第5娯楽
勇者は、帰らなかった。
正確には――
帰ろうとしなかった。
「……もう一周していい?」
ダンジョンの分岐点で、勇者は軽く問う。
「構いません」
ヴァルドは深くお辞儀をした。
「こちらは常時開放しております」
「いいねぇ。気が利いてる」
剣を肩に担ぎ、勇者は引き返す。
戦闘はない。
命の危険も、ほとんどない。
だが、退屈もしない。
「なんかさ」
歩きながら、勇者が言った。
「前まではさ、魔王城って“来たら終わり”って感じだったんだよね」
「と、いいますと?」
「強いか弱いかは置いといて、やること決まってて、先の展開も読めててつまらんかった」
ふと勇者は足を止める。
壁の装飾を眺めながら更に続ける。
「ここは違う」
勇者はきっぱりと言った。
「先が分からない」
●
玉座の間。
報告を聞きながら、俺は黙っていた。
「現在、勇者様はすでに何度目かの周回に入られています」
メルキオの声は、いつも通り淡々としている。
「離脱の兆候は?」
「見られません」
「……そうか」
胸の奥で、何かが静かにほどけていくのを感じた。
その瞬間――
ふと、過去の光景が脳裏をよぎる。
かつて一度だけ。
本当に一度だけ。
――勝てると思った瞬間があった。
四天王の連携が、完璧に噛み合った日。
勇者は膝をつき、剣を落とした。
あと一手。
その瞬間。
世界が、止まった。
音が消え、時間が凍りつく。
そして、声がした。
――《勇者補正、緊急再計算》
次の瞬間、
全てがひっくり返った。
あの日に俺は全てを悟った。
勇者は負けない。
●
「魔王様」
リリアの声にはっとする。
「勇者様が……その」
「何だ」
「休憩スペースで、くつろいでおられます」
「……くつろいで?」
「はい。お茶を飲みながら」
少しだけ、間が空いた。
「……帰る気は?」
「今のところ」
リリアは困ったように微笑んだ。
「なさそうです」
●
休憩スペース。
「いやー、助かるわ」
勇者は椅子に深く腰掛け、伸びをした。
「外、せかせかしてるしさ」
「……ここは、せかせかしておりませんか」
「うん」
勇者は即答した。
「誰も“倒せ”って言わないし」
「……」
「倒されろ、とも言わない」
カップを傾ける。
「ちょうどいい」
その言葉に、誰も返せなかった。
「魔王さ」
勇者が不意に言う。
「ここ、続けなよ」
そう言いながら勇者は城を指した。
「戦わなくていい。でも、無くならない。居心地がすっごくいいんだ」
それだけ言うと勇者は立ち上がり、剣を背負う。
「また来るから」
そう言って、歩き出した。
出口へ――向かわなかった。
別の通路へ、進んでいった。
「……帰らないな」
「帰りませんね」
ヴァルドが、淡々と告げる。
「想定内か?」
「いえ」
メルキオが言った。
「ですが――成功です」
俺は、ゆっくりと玉座に身を沈めた。
勝てない。
それは、変わらない。
だが。
「……居場所は、作れる」
誰に向けた言葉でもなく、そう呟く。
こうして、第5娯楽は成立した。
勇者は帰らず、
魔王城は“滞在する場所”になった。
そして俺は、確信する。
この城はもう、
滅びを待つ城ではない。
選ばれる場所だ。




