第14娯楽
異変
異変は、いつも静かに始まる。
それは雷鳴でもなければ、宣戦布告でもなかった。
ただの報告書の束だった。
だが、その重さは紙の量だけの話ではなかった。
目の前に積まれた書類の山を1枚ずつめくりながらポツリと言う。
「……減っているな」
その言葉にメルキオは隣で静かに頷いた。
「はい。各地の戦線にて志願兵の数が明確に減少しております」
「勇者の周辺は?」
「……特に顕著です」
紙面に目を落とす。
“前線配置、拒否”
“任務辞退”
“精神的不調による離脱”
“理由:休養を希望”
どれもこれも、ほんの数ヶ月前までは存在しなかった報告だった。
「……変わったな」
ぽつりと漏れた。
かつてこの世界では、“休む”という選択肢は存在しなかった。
あるのは役割だけ。
果たすか、壊れるか、その二択だった。
だが今は違う。
「……皆、“知ってしまった”のです」
メルキオが言った。
「ここに来れば、戦わなくても許されるということを」
「役割を果たさなくても、否定されないということを」
俺は目を閉じた。
――やはり、か。
居場所を作った。
ただそれだけのつもりだった。
だがそれは、
「この世界の常識」を静かに破壊し始めていた。
コンコン、と扉が叩かれる。
「……失礼します」
現れたのは、城の文官だった魔族だ。
その手には、いつもより分厚い封筒を持っている。
「……王国側より正式な通達が届いております」
「……内容は?」
一瞬、魔族の喉が動いた。
「……魔王城を、“思想汚染拠点”と認定する。と」
空気が静かに凍った。
●
通達
通達文は丁寧な言葉で書かれていた。
あまりに丁寧で、あまりに冷たかった。
魔王城における近年の活動は、
人々の責務意識を著しく低下させ、
社会秩序に重大な悪影響を及ぼしている。
特に、
「役割を果たさなくても良い」
「期待に応えなくても生きていて良い」
という思想は、極めて危険である。
よって、魔王城を
“世界秩序に対する思想的脅威”と認定する。
最後の一文を読んだとき、俺は小さく息を吐いた。
「……なるほど」
武力じゃない。
討伐でもない。
思想の排除。
つまりこれは、
「……優しさが敵になったということか」
メルキオは何も言わなかった。
だが、その沈黙が肯定だった。
●
変化
その日から、城の空気がわずかに変わった。
外から来る人間が減ったわけじゃない。
むしろ、増えていた。
だが、来る者たちの表情が変わっていた。
どこか怯えている。
どこか罪悪感を抱えている。
「……ここに来てるのがバレたらまずいんだ」
ある兵士はそう言った。
「……家族に言えないんです」
「……上官に知られたら、たぶん……」
誰も口には出さないが、
皆わかっていた。
“ここに来ること自体が罪になり始めている”と。
それでも、彼らは足を運ぶ。
なぜなら。
「……それでも、ここしかないから」
その言葉がやけに重くなってきていた。
●
選択
休憩スペースの隅で、勇者は1人座っていた。
カップにはもう手をつけていない。
「……なあ」
勇者は声をかけながらゆっくりと顔を上げた。
「……魔王」
「聞いてるか?」
「……ああ」
俺は短く返事をする。
「……俺さ」
勇者は、視線をカップに再び落とした。
「……最近、王国からの伝令、全て無視してる」
「……そうか」
「……そのうち、“裏切り者”って呼ばれると思う」
声は驚くほど静かだった。
「……怖くないのか?」
俺が不思議そうに訊くと、勇者は少しだけ笑った。
「……怖いよ」
きっぱりと断定した。
「……でもさ」
顔を上げる。
「……ここを知ったあとで、“前と同じ顔”はできない」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなった。
「……あいつらに戻れって言われても」
「……誰かを追い立てる側に戻れって言われても」
ここで勇者は一度言葉を区切る。
そのまま首を横に振った。
「……無理だ」
はっきりとした拒絶だった。
世界ではなく。
王国ではなく。
勇者は今、ここを選んでいる。
「……魔王」
「なんだ」
「……俺は、たぶん……」
少しだけ言葉を探してから、言った。
「……世界よりも、こっちを守りたい」
その瞬間。
確信した。
もう後戻りはできない、と。
●
決断
夜、玉座に座りながら考えていた。
居場所を作った。
誰かが救われた。
それだけなら、それでよかった。
だが現実は違った。
居場所は広がった。
思想になった。
選択肢になった。
価値観になった。
そして今。
「……敵になった、か」
誰に対して?
世界に対して。
だが、それでも。
思い出すのは、
泣きながら「ここにいていい」と言われて崩れたセインの顔。
何も求められないことに、戸惑いながら笑った兵士たち。
「生きてていい」と初めて理解した人々の声。
それらを、なかったことにする世界なら。
「……それでも、俺はここを選ぶ」
小さく、だが確かな声で言った。
魔王としてではなく。
支配者としてでもなく。
ただ、“居場所の主”として。
「……たとえ、世界が敵でも」
玉座の奥で、静かに覚悟が固まった。
●
こうして、第14娯楽は成立した。
居場所が、
優しさが、
救いが、
世界にとって「異物」になった日。
人々は知った。
選ばれなくても生きていていい世界が存在することを。
そして同時に、
その世界が「守られなければならないもの」になったことを。
魔王城は、もはやただの避難所ではない。
思想の拠点。
価値観の象徴。
そして――
世界と対立する場所になった。
いや――正しくは世界の側が、この場所を恐れ始めたのだ。




