第13娯楽
その青年は剣を持っていなかった。
防具もない。
魔導具もない。
あるのはくたびれた外套と、底の擦り切れた靴だけ。
城門の前に立った青年は、しばらく動かなかった。
「……ここが魔王城……」
声はひどく乾いていた。
青年の名はセイン。
元・勇者候補。
かつては勇者を育てるための施設にいて、期待されていた少年だ。
才能はなかった。
だが努力はしていた。
誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで訓練していた。
故に信じていた。
いつかは報われると。
努力はきっと誰かが見てくれていると。
――あの日までは。
●
「……努力は評価するよ。でもね」
その人は、困ったような苦笑いを浮かべていた。
「“選ばれなかった人”に、これ以上の席はないんだ」
言葉は柔らかかった。
声も、責める調子ではなかった。
だからこそ、セインには理解できなかった。
努力が評価されるのならば、どうして席がないのか。
訊ねることすら許されぬまま、部屋から出された。
別の日には、もっと端的に告げられた。
「君は、勇者になれなかった」
「それだけのことだよ」
それだけ。
それまでの人生も、
費やした時間も、
すべてが“処理”された。
●
セインは城門を見上げていた。
「……倒されに来たんだ」
セインの呟きが風に運ばれていく。
勇者になれなかった者に役割はない。
ならせめて。
魔王に倒される「意味のある死」なら、
自分にも価値が残るかもしれないと思った。
だからここに来た。
だが。
門をくぐっても何も起きなかった。
魔物は襲ってこない。
警報も鳴らない。
誰も剣を構えない。
すれ違う魔族たちは、ただ軽く会釈するだけだった。
「……?」
混乱のまま歩き続け、気づけば休憩スペースに辿り着いていた。
椅子。
温かい飲み物。
静かな空気。
「……違う……」
想像していた場所と何もかもが違う。
「……こんなの……」
ここは処刑場じゃない。
終わりの場所でもない。
ただの――居場所だ。
戸惑ったままセインは椅子に座った。
その時。
「……久しぶりだな」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げる。
そこに立っていたのは、かつて同じ訓練場にいた少年だった。
いや、もう少年じゃない。
剣を背負い、疲れた顔をしながらも、どこか柔らかくなった青年。
――勇者。
「……セイン?」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が強く跳ねた。
「……生きてたんだな」
その言葉になぜか胸が詰まった。
「……なんでここにいるんだ?」
勇者が椅子に腰を下ろす。
セインはしばらく答えられなかった。
やがて、小さく口を開く。
「……倒されに来た」
「……は?」
「……魔王に」
「……意味のある死なら、もらえるかと思って」
言い終えた瞬間、視線を逸らした。
情けなさで、顔を見られなかった。
しばらく沈黙が落ちた。
やがて、勇者が静かに言った。
「……それ、お前が決めたのか?」
「……」
「それとも、誰かに言われたのか?」
セインの喉が詰まった。
「……言われた」
絞り出すように言う。
「……努力は評価するけど、席はないって」
「……勇者になれなかった、それだけだって」
言葉にした瞬間、胸の奥が崩れた。
「……俺、ちゃんとやってたんだぞ」
「……手、抜いたことなんて、一度もなくて」
「……それなのに……」
声が震え始める。
「……選ばれなかっただけで……全部、なかったことにされて……」
止められなかった。
「……だったら、もう……」
「……生きてても、意味ないじゃないか……」
顔を覆った。
肩が震える。
言いたくなかった。
見せたくなかった。
でも、止まらなかった。
すると、勇者の声がひどく静かに落ちてきた。
「……セイン」
優しい声だった。
「……ここではさ」
「……“選ばれたかどうか”なんて、誰も気にしてない」
セインは顔を上げた。
「……え?」
「剣を持ってるかどうかも」
「強いかどうかも」
「役割があるかどうかも」
勇者がまっすぐセインを見据える。
「……誰も、お前に“価値”を求めてない」
一瞬、意味が理解できなかった。
「……価値がないって、意味じゃないぞ」
慌てて勇者が付け足す。
その表情は、セインが初めて見る表情だった。
あの勇者が苦笑いをしているのだ。
「……ここでは、最初から“あるもの”として扱われるんだ」
セインの目が揺れた。
「……そんなの……」
「……最初、俺も信じられなかった」
勇者は、カップを見つめながら言った。
「……でもな」
「……ここにいると、少しずつ分かる」
「……何が?」
「……自分が、生きてていいってこと」
セインの胸が、ひどく痛んだ。
「……そんなの……」
「……俺、言われたことない……」
声が、ほとんど泣いていた。
「……生きてていいなんて……」
勇者は、ほんの少しだけ微笑った。
「……だったらさ」
椅子から立ち上がり、セインの前に立つ。
「……今、俺が言う」
静かに、でも確かな声で。
「……セイン」
「……お前は、ここにいていい」
世界が、止まった気がした。
「……ここに来た理由が、どんなでも」
「……何を背負ってても」
「……何になれなかったとしても」
勇者は、言い切った。
「……ここでは、“ただのセイン”でいていい」
次の瞬間。
セインの視界が、滲んだ。
「……なんだよ……それ……」
声が崩れる。
「……そんなの……ずるいだろ……」
涙が止まらなかった。
「……今さら……そんなこと言われたら……」
「……もう……」
そこから先は言葉にならなかった。
ただ、声を上げて泣いた。
誰にも許されなかった自分が、
初めて「そのままでいい」と言われた。
その事実だけで、胸が壊れそうだった。
勇者は何も言わず、ただそばに立っていた。
慰めもしない。
説教もしない。
ただ、そこにいる。
それだけで十分だった。
●
玉座の間。
「……報告です」
メルキオが静かに告げる。
「元・勇者候補の青年が……現在、城内に滞在しております」
「……そうか」
「……感情が、かなり崩れていた様子でした」
俺は目を閉じた。
想像はつく。
選ばれなかった者たちが、どんな言葉で切り捨てられてきたのか。
「……だが」
ゆっくりと息を吐く。
「……それでもここに来た」
それがすべてだった。
「……なら」
目を開ける。
「……ここは、あいつの居場所でもある」
玉座に深く座り直す。
誰が何と言おうと。
選ばれなかった者が、
役割を失った者が、
価値を見失った者が、
それでも「生きていていい」と思える場所。
それを作った。
それがもう――世界を変え始めている。
●
こうして、第13娯楽は成立した。
選ばれなかった者が、
「ここにいていい」と言われ、
初めて自分の存在を許せた日。
魔王城は、
ついに明確に“敵の城”ではなくなった。
それはもはや、娯楽でも、噂でもない。
生きることをやめかけた者が戻ってくる場所になったのだから。




