第11話 「ヒロインの、完璧な学園生活」
リナの学園生活は、完璧だった。
少なくとも、本人はそう思っていた。
平民出身の首席合格生。それだけで、この学園では異質な存在になる。最初からわかっていた。だから準備してきた。誰に何を言えば動くか。誰が何を欲しがっているか。それを見抜く目を、ずっと磨いてきた。
惨めな思いをしてきた過去があったから、磨けた目だった。それだけは確かだった。
「守りたい」人間には、守られる顔を見せる。
「認めてほしい」人間には、心から尊敬している顔を見せる。
「孤独だ」と思っている人間には、「あなたの気持ちがわかる」という顔を見せる。
嘘ではなかった。少なくとも、リナの中では。相手が欲しいものを与えるのは、優しさの一つの形だと思っていた。みんなが幸せになる。自分も生き残れる。それの何が悪いのかと、本気で思っていた。
◇
王立学園の首席合格が決まったとき、リナはまず学園のことを調べた。
どんな家の子弟が通っているか。誰が力を持っているか。どういう派閥があるか。貴族社会の地図を、入学前に頭に入れた。
そして入学初日、廊下を歩きながら、リナは確信した。
(……ここは、思っていた通りの場所だ)
絹のドレスが擦れる音がした。食堂には見たことのない料理が並んでいた。令嬢たちは笑うときにすら作法があって、扇を持つ角度まで決まっていた。
そして廊下の中心を、エリーゼ・ヴァルドランが歩いていた。
侯爵家の令嬢。黒髪に翡翠色の瞳。取り巻きを従え、顎を上げて、こちらを見もせずに歩いていく。
(……侯爵家か)
さぞ、いい暮らしをしてきたのだろう。
生まれたときから、全部揃っていたのだろう。
衣食住も、教育も、周りにいる人間の質も。惨めな思いなど、一度もしたことがないのだろう。
そしてクロード・フォルテ第二王子との婚約まで決まっている。
(私とは……何もかも、違う)
その感情に名前をつけることを、リナはしなかった。でも胸の奥で、何かが静かに燃えていた。
強気で偉そうで、さぞ人生が楽しいのだろう。
(……いつか)
リナは前を向いた。
いつか、逆転してみせる。そう思った。
◇
一回生の間、リナは目立たなかった。
意図的に、目立たなかった。
派手な動きをすれば、反発を買う。平民が首席で入学した時点で、嫉妬や侮りの視線は来る。それと正面からぶつかっても消耗するだけだ。
だからこの一年は、地盤を固めることだけに集中した。
まず、先生方に好印象を作った。成績は常に首位を維持した。授業中の発言は的確で、的外れなことを言わなかった。先生方から「あの首席の生徒は優秀だ」という評価が自然に広まるよう、丁寧に積み上げた。
次に、中立的な生徒たちへの足がかりを作った。困っている生徒を助けた。勉強を教えた。誕生日を覚えておいて、さりげなく声をかけた。「リナはいい子だ」という評判が、少しずつ広がっていった。
エリーゼの取り巻きたちには、近づかなかった。距離を置いて、嵐が来たらしおらしい顔をして、同情を集めた。
(……今はまだ、小さくいい)
リナはそう思いながら、一回生を終えた。
◇
二回生になると、リナは少しずつ動き始めた。
まず、令嬢たちの中に入り込んだ。感情で動く令嬢を一人ずつ見抜いて、その令嬢が欲しがっているものを見極めた。「認められたい」令嬢には、心から尊敬している顔を見せた。「孤独だ」と感じている令嬢には、「あなたのことだけわかります」という顔で近づいた。
一人ずつ、丁寧に。
リナへの好意が令嬢たちの間に広がるにつれ、学園の空気が少しずつ変わっていった。
「首席の平民生徒」から「親しみやすくて賢いリナ」へ。その変化を、リナは手応えとして感じていた。
そして、クロード殿下との接点を作った。
機会は、自分で作った。
殿下がよく通る廊下で、困った顔をしていた。重い荷物を持って、どこかへ急いでいるふりをした。殿下の性質は把握していた。「守りたい」という気持ちが人より強い。弱っている人を見ると放っておけない。
予想通り、殿下が声をかけてきた。
「大丈夫か」
「あ……ありがとうございます、殿下。少し、迷ってしまっていて」
その日から、殿下はリナのことを気にかけるようになった。
(……計画通り)
二回生が終わる頃、リナの周りには確かな味方ができていた。先生方の信頼、令嬢たちの好意、そして殿下との細い接点。一回生で蒔いた種が、二年かけてゆっくりと芽を出していた。
エリーゼから嫌みを言われるたびに、殿下がリナの側に来るようになったのも、この頃からだった。
◇
三回生になると、全てが形になった。
学園の中でリナの立場は確固たるものになっていた。先生方からの信頼、多くの生徒からの好意、そして殿下との近い距離。リナが「困った」と言えば誰かが助けに来る。リナが「嬉しい」と言えば周りが喜ぶ。
二年間をかけて作り上げた場所だった。
(……ここまで来た)
侯爵家の令嬢が何もしなくても持っていたものを、リナは二年かけて手に入れた。生まれではなく、戦略と努力で。
エリーゼ・ヴァルドランはまだ廊下の中心を歩いていた。取り巻きを従えて、顎を上げて。
(……あの人は、この二年間、何も変わっていない)
それが少し、おかしかった。
リナが積み上げてきた間、エリーゼはただ「令嬢」として振る舞い続けていた。生まれた場所にあぐらをかいて、婚約者がいて、家柄があって。それだけで、この学園のトップにいられると思っている。
(……いつか、全部逆転してやる)
その感情は、一回生の頃からずっと消えていなかった。
◇
大広間での出来事は、だから、リナにとって最大の勝利だった。
エリーゼが書類を読み上げながら、途中で止まった。扇を閉じた。深くお辞儀をした。
「早退させていただきます」
その言葉が広間に響いた瞬間、リナの胸の奥で何かが弾けた。
(……折れた)
ついに、折れた。
一学期を通じて何度も接触し、何度も殿下に庇ってもらい、何度も広間でやり込めた。それでも折れなかったエリーゼが、今日ついに出ていった。
いままでの積み上げが、今日ここで結実した。
(……もうあいつには味方がいない。フローラたちも離れる。殿下もエリーゼへの印象はよくない。今がその機だ)
リナは広間の中で、困ったような顔のまま立っていた。その顔の奥で、計算が静かに走っていた。
エリーゼが消えた。次は何をすべきか。
答えは、すでに決まっていた。
◇
数日後、廊下で殿下に声をかけた。
「殿下、少しよろしいですか」
場所を移した。リナは少しだけ目を伏せてから、静かな顔で言った。
「あの大広間の件から……少し、気持ちが落ち着かなくて」
「そうか。無理はするな」
「はい。ただ、殿下がいてくださるから、頑張れています……」
殿下の表情が、少し柔らかくなった。リナはその変化を見逃さなかった。
それから何日か、同じことを繰り返した。疲れた顔を少しだけ見せた。「殿下がいてくれるから」という言葉を、形を変えながら何度か使った。
何も要求していない。何も言っていない。
ただ、殿下の隣に、それを必要としている顔で立っていた。
それだけで、殿下は動いた。
◇
ある日の廊下で、殿下がリナを呼んだ。
「エリーゼとの婚約を解消することにした。リナには、関係のある話だと思って」
リナは少し間を置いてから、静かに目を伏せた。
「……そうですか」
「驚かないのか」
「少し、感じていましたので」
それだけ言った。「感じていた」という言葉は本当だった。
「クロード殿下もお苦しそうでしたので……」
殿下が続けた。
「エリーゼのことは、俺が間違っていた部分もあったかもしれない。でも、リナが傷ついてきたことも事実だ」
「……殿下」
リナは顔を上げた。目が少し潤んでいた。泣きそうな顔ではなく、何かをこらえているような、そういう顔だった。
「私のことを、そんなふうに思ってくださっていたんですね」
「当然だ」
殿下がそう言った瞬間、リナの胸の奥で何かが静かに広がった。
(……殿下は、自分で決めたと思っている)
それでよかった。リナは何も言っていない。ただそこにいただけだ。殿下が「守りたい」と思うたびに、隣にいただけだ。
「私がいますから大丈夫ですよ」という言葉を、一度も口にしていない。でも殿下には、そう伝わっている。それが、一番綺麗な形だった。
リナは少しだけ目を伏せた。
「……私には、もったいないお話です」
殿下が「そんなことはない」と言いかけた。リナはそれを遮らなかった。遮らないことで、続きを言わせた。
「殿下のそばにいられるなら、どんな立場でも」
それだけ言った。それ以上は言わなかった。
言いすぎないことが、一番雄弁だとリナは知っていた。
殿下の表情が、少しだけ変わった。リナはその変化を見て、静かに思った。
(……種は蒔いた。あとは育つのを待てばいい)
二年間の積み上げが、今、正しく動いている。
(……学園に入学して、ようやくここまで来た)
◇
ただ、一点だけ気になることがあった。
エリーゼが早退した日の、大広間でのことだった。
書類が床に散らばったとき、セドリック・ランフォードがそれを拾い上げた。リナはそれを見ていた。
(……あの書類を、読んだ)
セドリックは殿下の側近だ。
気になったので、数日後に声をかけた。
「セドリック様、最近お忙しそうですね。何かございましたか」
「別に。いつも通りだ」
短かった。それ以上は返ってこなかった。
(……はぐらかされた)
リナは少し間を置いてから、もう少し踏み込んでみた。
「大広間の後、何か調べていらっしゃるのかと思って。エルヴィン様やクラウス様と話していらっしゃるのを見かけたので」
「ただの雑談だ」
セドリックはそれだけ言って、歩き去った。
(……雑談ではない)
確信があった。エルヴィンとクラウスの、あの顔の変わり方は「雑談」ではなかった。何かを聞かれて、何かを思い出して、困惑した顔だった。
しかし、それ以上はわからなかった。
(……大丈夫だ。エリーゼはもういない。殿下との婚約解消も動いた。今の私の立場を崩せる材料は、誰にもないはずだ)
リナは自分に言い聞かせた。
でも。
エリーゼの目が、頭の端に浮かんだ。怒りでも悔しさでもなく、ただ静かに全部を見ていた、あの目。あの目が一学期の間、何を見ていたのかを考えると、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
危険な芽は、早めに摘んでおくべきだ。
(……もう少し、様子を見よう)
でも今のリナには、その芽がすでに花が咲き始めていることはまだ知らなかった。
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