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『みずのこ』

『みずのこ』

作者: 月白 ふゆ

水の底に棲む記憶と、取り残された姉妹の物語。

静かな怪異、沁みるような怖さをお求めの方に。

どうぞ、最後までお付き合いください。

──水が、怖い。

そう思ったのは、あの夏が初めてだった。



小学五年の夏休み。

私は母に連れられて、北海道の田舎にある祖母の家で過ごすことになった。


「おばあちゃんちはねぇ、昔は農家で、今はもう畑もないけど、のんびりできるわよ」


母はそう言ったけれど、のんびりなんてもんじゃなかった。

スマホは圏外、テレビは2チャンネルしか映らず、近所には同年代の子どももいない。


祖母は優しかったけれど、決まりごとが多かった。


「北の小道には入っちゃだめだよ。あっちはもう誰も住んでないからね」

「夜は早く寝なさい、ここらは獣も出るから」

「それから──あの池には、近づいちゃいけないよ」


──池?


私はその言葉にだけ、妙にひっかかった。


「どうして?」と訊いたけれど、祖母は首を振った。


「……あそこにはね、昔、悲しいことがあったのさ」


そのときはそれ以上、聞かなかった。


でも、子どもってのは、不思議と“禁止された場所”に惹かれる。



数日後。昼過ぎ。

母は買い物で街へ出て、祖母は畑に行っていた。


私は一人で家を出た。


言われたとおり、北の小道をまっすぐ抜けていくと──あった。


雑木林の奥に、ぽっかりと空いた水面。

濁った緑色の水が、静かに揺れている。


そこは、人の手が入っていない“ため池”だった。


ごうん……と風が吹き、葦が揺れる。


近づこうとしたとき、水音がした。


ぱしゃり──と。


そこに、女の子がいた。


水面に立つようにして、腰まで浸かっている。

白いワンピース。肩までの黒髪。

顔は見えない。けれど、何かがおかしい。


「……だいじょうぶ?」


そう声をかけると、女の子はゆっくりと顔を上げた。


目が、あった。


どこか懐かしい。……でも、知らないはずの顔。


「──いっしょに、遊ぶ?」


その言葉と同時に、私は前のめりに倒れた。



気づいたとき、水の中だった。


息ができない。

冷たい。暗い。

けれど、それよりも──女の子の手が、私を掴んでいた。


「まってたの」

「ずっと、まってたの」


その声は、確かに私の記憶にあった。


私には、もうひとり姉がいた。


「お姉ちゃん……?」


昔、母がぽろりと口にしたことがある。

「あなたが生まれる前にね、お姉ちゃんがいたのよ。でも……小さなころにね」


──死んだはずのお姉ちゃんが、水の中にいる。


視界が揺れていく。


暗い。

深い。

息が……できない。



気づけば、地面に倒れていた。


咳き込むと、肺の奥からぬるりとした水の味がした。

祖母がそばにいた。顔を真っ青にして、私の背中をさすっていた。


「……よく、戻ってきたね」


「……お姉ちゃん、いたよ」


そう言うと、祖母は、目を伏せた。


「──そうか。見えたかい」


「……ほんとに、いたんだよね?」


祖母は静かに頷いた。


「……あんたのお姉ちゃんは、あの池で死んだんだよ」


「うん、聞いた」


「……でもね、まだいるんだ」


私は息を飲んだ。


「帰ってきたのは、あんたが妹だからさ。ほかの子だったら、きっと帰れなかった」


その言葉の意味は、深く、重かった。



その夜、母が戻ってきた。


「ため池、行っちゃったのね」


私が頷くと、母はふぅ、と息をついた。


「……私も、子どものころ、あの子の声を聞いたことがあるの」


「お姉ちゃんの?」


「うん。でもね、行かなかった。怖かったから」


そう言った母の目は、少し潤んでいた。


「……でも、あなたは、会えたんだね」


私は黙って頷いた。


「じゃあさ、また会いに行ってもいい?」


そう聞いた私に、母はゆっくりと首を横に振った。


「……だめよ。次は、帰れないから」



帰り道。

車の窓から、ため池のある山の方を見ると、ひとすじの風が吹いていた。


その中に、ふわりと揺れる白い影が見えた気がした。


「また、遊びたいな」


ふと、そんなことを思ってしまった自分が、少しだけ怖かった。


──水は、底を見せない。


何が沈んでいるのか、誰が待っているのか。

それはきっと、見た人にしか、わからない。



---(了)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

水は身近でありながら、底知れぬものを抱えています。

この物語が、皆さまの夏に小さな影を落とせたなら幸いです。

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