原初の魔物
メーロッパの端にある砂浜
そこに人型の魔族が二人たっていた。
鎧は着ているものの、以前とは違って顔は隠されていない。
角がまだ小さい若造の魔族が言った。黒髪でひげは生えていない、人間の青年のような顔貌だ。
「以前は門番の仕事だったんだけど、今度は海外に行くことになっちゃいましたね……」
角が大きいほうの年配の魔族は言った。頭は多くが白髪で覆われており白いひげを蓄えている。
「ああ、いわゆる海外赴任ってやつじゃ。魔王チンパンジー様の意向によるとメーロッパだけではなく海外の大陸や島国の丸耳の人間も絶滅させなくてはならないそうだ。俺らはそれを果たすために向かっていく、というわけじゃな。」
「……目的地はどこなんです?」
「ふむ……俺達には『海の向こうへ行け!そこの人間を根絶やしにしろ!』とだけで、場所までは具体的に指示されていないが……どうするかね?」
「とりあえず船に乗りましょうよ、ずっと漕いでいけばそのうちどこかに到着するでしょう。あ、あそこに置いてある木製のボートなんかいいんじゃないでしょうか?おあつらえ向きにオールも二本ついてますよ。」
「……正気かね?」
「えっ?!」
「普通はな……もっとこう帆の付いた大型の何人も乗れる船を事前に用意して安全な航海をするっていうもんだ。何しろ海をわたらないといけないからな。湖を渡るのとはわけが違うんじゃ。」
年配の魔族はしばし考えこんでから言う。
「だが……我々は人間とはちがってスタミナに長けた魔族だ。やれないこともないだろう……仮に船が大破したとしても……何とかなる……」
「じゃあ、それでいきましょうよ。」
「ふむ……ほかに当てもないし……いいだろう……」
二人はボートに向かい合わせに乗り込んで船をこぎだす。
最初にオールを手にしたのは年配の魔族だった。
しばらくたって、若造の魔族は気づく。
「あー、なんか海に丸いものがプカプカ浮いていますね。」
「ふむ……クラゲかね?人間や動物には強毒性のある種類の……」
年配の魔族は目を凝らすと言いなおす。
「違うな、あれは海スライムじゃ。」
「へぇー……海にもスライムって生息していたんですね。本当にスライムってどこにでも生息しているんですね。」
「そうじゃな……」
若造の魔族は海を見下ろし不思議そうに言った。
「ところで、私が幼い頃、家にあった動物についての絵本を読んだことがあるんですが、『母なる海』って書いてありましたね。この世界の生命は海から出現したんでしょうか……?」
「ん……大まかに言えばそうじゃな……でもそれを詳しく知りたいのかね?話すと長くなるぞ……何しろ地球の生命の歴史は長いぞ……」
「あっ、私が気になったのはそっちじゃなくて、、ほら、そう考えると原初の魔物も海から来たのかな?って思いましてね。」
「ん……」
年配の魔族はなにやら思慮深げに考えると口を開く。
「ふむ……原初の魔物か……どうしても……聞きたいのかね?」
「えっ、何か不都合でもあるんですか?」
「いや……人型の魔族の若造が知りたいのであれば別に断る理由はないぞよ……ただな……お前さんがもし丸耳の人間だったら言いたかないことなんじゃがな……丸耳の人間には決して口外するなよ……?」
年配の魔族は人差し指をたて、唇につける仕草をした。
「へぇ……分かりました。」
「ふむ……ではあの海スライムを見るがよい……」
若造はしげしげと海上を漂っている海スライムを見た。
「どう見えるかね?」
「どうって……見た目は陸に居るただのスライムとそっくりですよ。球がややつぶれたような形で、水色に近い色で、プルプルとした質感は先ほどのクラゲに似ていて、地上の動物のような目や口は見当たりませんね。あ、でもサイズは陸のスライムと違って片手で持てるくらい小さいですね。」
「うむ……」
年配の魔族は間をおいてから言った。
「あれこそが……原初の魔物に最も近いと考えられている、現生の魔物の一つじゃな……」
若造の魔族は驚愕していった。
「えっ?!あれが原初の魔物に……最も近い……?」
「……ああ。」
「じゃあ、魔物も……海から誕生したんですね。」
そういうと若造の魔族は感慨深げな顔をする。
年配の魔族はちょっと待ったとでも言いそうな顔をしていう。
「おいおい、人の話は最後まで聞くもんじゃ。そう単純な話ではないぞい。」
「え……?」
「そこからさらに、昔話をせねばならん……」
「へぇ……昔話ですか……」
「ああ。」一息つくと年配の魔族は続けて言う。
「時は遡り、時は遡り、エルフやドワーフはおろか、丸耳の人間さえも種族として未だ存在しなかったと考えられる太古の時代……」
「そうじゃな……異世界人や魔王チンパンジー様が居たとされる科学の進んだ世界を観測した限りではどうも、それらはアウストラロピテクスやホモ・ハビリス、ホモ・エレクトスなどと呼ばれておるが、この魔法のある世界でも同様の進化を遂げたかはわからん……関係性を正確に知りたければこの魔法のある世界でも丸耳の人間たちが実際に化石を数多く発掘し証拠を集めるのを辛抱強く待たねばならないわけじゃ……だがそれくらい時はだいぶ遡るぞ……」
「んん……?えっと……?丸耳の人間やエルフやドワーフの遠い遠い祖先の話ですか?ちょっと魔物との関係があまりピンとこないんですが……?」
「まあまあ、そうあわてなさんな、海の航海は長いぞい……しばし休憩じゃ……」
10分後
再び年配の魔族はオールを手にしボートを漕ぎ始めた。
やがて太陽は沈み、あたりは暗くなり、長い長い沈黙の時が訪れる。
天には星空がたくさん輝いている。
先に若造の魔族が眠りにつき、
数時間後にオールを漕いでいた手はとまり、年配の魔族も眠りにつく。
太陽が海上の水平線から再び上る。
若造の魔族は言った。
「おはようございます!」
年配の魔族は眠りから目覚める。
「ん……?ああ、朝になったのか……?さすがに夜通しこぎ続けるのは年寄りの体にはちと無理じゃったか……交代じゃ。次はお前さんが漕ぐ番じゃ。」
若造の魔族はオールを手に取ると漕ぎ始める。
年配の魔族はそこからおもむろに再び口を開く。
「それで話の続きをしたいがいいかね……?」
「ええ。」
「えっと……そこの時代の太古の人はまだ猿と人間の中間段階だったと考えられておるな……
それは段階に応じて猿人や原人とよばれるんじゃ……」
「エンジン?ゲンジン?動力のほうの……?」
「何を言っとるんじゃ。これは昔話じゃよ。猿、人、と書いてそのまま猿人じゃ。」
「ああ、猿人。原人。それで?」
「それでな……魔法のある世界では猿人がいつから石器を使いだしたのか、言葉を話し始めたのか、未だにはっきりとわかっておらんがな……ともかく猿から人間になるまでの間の話じゃな……」
若造の魔族は不思議そうな顔をして言った。
「へぇ……?でも私の知る限りメーロッパの丸耳の人間は、世界が創成された最初の時から、人は人で、猿は猿だと考えているようでしたよ。人型の魔族がそれを知っているのなら……なぜ丸耳の人間たちはそれを知らないのでしょうか……?」
それを聞くと、年配の魔族はしかめづらをし険しい顔をすると言った。
「だから……そのことは丸耳の人間には決して口外するなといったじゃろ……この時代のメーロッパでは……いわゆる『タブー』ってやつじゃよ……それに我々は元々丸耳の人間からあまり好かれてはおらぬ人型の魔族だ……そんなことを言い出そうものなら即刻処刑されるぞ……」
「え……?は、はい……留意いたします……」
「よかろう……では続けるぞ……」
年配の魔族は天を仰ぎしばし沈黙してから言った。
「それでな……魔法がいつから始まったか……おまえさんは考えたことがあるかね?」
「え?魔法がですか?えっと……考えたこともないですね。」
「そうか……ならば続けるぞ、先ほど石器や言葉を猿人が使いだしたと言ったな……。おそらく魔法も同じころに、極めて単純で原始的ではあるがそういうものが発生したと魔族の間では考えられておる。」
「はぇ……」
「ちょっと話は飛ぶが……シャボン玉を作り出す魔法は知っておるかね?」
「え?ああ、もちろん。魔力の少ない、幼い丸耳の人間の子どもでも簡単に出せるきわめて簡単な部類の魔法ですよね?よくそれで遊んでいる光景が見られてほほえましいものです。」
「そうじゃ……その魔法を、水に向かってやったらどうなると思うかね?」
「水に……?水にもよりますが粘度が高ければ水風船ができますね。」
「うむ……そいつは海で使うとどうなると思う?」
若造の魔族は答えが思いつかなかったので手をかざし、その魔法を海に向けて放った。
すると海の上に水風船ができてそれがプカプカ浮かんだ。
「ふむ……それを手に持ってみろ。」
若造の魔族はそれを手に持ってみた。
「ではさきほどの……海スライムを捉えておいたものがここにある。それをもう片方の手で持ってみるがよい。」
年配の魔族はそう言うと海スライムをわたした。
若造の魔族の片手には海水でできた水風船、もう片方には海スライムが乗った。
「それらをよく見比べてみるがよい……」
若造の魔族は両手にもつそれらをためつすがめつ見比べている。
「何かに……気づかないかね?」
「えっと……水風船は動きませんよ。海スライムはプルプル動いてますが、それを除けば特に何も違いは感じませんね……知らないで両方を渡されたらすぐには気づかなかったでしょうね。」
年配の魔族は意味深げな顔をして言う。
「うむ。それでな……」
「猿人が遊びできわめて単純な魔法を使いだした。おそらくその中にシャボン玉を作る魔法もあっただろう……それを海に向かって放ち、水風船をたくさん生み出したとしよう……さぞかし猿人にとっては面白いオモチャだっただろうな……」
「その水風船が作られる遊びが散発的にとはいえ数百万年に及んで定期的に行われた……そのうえに、魔力の源となる謎のパワーもこの世界には定期的に天から降り注ぐ……」
「数多くの水風船はすぐに割れてしまうが、もし長い長い時が経た海の上を漂う水風船があれば、それはどうなると思うかね?」
「えっと……?魔力がたまりすぎれば……きわめて確率は低いでしょうけど、中には分裂するものもあるのかな……。」
「うむ。分裂じゃ。水風船と分裂。そこに何かのアナロジー……類似性を感じないかね?」
若造の魔族はしばらく考え込んでいると、何かに気づいたかのように、驚いた顔をする。
「まさか……絵本で読んだことがある……たしか……」
「さい……ぼう……細胞?魔物ではない生物の体を構成するとされる……あの細胞?」
年配の魔族は少し微笑んでいった。
「そうじゃ。細胞じゃ。原初の魔物は今の水準からすると極めて単純なたった一個の分裂する水風船からやがて進化したと考えられておる。」
「その遠い遠い子孫が現生の魔物や我々魔族……というわけじゃ。」
「つまるところこの世界の魔物の造物主は……猿人ということなる。まあ……未だ正確な時代やどのようにして水風船が海スライムに進化したかの魔法的な化学進化のメカニズムは未だはっきりしておらんが……人型の魔族の間ではほぼ共通したコンセンサスとなっておるよ。」
「それと、肉眼では見えぬほど非常に小さなものを観測する技術をもった魔族がおってな、極小の生物もおったが、それで我々の体を見てみたところ、極小のスライムがうごめいていた。それぞれのスライムが規則性を持つように並びながらも、社会性昆虫のように役割分担をしつつ、体を構成しておってな。いや、動物の細胞ほど固定はされておらず柔軟性があり動き回る。だがあえて動物とのアナロジーでいうなら……一つ一つの微小のスライムはアメーバに似ているともいえよう……」
「つまるところ我々の体はスライムと……それほどあまり変わらんというわけじゃ。」
若造の魔族はそれを聞いて、
まるで天地がひっくり返ったのを目撃したかのような顔をして
海上の水平線を見つめ、微動だにせず唖然としていたままだった。
そしていつしか、海スライムが片手からポロリと落ち、
それはボートから逃げ出し、再び海上を漂っていった。
年配の魔族は思い出したように言った。
「おっと……さっきの微小の世界や細胞の話も口外するんじゃないぞ……この時代丸耳の人間はまだ知らぬはずじゃからな……」




