第19娯楽
魔王城は今日も穏やかだった。
廊下では人間の子どもが魔族の子に文字を教え、
中庭では元兵士が鍬を振るい、
厨房では誰が決めたわけでもなく、当たり前のように「皆の食事」が作られている。
争いはない。
怒号もない。
命令もない。
ただ、人がいて魔族がいて、
それぞれが「ここにいていい」と思っている空気だけがあった。
――完璧な居場所。
それが魔王城だった。
●
「……変わらないな」
メルキオは城壁の上から城内を見下ろしていた。
穏やかだ。
あまりにも穏やかすぎる。
人々は笑っている。
安心している。
ここが壊れるはずがないと、無意識に信じている。
だからこそ、怖かった。
「……気づかれていない。というのは……最も危険だ」
背後の足音だけでメルキオは振り返る。
「メルキオ様、報告です」
声の主は、城の整備を任されているユウトだ。
魔王城に流れ着いた元難民の1人である。
「南棟の水路がまた詰まってました。昨日直したばかりなのに」
「……そうですか」
メルキオは青年の顔を静かに見た。
嘘はない。
だが、違和感がある。
“詰まっていた”のではなく、
“詰まらされていた”可能性。
だが、証拠はない。
「……ご苦労様でした。修理の人員は増やしましょう」
「はい!」
ユウトは笑顔で去っていった。
何も知らない笑顔だった。
●
城の奥。
誰も使わなくなった資料庫のさらに奥。
埃の積もった扉の向こうで、2つの影が静かに向き合っていた。
「……報告しろ」
「南棟、水路への干渉は成功。だが、即日修復された」
「想定内だ。ここは“壊す”ための城じゃない」
「……分かっている。“止める”ための城だ」
2人は小声で言葉を交わす。
その瞳には、魔族への憎悪も、人間への義憤もない。
ただ、任務だけがあった。
「魔王城の“心臓部”を探れ」
「人の流れ、資源の中枢、意思決定の中心……」
「この城は、“居場所”という思想で成り立っている」
「ならば――そこを断てば崩れる」
そう言って、影は再び闇に溶けた。
●
その夜。
広間では小さな宴が開かれていた。
誰かの誕生日だったわけでも、祝日だったわけでもない。
ただ、「今日は皆が揃っているから」という理由だけで。
「ねえ見て! 私、字が書けるようになったの!」
「すごいじゃないか!」
「このスープ、今日ちょっと濃くない?」
「文句言うなら作れよー!」
笑い声が響く。
人と魔族の区別は、もはやほとんど意味を持っていなかった。
その端で、メルキオは静かにその光景を見つめていた。
守りたいと思った。
心から。
だが同時に理解していた。
――これは、“壊す価値がある”と思われてしまった場所なのだと。
居場所は、力になる。
力は、脅威になる。
脅威は、排除される。
それが、この世界の理だった。
「……始まっていますね」
呟きは誰にも聞かれなかった。
だが、確かにこの日。
魔王城の内部では、
“見えない戦争”が始まっていた。
まだ誰も傷ついていない。
まだ誰も死んでいない。
それでも――
運命の歯車は、確実に軋み始めていた。




