第8娯楽
その勇者は、最初から不機嫌だった。
「……で? ここが例の魔王城?」
ダンジョン入口で腕を組み、壁にもたれたまま動こうとしない。
見ただけで不機嫌だと分かる。
装備は一級品。
立ち姿に隙がなく、視線だけで周囲を測っている。
――手練れだ。
「噂は耳にしておられますか?」
ヴァルドが静かに問う。
「してるよ。
“倒されない魔王城”だっけ?」
鼻で笑った。
「“楽しい”とか、“帰りたくなくなる”とか。
……くだらない」
その場にいた魔族たちは、何も言い返さなかった。
慣れている。否定されることには。
「大方、勇者を油断させるための演出だろ?」
勇者はゆっくりと入口を見上げる。
「もしくは、たまたま当たりを引いた奴が盛ってるだけ」
そして、一歩踏み出した。
「――確かめに来た」
●
通路は静かだった。
派手な演出も、煽るような音もない。
「……拍子抜けだな」
勇者は周囲を見回しながら歩く。
「もっとこう、“おもてなし感”あるのかと思ったけど」
応答はない。
少し進むと、三つの通路に分かれた。
・淡く光る通路
・無音の通路
・やたら装飾が派手な通路
勇者は足を止める。
「……選べってことか?」
壁に小さく文字が刻まれていた。
――進路は、ご自由に。
「強制も誘導もなし、か」
鼻で笑う。
「どうせ、どれ選んでも同じなんだろ」
そう言いながら、あえて一番地味な「無音の通路」を選んだ。
数分歩いても、何も起きない。
魔物も、罠も、演出もない。
「……やっぱりな」
つまらなそうに呟き、引き返そうとした、その時。
角を曲がった先に、小さな部屋があった。
中には、魔族が一人。
床に座り、壊れたランタンを分解している。
「……?」
勇者が覗き込むと、魔族はびくりと肩を跳ねさせた。
「あっ……えっと……」
慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。
「お、お通りの際は、どうぞお気をつけて……!」
それだけ言って、また床に座り込んだ。
「……襲わないのか?」
「は、はい……本日は、点検日で……」
言い訳のような声だった。
勇者は少しだけ黙ったあと、床の部品を指差した。
「それ、向き逆じゃない?」
「……え?」
「ほら、そこ。
そのままだと魔力の流れ、詰まるぞ」
魔族は、目を丸くした。
「……あ」
恐る恐る部品を直す。
ランタンが、ふっと柔らかく光った。
「……ついた……」
魔族はしばらくそれを見つめたあと、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
それだけだった。
特別な演出も、称賛もない。
ただ、自然な礼。
勇者は何も言わず、部屋を出た。
歩きながら、眉がわずかに寄っていた。
●
玉座の間。
「現在、その勇者様は第二層を巡回中です」
メルキオの報告。
「態度は?」
「懐疑的です。
ですが……観察が、非常に丁寧です」
「否定するために来た、って顔だな」
「はい」
ヴァルドが静かに付け加える。
「……ですが」
「?」
「その割に、足取りが遅い」
俺は、それを聞いてわずかに笑った。
●
三時間後。
勇者は、まだ城にいた。
「……おかしい」
誰に言うでもなく呟く。
「罠がない。
誘導もない。
盛り上げようとしてる気配もない」
なのに。
退屈ではない。
何も“起きていない”のに、
なぜか、時間が過ぎている。
「……帰るか」
そう言って、出口の方角へ歩き出した。
――はずだった。
気づけば、足は別の通路に向いていた。
「……あれ?」
自分で自分の行動が分からない。
「……もう少しだけ、見てから帰るか」
言い訳するように、そう呟いた。
●
夕刻。
休憩スペース。
勇者は無言で椅子に座っていた。
湯気の立つカップを前に。
誰も話しかけない。
誰も歓迎しない。
ただ、そこに居られる。
しばらくして、ぽつりと呟いた。
「……盛ってないな、これ」
リリアが、ほんのわずかに目を伏せた。
「噂……」
勇者はカップを見つめたまま言う。
「誇張だと思ってた。
たまたま、運が良かっただけだと思ってた」
少しだけ、口角が上がる。
「でもこれ……」
一拍置いて、続けた。
「……ハマるやつだ」
誰も、拍手しない。
誰も、喜びを露わにしない。
ただ、その言葉を静かに受け取った。
勇者は立ち上がる。
「……じゃ」
一歩、歩き出す。
出口の方向ではない。
別の通路へ。
「もうちょっと、見てく」
それだけ言って、姿を消した。
●
玉座の間。
「……どうやら」
メルキオが静かに言う。
「“否定しに来た勇者”が、
最も深く入り込みました」
俺は、玉座に深く背を預けた。
「……だろうな」
噂は、信用されすぎてもいけない。
疑われるからこそ、確かめに来る。
確かめに来た者が、残る。
――最も厄介で、
――最も強固な、拡散装置。
「……噂は、操れない」
だからこそ。
「……勝手に、育つ」
こうして、第8娯楽は成立した。
噂を否定しに来た勇者が、
最も深く、魔王城に居着いた日だった。




