第12娯楽
休憩スペースの空気はいつも通り静かだった。
リシェリアは窓際の席に座り、ぼんやりと外を見ていた。
カップはすでに空だ。
「……今日も何もしてないな、私」
自嘲気味に笑ったその時。
入口の扉が静かに開いた。
「……あ」
聞き覚えのある足音だった。
重くもなく、軽すぎもしない。
迷いながら、それでもまっすぐに進んでくる足音。
顔を上げる前から分かってしまった。
「……マジか」
小さく呟いた。
やがてその人物が視界に入る。
剣と指名を背負い、少し疲れた顔をした青年だ。
ふとリシェリアは、青年の顔がどこか柔らかくなっているような気がした。
以前はもっと尖っていて、常に気を張っていた。
少なくともリシェリアが知る勇者の顔は、そんな感じだった。
そんな勇者が、リシェリアを素っ頓狂な声を漏らした。
「……え」
それだけでリシェリアは吹き出しそうになった。
「……聖女、様?」
「やめて、それ」
即答だった。
「その呼び方、ここでは禁止」
勇者は少しだけ目を見開いたあと、苦笑した。
「……そっか」
そして、遠慮がちに近づいてくる。
「……えっと……」
「ここ、初めて?」
勇者がキョロキョロしながら訊く。
「いや……最近、ちょくちょく……」
気まずい沈黙が落ちる。
かつては、戦場で何度も顔を合わせた相手。
互いに「役割」を背負った状態でしか会ったことがなかった。
リシェリアは、椅子を軽く蹴った。
「……座れば?」
「あ、うん」
勇者が向かいの席に腰を下ろす。
2人の間に短い沈黙が流れた。
先に口を開いたのはリシェリアだった。
「……あんたも、逃げてきたクチ?」
勇者が、少しだけ目を伏せた。
「……逃げたっていうか……」
「……居場所、なくなってきたっていうか」
「ふーん」
リシェリアは頬杖をついた。
「世界の希望様が?」
「やめろよ……」
苦笑が返ってくる。
「……外にいるとさ」
「何してても、“勇者なら当然”って顔されるんだよ」
リシェリアの目が、わずかに細くなる。
「……分かるわ、それ」
勇者が顔を上げた。
「……え?」
「私もよ」
淡々とした声だった。
「癒せて当たり前。
優しくて当たり前。
強くて当たり前。
折れないのが当然」
カップを指先でなぞる。
「……誰も、“疲れてる”って前提で話してこない」
勇者は、かける言葉が見つからなくなった。
リシェリアは、少しだけ笑った。
「……ここだけよ」
「私が何もしなくても、誰もガッカリしない場所」
勇者の喉が、わずかに動いた。
「……俺も」
ぽつりとこぼれる。
「ここにいる時だけ、なんていうか……」
「……生きてるって感じがする」
沈黙が落ちる。
だが、今度の沈黙はやけに温かかった。
しばらくして、リシェリアがぽつりと言った。
「……ねえ」
「ん?」
「この場所……広まったら、どうなると思う?」
勇者は、少し考えてからゆっくりと答えた。
「……もっと、人が来る」
「うん」
「……でも、それって……」
「……たぶん、外の世界にとっては、困ることなんじゃないか」
リシェリアは、ゆっくりと頷いた。
「だよね」
誰かが逃げ込める場所があるということは、
「役割から降りる選択肢」が生まれるということ。
それはきっと、
教会にも、王国にも、軍にも、都合が悪い。
「……でもさ」
勇者が顔を上げた。
「それでも……なくなってほしくない」
はっきりとした声だった。
リシェリアは、少しだけ目を見開いてから、小さく笑った。
「……奇遇ね」
立ち上がる。
「私もよ」
窓の外を見る。
城の中を歩く魔族たち。
休憩室でくつろぐ人々。
笑い声。
静けさ。
「……ここ。もう“魔王城”じゃないわよね」
勇者はゆっくりと頷いた。
「……うん」
リシェリアは、呟くように言った。
まるで自分に言い聞かせるように。
「……居場所、なんだと思う」
その言葉がやけに重かった。
同時にやけに優しかった。
●
玉座の間。
「……報告です」
メルキオが静かに告げる。
「聖女様と勇者様が、長時間会話を」
「……そうか」
俺はゆっくりと目を閉じた。
最悪の組み合わせだ。
世界の象徴である二人が、
“この城に安らぎを見出した”。
それはもう、娯楽ではない。
「……もう、止まらないな」
呟いた声には、覚悟が混じっていた。
居場所を作ったつもりだった。
だが、気づけばそれは、
「世界の外側にある価値観」
を育ててしまっていた。
戦わなくてもいい。
役割を果たさなくてもいい。
期待に応えなくても、生きていていい。
そんな思想が、
勇者と聖女を通して広まったら?
世界は――
確実に揺れる。
俺は静かに目を開けた。
「……だが」
後悔はなかった。
「……それでもここは守る」
たとえ世界全体を敵に回すことになっても。
この城が、
誰かの“生きていていい場所”になっている限り。
魔王としてではなく、
“居場所の主”として。
俺は、玉座に深く座り直した。




