第18話 「ヒロインの、終焉」
朝から、嫌な予感がしていた。
昨日から続いている視線の重さは、今日も変わらなかった。廊下を歩けば誰かが避けた。食堂に入れば話し声が止まった。それでも私は笑顔を保った。崩してはいけない。ここで崩れたら、全部終わる。
(……まだ大丈夫だ)
自分に言い聞かせながら、大広間に向かった。
昼休みの大広間は、いつも多くの生徒が集まる場所だった。今日も変わらず、広い室内に生徒たちの声が響いていた。
私が入ると、周囲の空気が少し変わった。
いつものことだ、と思おうとした。でも今日はいつもより重かった。視線が多かった。しかも、誰もすぐに逸らさなかった。じっと見ていた。
(……何かある)
背筋に冷たいものが走った。でも、引き返すわけにはいかなかった。引き返せば、それ自体が何かを認めることになる。
前を向いて、歩いた。
◇
声がしたのは、広間の中央に差し掛かったときだった。
「あら、ちょうどよかった」
明るい声だった。よく通る、涼やかな声だった。
振り返ると、イザドラ・カーレンが立っていた。
白金色の髪。紫がかった灰色の瞳。昨日の廊下で見たときと同じ、楽しそうな顔をしていた。周囲の生徒たちが、その声に引き寄せられるように視線を向けた。
(……来た)
昨日からずっと感じていた「何かが起こる」という予感が、今この瞬間に形になった。
「皆さまにお集まりいただいてよかったわ。丁度いい機会ですもの」
イザドラが広間全体を見渡した。生徒たちがざわめいた。その視線が、私に向いていた。
「リナ様のことで、少し皆さまにお伝えしたいことがあって」
広間が静まった。
私は笑顔を保った。崩さなかった。崩せなかった。
「何のことでしょうか、イザドラ様」
「まあ、落ち着いて聞いてちょうだい」
イザドラが微笑んだ。楽しんでいた。この状況を、心の底から楽しんでいた。
◇
「夏季休みの間、少し調べさせていただいたの」
イザドラが言った。
「リナ様がこの学園で、どんなふうに動いてこられたのかを。思っていた以上に、興味深いことがたくさん出てきたわ」
「……調べた、とはどういうことですか」
「そのままの意味よ。気になることがあったから、確かめた。それだけのことよ」
イザドラが広間をゆっくりと見渡した。
「リナ様はこの学園で、多くの殿方と特別に親しくされていたようね。一人ひとりに、とても丁寧な言葉をかけて。でも、その言葉が……ほとんどの方に、同じものだったとしたら?」
広間がざわめいた。
何人かの男子生徒の顔が、強張った。見覚えのある顔だった。私が丁寧に関係を作ってきた相手たちだった。
「そんな……」
誰かが呟いた。
「俺にも、同じことを言っていたのか」
別の声が次々と続いた。
広間のざわめきが大きくなった。
(……まずい)
「それは誤解です。それぞれの方への言葉は、それぞれに思って」
「周りの男性たちの顔を見ますと」
「似た言葉、というには少し限度がありますわね」
イザドラが静かに遮った。
広間の空気が変わった。
◇
「他にもあるわよ」
イザドラが続けた。
今度は令嬢たちの方を向いた。
「リナ様に、仲良くしていただいていたと思っていた方、いらっしゃるかしら。でも、その前に誰かから変な噂を流されて、気づいたら孤立していた、という経験のある方は?」
広間の中で、複数人の令嬢が顔を上げた。
目が合った。私が、孤立させてから近づいた令嬢たちだった。
「……ええ」
一人が、静かに言った。
「私、リナ様が来てくださる前に、急に友人たちに距離を置かれて。なぜか分からなかったけれど、後から聞いたら、変なことを言われていたと。そこにリナ様が声をかけてくださって、あなただけが味方だと思っていました」
もう一人が続いた。他にも声が多数、上がる。
「私もそうです。リナ様に親切にしていただいていたのに、同じことを別の方にもされていたと最近聞いて。あのときの親切が、最初から計算されていたと思うと……」
声が詰まった。
(……止めなければ)
「それも誤解です! 私は何も──」
「リナ様」
イザドラが静かに言った。楽しそうな声だった。でも、その奥に何か鋭いものが混じっていた。
「証言してくださった方々の言葉も、でっちあげとおっしゃるの?」
「そうは言っていません。ただ、誰かに誘導されて」
「誘導。また面白いことをおっしゃるわ」
イザドラが少し首を傾けた。
「私はただ、事実を確認しただけよ。証言してくださった方々が自分の言葉でお話くださったことを、私がどう誘導できるというの?」
答えが出なかった。
でも、まだ終わっていない。まだ、逆転できる。
◇
「そもそも、この話の出所はどこなんですか」
私は声を上げた。
「イザドラ様がどこからこの情報を得たのか、それ自体が怪しいのではないですか。なぜ突然、夏季休みが明けてこのような場を設けるのか」
「あら、気になる?」
イザドラが微笑んだ。
「ならばちょうどいいわ。もう一つ、確認したいことがあるの」
イザドラが広間の端に視線を向けた。
セドリック・ランフォードが立っていた。
(……セドリック)
胸の奥で何かが落ちた。
「セドリック様」
イザドラが穏やかに声をかけた。
「以前、大広間でエリーゼ・ヴァルドラン嬢が読み上げようとした書類がございましたわね。床に落ちたものを、あなたが拾われたとお聞きしました。その書類、今ここで公開していただけませんか」
広間が静まり返った。
セドリックは何も言わなかった。
「セドリック様?」
イザドラが重ねた。
セドリックの表情が、わずかに固まった。答えなかった。
「……」
沈黙が続いた。
イザドラが、ゆっくりと広間全体を見渡した。
「お答えにならないということは」
一拍置いた。
「お認めになっていることと、同義ですわよね」
広間がどっとざわめいた。
(……駄目だ)
「ちょっと待ってください!」
声が大きくなった。
「あの書類はでっちあげです。エリーゼ・ヴァルドラン様が私を陥れるために作ったものです。あの方はずっと私に嫌がらせをしてきた方で、その方が作った書類なんて──」
「エリーゼ様」
イザドラが静かに遮った。
広間の空気が、また変わった。
「あの書類の精度については、セドリック様が黙ってらっしゃる。証言してくださった方々の話は一致している。そして今ここで、身に覚えのある方が何人もいらっしゃる」
イザドラが私を見た。
「この場を覆すには、今ここで一度でも疑いを持ってしまった方々を、もう一度完全に信じ直させなければならないわね。証言者がいて、状況が一致して、一度疑った人間を再度信用させることが、リナ様にできるかしら」
言葉が、出なかった。
できない。
それはわかっていた。一度疑われた信頼を、この場で取り戻すことはできない。積み上げたものが、今日一日で崩れようとしていた。
◇
「それと」
イザドラが続けた。声が、少し低くなった。
「リナ様って、クロード殿下に随分と近しくしていらしたのよね。エリーゼ様との婚約が解消された頃から、特に」
広間がざわめいた。
「殿下のお側に寄り添って、エリーゼ様との仲を引き裂いて。婚約まで白紙にさせて。それが全部、今日出てきたような手口でなされたとしたら」
イザドラが広間全体を見渡した。
「殿下も、ずいぶんと上手くやられたということになりますわね」
広間が静まり返った。
何人かが、あからさまに顔をしかめた。殿下への、あからさまな嘲りが、広間の空気の中に滲んだ。
(……殿下まで)
私のせいで、殿下まで。
でも、それを止める言葉が、もう出なかった。
イザドラが私の方に視線を戻した。
「平民の身分でよくここまで頑張られましたわね」
穏やかな声だった。労うような声だった。でもその言葉の意味は、労いではなかった。
「でも、ここまでのようですわ」
広間が、しんと静まった。
◇
広間の空気が、完全に変わっていた。
誰も私の方を正面から見なかった。見ても、すぐに目を逸らした。同情でも怒りでもなかった。ただ、関わりたくないという目だった。
(……誰も、いない)
一人ひとりに合わせて、丁寧に、慎重に積み上げてきた。誰にも疑われないように動いてきた。
それが今、この大広間で、全部崩れた。
イザドラが一歩引いた。もう私を見ていなかった。
関心が終わった人間に向ける目をしていた。それが、怒鳴られるより、責められるより、ずっと堪えた。
(……覆せない)
証言者がいた。状況が一致していた。一度疑いを持った人間たちの目が、もう戻らなかった。何を言っても、この場の空気はもう動かない。
今まで、誰にも疑われなかった。
なのに今日、全部終わった。
扉が、遠かった。
◇
どうやって大広間を出たのか、よく覚えていなかった。
気づいたら廊下にいた。足音がした。自分の足音だった。
廊下を歩く生徒たちが、私を見た。何人かが何か囁き合った。聞きたくなかった。
窓の外には、遠く暗い空が見えた。
(……終わった)
今度は、本当にそう思った。
廊下の端の柱まで歩いて、壁に手をついた。
手が、震えていた。足も、震えていた。
笑顔を作ろうとした。でも、どんな顔をすればいいのか、もうわからなかった。
廊下の向こうから、イザドラの明るい声が聞こえた気がした。
誰かと、楽しそうに話している。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
続きが気になる!と少しでも思っていただけたなら、
評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!
また次回でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)/
※短編とは異なる断罪シーンを描いてみました!
第一章(短編分)もそろそろ終了です(*‘ω‘ *)
もう少し、お付き合いいただけますと幸いです^^




