第10話 その“声”は、彼の名前を知っていた
日曜の午後、静かなカフェでふたりの時間を過ごしていたナオと佐久間。
けれどナオの耳に流れ込んできたのは、“佐久間さん”という名を呼ぶBGMだった──。
その声は、一体どこから? そして夜、SNSで見かけた“彼女”にナオは覚えのある違和感を覚える。
──日曜の午後、カフェの片隅。
佐久間と向かい合って座るナオの胸の奥には、まださっきの熱がくすぶっていた。
触れ合う指先、靴先、カップ越しの視線。
(……あんな顔、されたら……)
恋だとか、好きだとか、そんな簡単な言葉では片付かない。
身体の奥に、じわじわと熱が残っている。
けれど。
その熱をかき乱すように、ナオの耳にあの“声”が流れ込んできた。
──♪ 袖にかかるネイビー 白スニーカーの抜け感
無造作な髪の毛先が 光をすべらせる
触れたい
(……また、聞こえる)
ナオはグラスを持ったまま、そっと店内を見回す。
注文待ちの客、テイクアウトの列、窓際でパソコンを打つ人——どこからともなく漂ってくるその“歌声”を探す。
(……僕、がんばって“イチャイチャ大作戦”してたのに……全然、伝わってない?)
落胆とも焦りともつかない気持ちが胸に広がる。
けれど、次の瞬間。
──♪ 佐久間さんのその襟元 今日も完璧なバランス
(……っ!)
ナオは思わずスプーンを持つ手を止めた。
今、確かに“佐久間さん”と……名前を呼んだ。
(名乗ってない。僕たち、カフェで名前なんて……)
背中をつたう、ひやりとした感覚。
心の中の温度が、違う意味で跳ね上がる。
誰かが、佐久間の名前を知っている。気づかれずに、見ている。
「ナオ、大丈夫か?」
向かいの佐久間が、不思議そうに眉を寄せる。
その穏やかな声が、ナオを現実に引き戻した。
「うん、ちょっと暑かっただけ」
笑ってごまかしながらも、グラスの中の氷が、カランと音を立てていた。
──熱を抱えたまま、ふたりは店を出た。
*
──でね、SNSで今、めっちゃ流行ってるのよ。
夕食の席。ナオと佐久間、そして真鍋と桐谷の四人は、少し照明の落ちたダイニングバーにいた。
カクテルグラスを傾けながら、真鍋はスマホを片手に、ノリノリで話している。
「ほら、これ。女装系男子。ってか、もう女の子でしょ。
すごくない? この子、今バズっててさ。20万フォロワーだって」
「え〜、まじで? めっちゃ完成度高いじゃん」
桐谷が身を乗り出し、ナオの向こうから画面を覗き込む。
「なあなあ、ナオくん、これ見てみ。どう? 佐久間さんの趣味に合いそう?」
「え、なんで僕に聞くの」
「いやいや、おそろスマホで、もう両親にも紹介済みでしょ? この前なんてミーティアで“王子”に選ばれたナオ様ですよ? これはもう……俺たちもナオ様に色々おしえてもらわないと」
「うわ、それ言う?!」
ナオが思わず手で顔を覆うと、佐久間が堪えきれずに小さく吹き出す。
その様子をグラスを傾けながら見ていた桐谷が、ふっと笑みを浮かべて口を開いた。
「ま、でもほんと、ここまで堂々としてるカップルって、こっちも清々しくなるわ。……見習わないとね、俺らも」
ナオはその言葉に、くすぐったいような気持ちになって、手の隙間からそっと桐谷を見た。
そんな空気をぱっと変えるように、真鍋が「はいはい」とおどけながらスマホをくるりと回転させ、テーブルの中央に差し出した。
「この子、可愛いよな。角度も完璧。まつ毛くるっくる。
……男って信じられる?」
「うわ、ほんとだ。……綺麗」
ナオは画面を覗き込み、驚いたように目を細めた。
どこかで見た気がする。目元、髪の色、角度。
でもすぐには思い出せない。
「……これ、吉田の妹さんじゃないか?」
と佐久間が静かに言った。
「え、うそ」
「この前、会社の前で会ったよな。たしか、吉田と一緒にいた時に」
「え〜! すご……」
とナオが口にしたそのとき。
写真の中の“女の子”の腰元に、小さなキーホルダーがぶら下がっていた。
──クララ。
丸っこいクラゲのキャラ。あの日、カフェの制服の腰につけられていた、あの限定の夜光グリーンのアクリル。
(……え?)
あれは、確か……。
(じゃあ、もしかして、あのカフェの子……)
けれど“彼女”の頬には、ほんのりチーク。睫毛の先にまで光がある。
ナオは息をのむ。
(……男子? でも、まさか)
断定はできない。ただ、視界の隅がかすかにざわついた。
──つづく。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
カフェの“あの声”と、SNSに映る“彼女”の正体。
ナオの胸のざわめきは、恋心だけではないのかもしれません……。
次回、11話ではついに“彼女”の素顔にナオが迫ります。お楽しみに!




