はじまり
「ねえソフィア、貴女お付き合いしている方はいるの?」
秋めいた心地のいい秋のオープンテラスで、友人兼同僚のエマがそのほっそりとした首をかしげた。
「急にどうしたの、エマ?そんな方いないわよ」
繊細な細工のされたティーカップをそっとソーサーに戻しながら、わたしは答える。
「では、お慕いしている方は?」
エマが質問を重ねるのは、近頃想いを寄せているという令息のことと関係があるのかしら。そう微笑ましく思いながら、私はにっこりと微笑んで首を振った。
「いいえ。私には恋というものがまだ分からないの。楽しそうだとは思うのだけれど」
そう言うとエマは、蜂蜜色の瞳をぱぁっと顔を輝かせた。
「ソフィ!恋に興味はあるのね!恋って本当に素敵なのよ。押しつけるつもりはないから黙っていたけれど。もし興味があるなら、実はね…」
私の両手を握りながら話し始めた彼女はそこで声を潜め、私の耳元でそうっと囁いた。
―疑似恋愛、してみない?と。
「疑似恋愛!?」
思わず声をあげた私の唇に、エマの白くて細い指が触る。
「しぃーっ、ソフィ。あのね、最近開発された人工知能って知っているでしょう?その人工知能が、恋人としてお手紙のやりとりをするサービスができたの。まだお試しの段階で、限られた方しか利用できないのだけれど。実はとある伝手で、1人だけご紹介できるのよ」
興味ある?とウインクをしたエマは、女の私から見ても可愛らしい。彼女と目が合った人間は須く彼女を好きになると言われているのも納得だ。
対する私は、顔立ちを褒めていただくことはあるけれど、かわいらしさとは無縁。愛だの恋だのというよりは、現実的な条件をすりあわせての婚姻を目指している。が、そのような女は殿方からしたら扱いづらいと思われるらしい。そして私も、自分を偽ってまで婚姻にありつこうとも思っていない。結果、今日まで恋人も婚約者も、想い人すらいない。
「ええ…と。いくつか確認させてもらえるかしら。一点目、そのサービスはおいくらくらいなのかしら?二点目、あくまで人工知能からのお手紙であって、私のお相手は実在はしないということで間違いないかしら?三点目、それは期間が決まっているのかしら。何かゴールというか…終わりの目標はあるの?それを達成しなかったら、何か罰則なり、違約金等のお支払いしなければならない要項があったりするのかしら」
こういうところが賢しいと言われちゃうのよね。でもね、こんな私だけれど、年頃の乙女。愛し愛されるだの、恋に溺れるだのに一切興味が無いわけでは無いの。
「えぇ…と。料金は勿論必要ないわ。えぇ…と何て言ったかしら?実際に事業として始める前の…モジェ…モジェルケ?あ、モデルケース!なのですって。あぁ、ソフィー、わたしが難しい話はにがてなこと、知っているでしょ。みっつも聞かれたら何を聞かれたか分からなくなってしまうわ。えぇっと後は期間、ね。そのことについては聞いていないけれど。興味があるなら、おにいさ…あぅ…お仕事の相手に聞いてちょうだいな。どう?興味ある?」
そう言って小首をかしげるエマは、とても可愛らしい。少し難しい話が苦手なところも愛らしいのだけれど、こういう時は少し困ってしまう。
私はすぐに諦めて、「興味が無いとは言えないわ。紹介してもらえるかしら」と答えた。
恋への興味もだけれど、人工知能との文通なんてとっても興味深いわ。
◇◇◇
「この度はご助力を賜り有難う御座います。本事業を立ち上げました、オスカー・リードと申します」
エマが仲介してくれたリード様は、その名前にふさわしい赤みがかった髪の毛を後ろに流していた。胸に手を当てお辞儀をした後、朗らかな笑みを浮かべる。
「こちらこそ、貴重な機会をいただき嬉しく思っております。ソフィア・モルガンでございます」
そう返して礼をとると、リード様は更に目を細めて笑む。
「早速では御座いますが、我々の新事業、人工知能についてのあらましと、今回モルガン嬢にお願いする内容についてご説明させていただいても?」
彼はいくつかの冊子をこちらに提示しながら、小首をかしげた。その仕草が少しエマに似ている気がして、緊張が解れた。
「えぇもちろん。よろしくお願いいたします」
「この人工知能は試作段階であり、その受け答えは基本的に私、オスカー・リードの思想を反映したものとなります。今回の実証実験では、モルガン嬢に人工知能オスカーとの文通をしていただきます」
そう始めたリード様は流ちょうに、しかし門外漢の私にも分かりやすく説明してくれた。
人工知能は発達段階の為、商品化に向けて精度を高めるに生の人間の反応やデータを集めるべくこの度の“お試し疑似恋愛”をすること。リード様が開発された人工知能は既にある程度のデータ収集の末に完成されたものではあるけれど、実際に人工知能と恋人としてのやりとりをした人間の心理にどのような作用をもたらすのかの実証実験をしたいこと。そのため、人工知能とのやりとりは逐次記録されること。そして、そのための協力費として幾何かの報酬をいただけること。期限は特になく、私が嫌だと思ったら止めていいこと。
最後に、利用者の気持ちの変化および改善点の確認のために、週に一度、リード様と面会の時間をとる必要があること(その際の費用はリード様が負担してくださること)。
こんなに私に有利な条件でいいのかと訪ねると、「この事業は将来的に必ず膨大な利益をもたらすと思っておりますので、必要経費としては微々たるものです」ときりっと答えられた。知的な顔に、宝物を自慢する少年の影が浮かぶ。その表情にどこか懐かしさを覚えながら、わたしは答えた。
「よろこんで」、と。
◇◇◇
それから三ヶ月。
人工知能と疑似恋愛する日々は、想像よりも楽しい。人工知能は、まるで絵物語から出てきたヒーローのようなのだもの。私も恋するヒロインの気分で返信をした。相手が実在しないということも、気楽にやりとりを出来る要因かもしれない。
「親愛なるソフィ
町を歩いていたら君のように愛らしいブーケを見つけたので、贈ります
貴女のオスカーより」
そんな手紙に、桃色を基調として、白や淡い黄色のブーケが添えられている。似合わないと思って誰にも話したことはないけれど、私は可愛いものや淡い色の方が好みなのだ。偶然だと分かってはいるけれど、胸が温かくなる。こんな可愛らしいブーケが似合うような女性だと言われるのも初めてで、乙女心がきゅんとした。
「オスカー様
可愛らしいブーケをありがとうございます
実は私は桃色が好きなのです
とても嬉しくて、窓辺に飾りました
ソフィア」
封筒に封蝋をしながら、窓辺のブーケを眺める。
このブーケは、手紙に合わせてリード様が用意してくださったのかしら。背が高くがっしりとした体格の彼が、お花屋さんでブーケを頼む姿を想像すると、少しおかしかった。いつもみたいに生真面目な顔をしていたのかしら。それとも、さすがにやわらかい表情だったのかしら。
その日は人工知能への手紙とは別に、リード様に蜂蜜の飴を添えた。「よろしければ、お疲れの時に」と短いメッセージを添えて。
「愛しいソフィ
ブーケを気に入ってもらえたと知り、嬉しく思います
愛しい君の好きな物をもっと知りたい
もっと君に喜んでもらいたい
君の笑顔が、何よりも私の活力になるのです
貴女に焦がれるオスカーより」
その手紙を読んで、ふふっと笑い声が漏れる。私の笑顔なんて人工知能は知らないのに。いえ、もしかして写し絵のデータを登録していたりするのかしら。今度開発者に聞いてみましょう。面談で話すことメモの隅に"写し絵"と走り書きを残してから、お手紙の返事を書き始める。
「オスカー様
先日いただいたブーケがとても可愛らしいので、ドライフラワーにしてもらうことにしました
私の好きな物は、先日のブーケのような淡い色、秋の金木犀の香り、小さいものやかわいらしいものもこう見えて好きなの
似合わないと思うので、身に着けたりはしないのだけれど
私にもオスカー様の好きな物を教えていただけますか
何か贈り物を――」
そこまで書いてソフィアは、ハッとした。人工知能の返信があまりにも自然な上に、名前が開発者リード様のファーストネームと同じなので、手紙をやりとりする内に忘れることがある。
人工知能はそれらしい答えをくれるけれど、実在しない。添えられる贈り物も、人工知能の手紙に沿うよう、開発者が添えてくれているもので、人工知能からのプレゼントではない。その贈り物がいつも私の趣味に合うのも、データではじきもの出されたものなのだろうか。
私からの贈り物など、受け取る人は存在しないのに。
私からのこの質問をリード様は当然読まれる。それも実証実験のためという契約の内だもの。でもそれは、どことなく恥ずかしいことのように感じた。
それでも私は、オスカー様の好きな物を尋ねるその一文を、消せなかった。




