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第6話 やさしい音が聞こえた日

昨日の飲み会の帰り道、佐久間さんのBGMが突然、爆音でラブソングになった。

しかも俺の名前入りで、思い出すたびに頭がぐるぐるする。

……なのに今朝は風邪っぽくて、それどころじゃなくて──

これは、そんな“しんどい日の優しさ”に、心が溶けるお話です。

朝、目を覚ました瞬間から、どうにも身体が重かった。

喉がいがらっぽくて、頭の芯がぼんやりしている。


(……風邪、ひいたかな)


昨日の飲み会が響いたのか、それとも季節の変わり目のせいか。

微熱と倦怠感に包まれながら、それでもいつもの習慣でスーツに着替えて、俺は電車に揺られていた。


車窓の外を流れる風景をぼんやりと眺めながら、昨夜の出来事が脳裏に浮かぶ。


あの、ラテン調の情熱的すぎるBGM。

佐久間さんの──心の音楽。

「ミサキ、ミサキ、ナオ〜〜〜♪」

……あれ、なんだったんだろう。

普段はまるで無音に近い彼のBGMが、お酒のせいか突然、爆音で鳴り響いた。

しかも、その歌には、はっきりと俺の名前が刻まれていて──


(……いやいや、偶然、偶然)

そう思い込もうとしても、脳裏には“ソイヤッ!”の掛け声がこだまして離れなかった。



そのころ会社では、佐久間さんが自席でPCに向かっていた。

「佐久間くん、今日、三崎くん、お休みだって」

通りかかった課長が、ふと呟く。


「……体調不良ですか?」

「みたいだね。出勤途中気分悪くなったらしく、ちょっと風邪っぽいって。昨日、飲み会あったから疲れたのかもね」

佐久間は言葉少なに頷いたが、その視線はすぐにディスプレイから外れ、どこか宙を漂うように彷徨った。

手元のキーボードに置いた指が、いつの間にか止まっている。

マウスにかけた右手にも力が入らず、クリックの手前で静止したまま、数秒が過ぎていく。

表情は相変わらず淡々としていたけれど、ほんのわずか──眉間の奥に、不穏な影が差していた。

なにかを言いかけて、結局言葉にせず、佐久間はゆっくりと視線を伏せる。

それは、誰にも見せない、静かな動揺だった。


その頃、俺はベッドでうとうとと眠り続けていた。

だが、次第に空腹と喉の渇きに耐えきれなくなって、ふらふらと立ち上がる。


(……何か、食べなきゃ。薬も買わないと)

スマホと財布と鍵だけをポケットに入れて、近所のコンビニまで歩き出した。

だが、体力は思っていた以上に落ちていたらしい。


「……あれ、ちょっと……」

店の入り口が見えた瞬間、視界がにじむ。

足元がふらつき、意識が遠のきそうになる。


そのときだった。

「──三崎!」

どこかで聞いた声に、身体が支えられる。

倒れかけた俺を、誰かの腕がしっかりと抱きとめていた。


「……佐久間さん……?」


霞む視界の中に、見慣れた黒髪と涼しげな瞳が映った。


「立てるか?」


「……すみません、ちょっと、ふらっとして……」

情けない声を出す俺に、彼は何も言わず、ゆっくりと支えるように歩き出した。


その瞬間だった。


──聞こえた。


耳の奥、いや、もっと深い場所。鼓膜じゃなく、心のどこかが拾ったような感覚で。


いきなり鳴り出したのは、まるで冬の夜に降りはじめる雪のように、静かで、でも確かにあたたかいラブソングだった。


イントロのピアノがぽつりぽつりと優しく跳ね、やがてストリングスが重なると、旋律はゆっくりと大きな波になって広がっていく。


──なんで、こんな曲が……今、佐久間さんから?

耳に届いたBGMのメロディが、そのまま流れ込んでくる。


♪「会えたことが こんなにも

心を動かすなんて 知らなかった」

♪「寒い夜を照らすように

君がいる それだけで」


ひとつひとつの音に込められた気持ちが、まっすぐに胸を貫いてくる。

(……佐久間さんの、BGM……)


体温と一緒に伝わってくるそのメロディは、静かで、確かで、少しだけ泣きたくなるほど優しかった。


目が覚めたとき、俺は自分の部屋の布団の中にいた。


(……え、なんで……?)

思わず起き上がろうとしたが、身体がまだ熱っぽい。


台所の方から、トントンと包丁の音が聞こえる。


そっと覗いてみると、エプロン姿の佐久間さんが、小鍋にだしを注ぎ、刻んだネギと卵を丁寧に加えていた。

鰹の香りがふわっと部屋に広がって、なんだか懐かしい気持ちになる。

鍋の隣には、買ってきたらしいお粥セットやスポーツドリンク、熱を下げる冷えピタまで並んでいて──

(……どこまで、気がきくんですか)

心の中でそっと呟くと、また胸があたたかくなった。


「……目、覚めたか」


低く落ち着いた声に、反射的に目をこすった。

その瞬間、また──“BGM”が流れ出した。


今度は、春の午後に吹くやわらかな風のようなバラードだった。

ピアノがそっと語りかけるように低く、静かに響き、やがてアコースティックギターの音色が優しく寄り添う。

音はごく控えめで、声を張り上げることもなく、ただ「そばにいるよ」とささやくような曲。



♪「言わなくていいよ ムリしないで

笑わなくても いいから」

♪「痛みも 熱も 君の全部

ひとりで抱えなくていい」


言葉にすればきっと気恥ずかしくて、面と向かってはとても言えないような優しさ。


(……佐久間さんの、BGM……)


その旋律は、まるでそっと毛布をかけてくれるみたいに、あたたかかった。

何かが壊れそうになる心の奥を、静かに、静かに撫でてくれた。


「佐久間さん……なんで……?」

「午後休とって……様子、見に来た」

「……心配、してくれたんですか?」

「……まあ、気になってただけだ」


少しだけ照れたように目を逸らす佐久間さんを見て、胸がぽっと熱くなった。

その言葉が、思っていた以上に心に沁みて、どう返せばいいか一瞬わからなくなった。

心配されるなんて、こんなふうに優しくされるなんて──想像していなかったから。


「……ありがとうございます」

心からのその言葉に、彼のBGMがまた、ほんの少しだけ音を強めた──気がした。

それは、見えない手で頭を撫でられたような、やさしい、やさしい音だった。


つづく

今回はナオくん、風邪でぐったり回。

でも、そんなときほど人の優しさって沁みますよね……。

言葉じゃなくて、音楽で気持ちが伝わる。

それが佐久間さんの“BGM”の魅力であり、彼なりの不器用な愛情表現です。


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