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第7話 推しカプ警報、発令中(吉田視点)

月曜の朝。広報・吉田詩織のタイムラインは「尊い」で埋まっていた。

逆光のシルエット、温泉の浴衣、そして偶然の路上遭遇。

——彼女(腐女子)の視点から見える“二人”の世界、はじまります。

──月曜の朝、出社前。


吉田詩織は改札を抜けながら、昨夜のDMスレッドをもう一度スクロールした。


(……「別人だよ〜笑」ね。うんうん、そう来ると思ってたよ、ナオくん)


あっさり引き下がったのは表向き。内心では確信している。あの逆光シルエットの肩幅、立ち姿、並びの高さ。あれは、どう見ても——ナオと佐久間主任。


(尊……っ)


胸の奥で小さく爆散する歓声を押し殺し、駅前の横断歩道を渡る。


脳内では、昨夜のミーティアのストーリーが勝手に編集され、社内旅行の写真フォルダとクロスフェードしていく。温泉での浴衣ショット→VIPの影絵→エレベーターホールで並んで立つふたり。想像のBGMは、ピアノとストリングスの甘いワルツ。

(はぁ……月曜の朝から心拍数あげないで……でもありがとう)



デスクに着くと、すでに広報用の旅行写真の整理が進んでいた。吉田はマウスを握りながら、ふと視線を斜め前にやる。


コピー機の前、資料を受け渡すふたり。佐久間の「ありがとう」の声は低く短く、ナオの返事はすこし跳ねる。距離は、常識的。けれど、目線の運びにだけ、無意識のやわらかさが滲む。


(この“ふつう”の上に、ちゃんと“特別”が乗ってる感じ……)


胸の内側で、またワルツが鳴る。吉田は自分の頬がゆるむのをなんとか抑え、黙々と写真のリサイズに戻った。



終業時間。社屋を出ると、ビルの谷間に夕風が通っていく。待ち合わせのメッセージを送ると、すぐに返ってきた。


「おねえちゃーん!」


澄んだ声とともに、ワンピースの女性が小走りで近づいてくる。薄いベージュの裾がふわりと揺れ、艶のある黒髪が肩で跳ねた。すらりとした脚線、きちんと塗られたネイル、微笑んだときの大きな瞳──その一瞬で、通りの視線が吸い寄せられるのがわかる。振り返る人が何人もいた。


吉田は自然に笑って手を振った。


「待たせた? ごめん」


「全然。……今日なに食べる? パスタ? それとも甘いもの先?」


「どっちも、は欲張りかな。じゃ、パスタしてデザートはハシゴ——」


「お疲れ様です」


背中から落ちてきた声に、思わず振り返る。


「佐久間主任、ナオくん」


出入口の自動ドアを抜けたタイミングで、ふたりと目が合った。ナオはどこか緊張した面持ちで、会釈が少し深め。佐久間はいつも通りの落ち着いた顔。


「お疲れさまです、吉田さん」


「お疲れさまです」


一拍、沈黙。ナオが——視線を女性のほうへ移し、慎重に口を開いた。


「あの……妹さん、ですか?」


吉田は、ほんの少しだけ間を置いた。横に立つ“彼女”がこちらを見上げる。瞳が「どうしようか」と問う。


「……まあ、そんな感じ。妹の伊織よ」


にっこり笑って言うと、隣の“妹”も、同じ弧を描いて会釈した。


佐久間は軽く会釈を返し、ナオは「は、はじめまして」と少し上ずった声で応じる。ほんの短い立ち話——本日の業務の小ネタ、来週の全体MTGの確認——を終えると、ふたりは「失礼します」と去っていった。ナオは最後まで礼儀正しく、どこかぎこちない。佐久間は、終始ブレない。


背中を見送りながら、隣の伊織が小さく息を吐いた。


「お姉ちゃん、いまの人たち……?」


「会社の同僚」


無難に答える。けれど、姉の趣味を知る“妹”の横顔はどこか察したように笑っていて——それより、と小声で続けた。


「さっき、“妹”って言ってくれてありがとう」


信号待ちの赤の下、彼女——いや、彼——は囁く。吉田は頷いて、目の端だけで横顔を見た。


「ばれてない、よね。僕が女装してるの」


「ばれてないよ。完璧。声も姿勢も、今日のワンピも似合ってる」


「よかった……」


伊織はほっと笑う。メイクは落ち着き、歩き方も自然だ。

吉田は小さく息をつく。口ではさらりと流しつつ、弟が選んだ“いまの姿”を壊させまいと、そっと歩調を合わせる。

「でも、やっぱり“妹”って呼ばれると安心する。僕、いつか自分のままでも胸張って“僕です”って言えるようになりたいけど……今日は、ありがと」


「いつだって、あなたの味方」


横断歩道が青に変わる。二人で歩き出しながら、伊織がくすっと笑う。


「それでさ。さっきの同僚さん、二人とも雰囲気よかった。特に——」


「しっ」


吉田が小声で制す。が、伊織は首を傾げて、さらりと言った。


「ていうか、あの二人と会うの、僕今日が初めてじゃないよ」


「えっ!? いつ、どこで?」


足が半歩、止まる。吉田が食いつくと、伊織は前髪を指で払って、いたずらっぽく目を細めた。


「日曜日の朝、僕のバイトしてるカフェに、あの二人よく来るよ。最近“近くに引っ越した”って言ってた」


「…………は?」


吉田の思考が一瞬、無音になる。


(毎週? 朝? 近所? 引っ越し? つまり──)


(同棲?!?)


脳内で赤い文字が連打され、腐女子的非常ベルがフル稼働する。情報が多い。尊さが過積載。心拍数、上昇。


「ち、ちょっと待って伊織、頻度は? モーニングは何? 寄り添い度は? 会話の温度は? 指輪はして──」


「質問多すぎ。あと、内緒ね」伊織はくすっと笑って、肩をすくめる。「お姉ちゃんが暴走すると、僕のバイト先が燃える」


「燃えない、燃やさない、でも尊い……!」

吉田はうっかり電柱に額をコツンと当てそうになり、慌てて体勢を立て直す。


「じゃ、日曜の朝にでも案内しようか? モーニング奢るよ」


「や、やめて! 尾行しないから! ……たぶん!」


伊織は「たぶん、が聞こえた」と笑い、信号の青に合わせて歩き出す。

夕暮れの風が少し冷たく、でも軽い。吉田の胸の中で、祝・推しカプ記念日が始まった。


──つづく

今回は吉田視点で“尊みセンサー”を最大出力に。

新キャラ・伊織もいい風を入れてくれました。

次回は「日曜の朝のカフェ」線か、桐谷の相談線、どちらかをふくらませます。お楽しみに!

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