第19話 「早退令嬢は、まだ何も知らない」
大広間でのことを、クロードは後から聞いた。
その日の放課後、セドリックが応接間に来た。珍しいことだった。
用があるときはたいてい廊下で済ませる。わざわざ部屋に来るときは、人に聞かせたくない話があるときだった。
「何かあったか」
クロードが聞いた。
セドリックが、少しの間黙った。
「本日、大広間でイザドラ・カーレン嬢がリナ嬢の件を公にいたしました」
私は動かなかった。
「……どういうことだ」
「令嬢たちへの孤立工作、複数の男子生徒への同種の言葉。証言者を連れてきて、全部大広間で明らかにしたとのことです。今ごろ、学園中に広まっているかと」
(……学園中に)
「なぜそんなことに。あの件はここだけに留めると、私が──」
「カーレン嬢が情報をどう集めたかは、まだはっきりとはわかりません。ただ、あの大広間での内容は……すべて正確でした」
クロードは少し止まった。
「……どこかで、聞かれていた可能性はあるか」
「否定はできません。応接室の外から聞いていた者がいたとすれば、説明はつきます。ただ、確証はないです」
しばらく、部屋が静かになった。
セドリックが一拍置いた。
「エリーゼ嬢の書類の話にも、触れておりました」
クロードが顔を上げた。
「私に、その書類を公開するよう求めてきました。広間の全員の前で」
「……お前はどうした」
「答えませんでした。否定もしませんでした」
また沈黙が落ちた。
「カーレン嬢は、答えないということは認めているのと同義だ、と」
私は椅子の背にもたれた。天井を少し見上げた。
(……全部、知られてしまったか)
応接室の中だけに留めておくはずだった話が、今日の昼に、大広間の全員の前に広がった。
「お前は……関係者に話したのか」
口から出てから、自分でも嫌な問いだと思った。
セドリックが、真っ直ぐ私を見た。
「しておりません」
一言だった。迷いがなかった。
「……そうか。すまない」
私は目を伏せた。
疑うべき相手を間違えていた。この期に及んで、また。
◇
翌朝から、空気が変わった。
廊下を歩いていると、声が聞こえた。
「……殿下、エリーゼ様との婚約を解消なさったのに、結局こういうことになって」
「エリーゼ様の方がよほどしっかりされていたのに、あれだけ庇って」
声は小さかった。でも、聞こえた。
別の廊下で、また聞こえた。
「殿下、あんな手口にかかってしまうなんて。王家として、大丈夫なのかしら」
「平民の出の方に、ずいぶんと上手く扱われてしまったのよね。殿下のご判断力って……」
私は歩き続けた。止まらなかった。止まれなかった。
一つひとつは小さな声だった。でも、廊下を歩くたびに聞こえた。いつもなら私に向けられていた好意ある視線が、今日は違う角度を向いていた。
民衆の声は、何か問題があるとすぐに流される。
(……支持が、落ちている)
肌でわかった。王族として育ってきた勘が、今の自分の立場がどのくらい傷ついているかを、正確に告げていた。
王家の名前が、今日の大広間の一件で軽くなった。それが、じわりと広がっていた。
◇
その日の昼、セドリックと二人で話した。
「しばらく、前に出ない方がいいと思っている」
私が言った。
「今の状況で動けば動くほど、話が大きくなる。王家としてこれ以上傷が広がることは避けなければならない。しばらく静かにしていようと思う」
「……賢明だと思います」
セドリックが短く言った。
「エリーゼ様への件は」
「それは」
少し止まった。
「今すぐに動くことはできない。だが、いずれ、きちんと言わなければならない」
セドリックは何も言わなかった。肯定でも否定でもなかった。ただ聞いていた。
「私は、ずっと間違えていた」
独り言のような声だった。
「エリーゼが事実を持ってきたとき、信じなかった。自分が見たいものだけを見ていた。そのせいで、エリーゼに余計な時間を過ごさせた」
窓の外に、青空が見えた。
「手の中に何もないことに気づいたのは、全部終わってからだった」
セドリックは答えなかった。
答えが必要な言葉ではないと、わかっていたからかもしれなかった。
◇
エルヴィン・バーウェル男爵令息は、その日から食堂で目立つ席に座らなくなった。
いつもなら友人たちと賑やかに過ごす昼の時間が、今日はクラウスと二人、隅の席だった。周囲の目が変わっていた。大広間での件で、二人の名前も出ていた。
「……エリーゼ様が、忠告しに来ていたな」
エルヴィンが、ぼそりと言った。
「ああ」
「あのとき、嫉妬だと思った。リナに対する嫌がらせだと思った」
「俺も同じだ」
クラウスが短く返した。
「あの方は、あの時点でもう気づいていたんだろうな。全部わかった上で、わざわざ忠告しに来てくれた」
「……なのに、俺たちは」
エルヴィンが言葉を止めた。続けなかった。続ける必要もなかった。
二人とも、食事に視線を落としたまま黙っていた。
向こうのテーブルから、小さな声が聞こえた。二人の話をしているようだった。聞こえた。聞こえないふりをした。
自分たちが見たいものだけを見て、都合よく信じてきた結果だった。それくらいは、わかっていた。
しばらくは、静かにしていようと、二人とも思っていた。
◇
同じ頃、中庭では。
エリーゼが本を読んでいた。
旅する少女は、また新しい町に入ったところだった。知らない景色の中を、一人で歩いていた。怖がらずに、前を向いて。
転校生がいつものベンチに来た。本を開いた。しばらく、二人とも黙って読んでいた。
風が吹いた。木の葉が揺れた。
「最近、家の方はどうだ」
転校生が聞いた。
エリーゼは顔を上げた。
「……少し、前に進んでいる気がします。夏に来てくださった後から、夕食の席の空気が変わって。父も母も、少しずつ話しかけてくるようになってきて」
「それはよかった」
短かった。でも、その短さがいつも通りで、エリーゼは少し可笑しかった。
「前に、取り戻せるものもあると言ってくれましたよね」
「言った」
「今は、少しそう思えています」
転校生が本から顔を上げた。エリーゼを見た。何も言わなかった。でも、悪くない間だった。
それからまた本に視線を落とした。
エリーゼも本に視線を戻した。
旅する少女が、新しい町の路地を曲がっていた。その先に何があるかはまだわからないが、足を止めなかった。
(……いい一日だ)
そう思った。特別なことは何もなかった。ただ本を読んで、隣に誰かがいて、風が吹いていた。
エリーゼは、まだ何も知らなかった。
自分が作った書類が、大広間で大きな場面を動かしたことも。リナの積み上げてきたものが今日崩れたことも。クロード殿下が廊下でひそひそと話題にされていることも。
まだ、何一つ知らなかった。
ただ、中庭にいた。本のページをめくりながら、次の一行を待っていた。
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