。怒りで動く人間でも、感情で崩れる人間でもなかった。早退して、婚約を解消されて、孤立して、それでもただ自分の道を歩いていた。今夜も、広間の端で、それで構わないという顔をしていた。
視線を少し動かすと、転校生が見えた。
ヴァイセンベルク公爵家の嫡男だった。銀色の髪が灯りに照らされていた。その整った顔立ちに、何人かの令嬢がちらちらと視線を向けていた。話しかけたそうにしている者もいたが、近づけずにいた。転校生は特に誰かと話すでもなく、グラスを持ったまま広間を眺めていた。
少しして、転校生がエリーゼの方を見た。
それから、ゆっくりとエリーゼの方へ歩いていった。エリーゼが顔を上げ、二人が、何か話し始めた。
エリーゼは自然体のままだった。令嬢らしく振る舞おうとする気配が、どこにもない。転校生の隣で、ただそこにいるだけで、それが当たり前のようだった。
◇
そのとき、イザドラが輪から抜け出して、転校生の方へ向かっていく姿が見えた。
私は思わず、その動きを目で追った。
イザドラが転校生の前に立ち、にっこりと、楽しそうに笑った。
「ヴァイセンベルク様、今夜のパーティーにいらしていたのですね。少し意外でしたわ」
転校生が少し間を置いた。
「用があったので」
「まあ」
イザドラが少し笑う。それから、わざとらしくない自然な動作で、転校生の方へ半歩近づいた。
「今学期はゆっくりお話しする機会がなくて、残念でしたわ。ヴァイセンベルク様のことが、ずっと気になっていて」
転校生は特に反応しなかった。グラスを持ったまま、正面を向いている。
「来学期こそ、ぜひ色々とお話しさせていただきたいですわ」
イザドラがエリーゼをちらりと見た。ほんの一瞬だったが、確かに見た。それから、また転校生に視線を戻した。
「ヴァルドラン嬢、婚約破棄の後は少し大変だったようですし、お気の毒ですわね。もっと相応しい方と並んでいただければいいのに」
さらりとした声だった。嫌みというより、本当に何気なく言っているような口調だった。
転校生が、初めてイザドラを正面から見た。
「相応しいかどうかは、俺が決める」
短かった。それだけだった。温度のない、静かな一言だった。
イザドラが一瞬、目を細めた。それから、またにっこりと笑った。
「……そうですね」
一拍置いた。
「来学期こそ、しっかりと相応しい方を決めていただけるといいですわね。楽しみにしていますわ」
そう言って、踵を返した。その顔には、怒りも傷ついた様子もなかった。むしろ、勝ちを確信しているような、そんな表情をしていた。
輪に戻ったイザドラが、誰かと笑いながら話し始めた。何事もなかったかのように。
私はその一部始終を、遠くから見ていた。
(……なるほど)
イザドラが次に狙っているものが、今夜初めてわかった気がした。
◇
パーティーの音楽が鳴り響く中、私は一人、会場の隅に立ち尽くしていた。
どれほど涙を流しても、誰の袖も引けない。
どれほど言葉を重ねても、誰の心も動かせない。
自ら作り上げた嘘の上に積み上げてきたものが、今夜の大広間には何一つ残っていなかった。
窓の外に、夜空が見えた。星が出ていた。
でも今夜は、その光がひどく遠かった。
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※ようやく第一章(短編分)が終わりました!
ここまでお付き合いいただきありがとうございます!
第二章から完全に短編の続編となりますので、
よろしければ引き続き、お付き合いいただければ幸いです(^^♪




