愛、光よりも遠く
2025/09/30 一部加筆修正致しました。
陸路知世は、冷たい岩盤の裂け目に指を伸ばしていた。
「まったく……こんな場所に一人で来るなんて、私も物好きだな」
独り言は、硫黄の匂いを含んだ風に溶けていった。
北海道の辺境、火山帯近くでの単独地質調査。
新生代の岩盤に含まれる微細な磁気異常を分析していたその時、頭上に光球が現れた。
「……何?」
眩しさに思わず目を覆った瞬間、世界は反転した。
気付いた時、彼女は艦内にいた。
静まり返った宇宙艦。人影はなく、球体の装置が規則的に光を明滅させている。
「ここ……どこ……? 研究所? いや、違う、これは……」
喉がひりつき、声が震えた。
恐怖が押し寄せる。
だが、脳裏をよぎったのは子どもたちの姿だった。
「下の子はまだ授乳中なのに……私……帰らないと……」
混乱する知世の前に、艦長と名乗る存在が姿を現した。
人とも機械ともつかぬ姿で、澄んだ声を響かせる。
「ここは深宇宙探索調査艦の中だ。君の惑星の生命体調査の途中、誤って君をこの艦に搬送してしまった。我々の失態だ」
「失態って……。それで済むとでも? すぐに戻してください。私も調査の途中だったのよ。それに……子どもたちが待ってるんです!」
「申し訳ない。残念だが……それは出来ない」
艦長は沈痛に言った。
「出来ないって……バカなの? 戻るだけじゃない! 鮭だってできる簡単なことよ」
知世は、つい研究所の同僚に話すように船長を詰めてしまった。途中で気付いたが今更変える事も出来ずそのまま押し通す事にした。
そんな態度を取られた事が今まで無かったのか、艦長は軽い驚きと共にその態度を面白く思っていた。
「申し訳ない。すでに二度のワープを完了した。地球に戻るには、さらに二度のワープが必要になる」
「申し訳ない。申し訳ないって、台本ありの謝罪会見ですか! それにワープって言うのが必要なら、ちゃっちゃとやれば良いじゃない。二度でも三度でも」
「出来ればそうしたいが、出来ない理由がある。それは、時間のずれだ」
艦長の声は低く、鋭かった。
「二連続以上のワープは出来ない。ある程度の間隔を空けねばならない。その間に……君の星では数十年が経過する」
「出来るか出来ないか、そのワープ装置見せなさいよ! 私が……私が……改良してあげるわ」
そんな事が出来ないことは知世も分かっていた。ただ、言わずにはいられなかったのだ。
「申し訳ない……」
察した艦長の声も沈んでいた。
「帰ったとき、子どもたちが私より年を取ってしまう。子供の可愛い時期が見られない。成長の過程。参観日。運動会。卒業式。反抗期。全て終わってるじゃない」
知世は流れる涙を拭きもせず艦長に詰め寄った。
「私は帰らなきゃいけない! 今すぐに!」
長い沈黙ののち、船長は頷いた。
「……我々にとっても、君はもう客ではない。仲間だ。共に禁忌を犯そう」
「禁忌……?」
「連続四回のワープだ」
地球へ向けて二度目のワープが終わった直後、艦内に悲鳴が走る。
「空間が……折れていく!」
「制御が利かない!」
視界が激しく歪み、衝撃の音すら消え、船の半分が光の粒子と化して消失した。
知世も衝撃に身体を床に叩きつけられ、そのまま意識を失った。
目覚めたとき、艦体の半分近くが失われ、残った区画にいた乗員も大半が消え去り。
艦橋には知世と乗員の七人だけが残っていた。
「……生きてるの、私たちだけ?」
「未知の領域に飛ばされたようだ」
「ワープ装置は……消えた」
「エネルギーも残りわずかだ」
「機能維持の人手も足りない」
しばらくの間、沈黙だけが艦橋を支配していた。
やがて誰かが口を開いた。
「方法は、一つしかない」
「何を……する気?」知世が問いかける。
「艦の維持機能を、我々の脳で補うんだ。融合すれば、航行は再開できる」
「脳で補うって?」
「言葉通り、艦と一体化するって事」
「戻す方法は?」
「無い」
乗員達は苦く笑った。
知世の心に後悔が押し寄せる。
「私が帰りたいって言ったから……」
艦長が乗員を代表する様に前に出て、知世に声をかけた。
「君の言葉は関係ない。俺たちが選んだ俺たちの決断だ。だから、巻き込まれた君は生き延びろ。少し寂しいかもしれないが、君の帰り道はまだあるかもしれない」
「そうだぞ、気にするな。俺たちは消えたみんなの様に死ぬわけじゃない。艦の一部として一緒にいるからさ」
「遠慮せず艦を頼れよ。全力でサポートするから」
「たまには磨いてくれよ」
乗員達はそう言いながら一人、また一人と装置に身を預けていく。
「怖いな」
「ばーか泣くな、泣くな。最後くらい笑おうぜ」
「また会えるよ。きっと」
「すまない。申し訳なかった」
そう言って最後に艦長がシステムに吸い込まれた瞬間、船は静かに再起動した。
最後の言葉も「申し訳ない」だったわね。
知世は独り残された。
船のAIが淡々と告げる。
【残された選択肢は二つ。冷凍睡眠で基地を目指すか、身体を改造して長期航行に耐えるか】
「……冷凍睡眠なら、目覚めるのは何百年後?」
【その可能性が高い。運が良ければもっと早いかもしれないが】
「寝ている間に子どもたち……死んじゃうわね」
AIは黙ったまま、ただ待っていた。
知世は拳を握りしめ、言葉を絞り出した。
「私は母親です」
【母親であるからこそ、生き延びるのですか?】
「ええ。会えないまでも、子供達と同じ時間を過ごすわ。だからこそ、生きなきゃいけない。そして、彼らが残した未来を見届けないと」
それから数日にわたる人体の改造は、痛みと恐怖の連続だった。
骨が入れ変わり、神経が組み替えられ、内臓の大半が取り去られ、皮膚が再生を繰り返す。
最後に意識が遠のく直前、彼女は呟いた。
「絶対に、生きて帰る……」
知世はスマートフォンに残された画像を見ながら、食事を摂る。
改造された身体に食事は不用だ。だが今日は長女千波の誕生日。会って祝ってやれないが、せめて食事くらいは共に摂りたかった。そう思い、知世は備蓄の食料に手を付ける。
知世自身が実験に直接携わった事は無かったが、ウラシマ効果の知識はある。スマートフォンのカレンダーでは娘の千波は12歳。地球にいる千波はすでに成人しているかもしれない。だが、今この瞬間、知世と共に生きている千波は12歳、智輔は9歳、それは変わらない。
味のしないレーションを噛み締める知世の目からは、流れ落ちない涙が一雫溢れた。
「ハッピーバースデー千波……」
長い長い航行の果て、深宇宙探索調査艦は二つの太陽を周る、周連星惑星に辿り着いた。
「空気……重力……温度……」
モニターに流れる数値を見つめ、知世は息を呑む。
「二重太陽系だけど、環境的には地球と……ほとんど同じ」
船は軌道上に留まり、眼下の星を見せた。
「……ここに、人は生きられる」
だが通信の手段はなく、帰る術もなかった。
「娘……息子……あなたたちに会いたい。会いたいのに……」
AIが静かに問う。
【ここを、家にしますか?】
涙を拭い、知世はゆっくりと頷いた。
「……ええ。子どもたちの名前から一文字ずつ……」
彼女は声に出して、その星に新たな名を与えた。
「チホ」
その星に文明が芽吹くのは、数百年後のこと。
彼女の存在は伝説として語られる。
「最初の母の名は、チヨ」
彼女が地球に残した子どもたちの運命を知る者はいない。
だが、確かに一つの命が、宇宙の果てで灯り続けた。
それは──愛だけが選べた孤独な航路だった。
…… La fin……
読んで頂きありがとうございました。
短編二作目です。
以前から書いてみたいテーマでした。
でも、頭の中でお話が膨らみすぎて……あ、コレ手を出したらあかんヤツや。と思って考えない様にしていました。
そうだ。短編にしちゃえば、日の目を見せられるかも!
で、出来上がったのがこのお話です。




