第15娯楽
その日、城門前は異様な空気に包まれていた。
風の匂いが重い。
いつもなら感じない、鉄の気配が混じっている。
「……来ました」
城壁の上に立つ見張りの魔族が静かに告げた。
俺はゆっくりと城門の方へ視線を向ける。
遠くに砂煙が上がっている。
砂煙の手前には人の列も見える。
整った歩調。
揃えられた装備。
掲げられた旗。
王国正規軍――討伐部隊。
「……ついに来たか」
宣戦布告はなかった。
交渉もなかった。
猶予すらない。
軍が隊列を組んでゆっくりと着実に魔王城へと進む。
魔王城はついに「排除対象」になった。
その事実が、城内にも静かに染み込んでいく。
●
部隊は城門前で足を止めた。
数はおよそ三十。
精鋭と呼ばれる者たちだろう。
隊列の前に立つ隊長らしき男が一歩前に出る。
くるくる。と巻紙を広げて読み上げる。
「――魔王に告げる」
拡声の魔道具を通した声が城門を打つ。
「魔王城は、世界秩序に対する脅威と認定された」
「よって本日より、城の制圧及び思想拠点の解体を開始する」
思想拠点。
そう呼ばれる日が来るとは思っていなかった。
「抵抗する者はすべて“敵”として処理する」
「民間人であっても例外ではない」
男は、以上。と最後に短く切り、巻紙を再びくるくる。と丸めて懐にしまった。
……なるほど。
“救われた人間”は、もう民間人ではないらしい。
●
城内は異様な静けさに包まれていた。
門の外に討伐部隊が来ていることを、誰もが知っていたからだ。
だが、逃げる者はいなかった。
休憩スペースの片隅で、セインが膝を抱えて座っていた。
その向かいには勇者。
「……なあ」
セインが小さく言った。
「……俺、やっぱり……出ていった方がいいかな」
そう発する声は震えていた。
「……俺がいるとさ」
「……“思想汚染”の証拠になるんだろ?」
勇者がゆっくりと顔を上げる。
「……誰に言われた?」
「……門の外で……聞こえたんだよ……」
「……“ここに来るやつは全員、狂ってる”って」
そう言ってセインは、自嘲気味に笑った。
「……ああ、そっかって思った」
「……やっぱり俺、間違ってたのかなって」
指先が強く震えている。
「……ここにいたいって思った俺が……」
「……やっぱり、おかしいのかなって……」
セインがそう言い終わると、勇者は静かに立ち上がり、セインの前でしゃがみ込んだ。
「……セイン」
「……な、なんだよ……」
「……俺さ」
勇者の声は、驚くほど落ち着いていた。
「……外の世界に戻って、正しいって言われる方が……」
「……よっぽど、怖くなった」
セインの目が揺れる。
「……ここにいるとさ」
「……弱くてもいいって分かるだろ」
「……う、うん……」
「……泣いてもいい」
「……逃げてもいい」
「……役割を投げても、生きてていい」
ゆっくりと、言葉を重ねる。
「……それを“狂ってる”って言うなら」
勇者は、はっきりと告げた。
「……狂ってるのはたぶん、外の方だ」
セインの喉が詰まる。
「……でも……」
「……このままだと……ここが……」
「……壊されるかもしれない」
セインが震えながら言った。
「……俺のせいで……」
その瞬間。
「違う」
即答だった。
「……誰のせいでもない」
勇者はまっすぐに言った。
「……これは世界が選んだだけだ」
そしてすくっと立ち上がって窓の外、城門の方を見る。
「……だから」
そのまま勇者は小さく息を吐いて話しを続けた。
「……俺たちは俺たちで選ぶだけだ」
セインが顔を上げる。
「……何を……?」
その問いに勇者は静かに答えた。
既に答えが出ているだろ。と言わんばかりに。
「……ここに残るかどうか」
セインの胸が強く脈打った。
ここに、残る。
壊されるかもしれない場所に。
責められるかもしれない場所に。
世界から否定されるかもしれない場所に。
それでも。
――それでも、ここがいいと思ってしまった。
「……俺……」
声がかすれる。
喉はカラカラだ。
「……ここが……いい……」
それだけだった。
それだけなのに、人生でいちばん重い選択だった。
勇者は小さく笑った。
「……あぁ」
優しく頷く。
「……それでいい」
●
城門前。
討伐部隊が門を打ち破ろうと魔導具を構えていた。
そのとき。
城門が内側からゆっくりと音を立てて開いた。
部隊の動きが止まる。
同時に攻撃態勢を取った部隊は、さすがである。
中から1つの影が現れ、一気に緊張が走る。
が、しかし。
その魔族はフードもかぶっていなければ、武器も構えていなかった。
メルキオは真っすぐに立つだけだった。
明らかに敵意を感じない。
隊長が目を細める。
「……四天王の1人か」
「……はい」
メルキオは静かに頭を下げた。
「本日は、ようこそお越しくださいました」
その礼儀正しさに、部隊の何人かが戸惑った。
隊長が眉をひそめる。
「……ふざけているのか?」
「……いいえ」
メルキオは顔を上げる。
「確認させてください」
「……何をだ」
「貴方方は、“思想の排除”を目的に来られたのですね?」
「そうだ」
「……では」
静かな声で、問いが落とされた。
「この城に来てから、“戦う意思を失った者”はいますか?」
隊長が言葉に詰まる。
部下たちが、わずかにざわめいた。
「……何を言っている」
「……もしも、です」
メルキオは、穏やかに続ける。
「もしもこの城の中に、“誰かを救った者”がいたとしたら」
「もしもこの城で、“生きたいと思い直した者”がいたとしたら」
その場の空気がわずかに揺れる。
「それでも、ここは“悪”なのでしょうか?」
問いは攻撃ではなかった。
だが、刃よりも鋭かった。
誰も答えられなかった。
全員が沈黙する中で、隊長だけが低く言った。
「……我々は命令で動いている」
「……そうでしょうね」
メルキオは静かに頷いた。
「ですが――」
一歩、前に出る。
「この城にいる者たちは、」
メルキオが片手を胸に当てたまま、反対の手を広げて魔王城に向ける。
「“自分の意思で”ここにいます」
広げた手を下に下げながら大げさなお辞儀をした。
メルキオの言葉は、確実に部隊の胸を打った。
誰かが小さく呟いた。
「……自分の意思で……」
その声は、誰にも否定されなかった。
●
こうして第15娯楽は成立した。
世界が、初めて“武力”をもって魔王城に触れた日。
だが同時に、討伐部隊の一部が、
「この場所は、本当に潰すべきなのか」
と、初めて疑問を抱いた日でもあった。
魔王城は、ただ守られる場所ではなくなった。
そこに立つだけで、誰かの心に問いを残す場所になっていた。
――優しさが、
世界を揺らし始めていた。




