第11娯楽
その女性は城門前で立ち止まっていた。
白を基調とした法衣。
柔らかく結われた金髪。
背筋の伸びた立ち姿。
見る者が思わず息を呑むほど整った存在感。
誰が見ても分かる。
――聖女だ。
「……ここが、噂の魔王城……」
声は静かで、澄んでいて、柔らかい。
その場にいた魔族たちは思わず背筋を正した。
警戒ではない。
ただ、自然とそうしたくなる空気を持っていた。
「聖女リシェリア様……?」
誰かが小さく呟いた。
名は広く知れ渡っている。
癒しの奇跡を行使し、
戦地を巡り、
幾人もの命を救ってきた“希望の象徴”。
彼女が、なぜ魔王城に?
リシェリアは、ゆっくりと門を見上げた。
「……ま、暇つぶしよ」
ぽつりと漏れたその言葉は、
誰の耳にも届かなかった。
●
噂通りの城の中だった。
敵意がなく、緊張もない。
やけに静かで、やけに落ち着く。
「……気持ち悪いくらい平和なんだけど」
リシェリアは小さく舌打ちした。
だが、誰もそれを咎めない。
魔族たちはただ、通りすがりに軽く会釈するだけだ。
「本日も、お越しくださりありがとうございます」
「……どういたしまして」
口から出た言葉が、反射的すぎて自分で驚いた。
「……あー、もう」
誰にも聞かれないように、小さく呟く。
「やめやめ。聖女口調、疲れる」
それが本音だった。
外の世界では、常にこう言われてきた。
笑いなさい。
優しくしなさい。
清らかでいなさい。
人々の希望でありなさい。
弱音は禁止。
愚痴は禁止。
投げやりな態度なんて論外。
……疲れるに決まっている。
●
休憩スペース。
リシェリアは椅子に座り、カップを見下ろしていた。
「……なにこれ。普通にうまいじゃない」
出されたのは、ただのハーブティーだった。
だが、胃の奥がゆっくり緩んでいく。
そこへ、メルキオが静かに現れる。
「……お加減はいかがでしょうか」
いつもの、丁寧な声音。
「んー……まあまあ」
反射的に聖女っぽく返しそうになって、途中でやめた。
「……ていうかさ」
カップをくるくると回しながら言う。
「ここ、誰も“期待”してこないのね」
「……はい」
「聖女だから癒せ、とか」
「奇跡を見せろ、とか」
「人類の希望なんだから当然、とか」
ひとつずつ並べるように言っていく。
「……誰も言わない」
メルキオはただ静かに頷いた。
「ここでは役割は強制されません」
「……ふうん」
リシェリアは、しばらく黙った。
そして、ぽつりとこぼす。
「……楽すぎて、逆に怖いんだけど」
自嘲気味に笑う。
「ずっと“ちゃんとしろ”って言われ続けてきたのにさ」
「……ここだと、だらけてる私でも許される感じがして」
言葉が止まる。
胸の奥がじわりと熱い。
「……最悪よね」
リシェリアは少しだけ笑い、言葉を続けた。
「魔王城の方が教会より居心地いいなんて」
沈黙が落ちた。
だが、重くはなかった。
拒絶の気配も、同情の押し付けもない。
ただ、そこにある静けさ。
リシェリアは、ぽつりと続けた。
「……私さ」
声が、少しだけ揺れる。
言葉と感情が溢れる。
「癒す側でいるの、もう限界だったのかもしれない」
誰にも言ったことのない言葉だった。
「癒したあとにさ……」
「その場を離れて、一人になった瞬間」
「……自分が空っぽなの、分かるのよ」
カップの表面が、小さく震えている。
「……でも、それを言っちゃいけないって思ってた」
「聖女なんだから」
「希望なんだから」
「弱音を吐く方が悪いんだって」
そこまで話すとリシェリアはゆっくりと息を吐いた。
「……バカみたいでしょ」
メルキオは、首を横に振った。
「……いいえ」
短い言葉だったが、嘘はなかった。
それだけで、リシェリアの喉の奥が詰まる。
「……ここ、ずるいわ」
小さく笑う。
「誰も優しい言葉なんて言ってないのに……」
「……勝手に、救われてる気がする」
立ち上がる。
「……今日は帰るつもりだったんだけどさ」
出口の方向を見る。
でも、足は動かない。
「……もうちょっとだけ、いてもいい?」
誰に許可を取るでもなく、そう呟いた。
メルキオは、いつものように静かに頭を下げた。
「……ご自由に」
その言葉が、
これまで人生で一度も与えられたことのない種類の言葉だった。
リシェリアは、小さく息を漏らす。
「……ほんと、ずるい場所」
そして、踵を返す。
出口ではなく、城の奥へ。
まだ何もしていない。
奇跡も起こしていない。
誰も癒していない。
それでも、ここにいていいと言われた。
こうして、第11娯楽は成立した。
癒す者が、
癒されることを許された日。
魔王城はまたひとつ、
「役割を降りてもいい場所」として、静かに根を張っていった。




