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第5話 乱れ襟の朝と『ミーティア』の夜へ

布団が並ぶ朝、寝息まじりの「おはよう」と、ほどけた襟元。

謝るナオに、ただ優しく触れるキス。

チェックアウトでは結城の謝罪と、真鍋経由の“夜の招待状”。

オフィスへ戻れば、旅行写真で社内は大合唱——ナオの鼓動、また少し速くなる。

──翌朝。


薄い障子越しに落ちる光が、畳の目をやわらかく撫でていた。

並べた布団の間に、朝の空気が静かに横たわっている。


先に目が覚めたナオは、隣の布団へそっと視線を移した。

仰向けの佐久間。乱れた前髪の下で、長いまつげが落とす影。ゆっくり上下する胸。寝ているのに、どこか凛としている。


(……かっこいいな)


無意識にスマホを手に取って、手元で露出を落とす。シャッター音が鳴らないように設定して、そっと一枚──。

撮った瞬間、現実が追いついてきて、みるみる頬が熱くなる。


(やば……なにしてんの俺……)


スマホを胸に伏せたとき、低い声が空気を揺らした。


「……おはよう」


佐久間がまぶたを持ち上げ、寝起きの掠れた声で微笑む。

その目線が、ふとナオの襟元で止まった。


浴衣の合わせが、寝返りのせいでゆるんでいる。鎖骨のラインに、朝の光が薄く溜まっていた。


その瞬間、ナオの耳に音が立ち上がる。

ギターのミュートと心拍みたいなキックが、控えめに脈を刻む。上から落ちるストリングスは、抑制と焦燥の真ん中で揺れている。


──♪ ふいの朝 ほどけた襟元

   平常心 保て でも目が離れない


(……佐久間さんのBGM……!)


と同時に、昨夜の真鍋の“悪魔のアドバイス”が鮮やかに蘇る。


──「浴衣、ちょっとはだけさせときな。男の本能くすぐるから」


(……狙ってない、狙ってないから……!)

反射的に襟を直しかけて、でも逆に慌てて手を引っ込める。余計に意識してしまって視線の行き場を失い、ナオは布団の端をつまんだ。


「……あの、昨日、えっと……」


「うん」


「その……ちゃんと、できなくて。すみません」


言い終えてから、さらに顔が熱くなる。

佐久間は短く瞬きをして、のろのろと上体を起こした。布団の端を押さえた手が、ナオの頭にそっと降りる。


「謝ること、何もない」


「でも──」


言葉を継ごうとした唇に、やわらかくキスが落ちた。

額に、もうひとつ。朝の空気に溶ける、軽い音。


「……おはよう」


「……おはようございます」


喉の奥でほどけた声が、自然と笑いに変わっていった。



支度を整えてロビーへ降りると、チェックアウトの列は小さなざわめきに満ちていた。

精算を終え、スーツケースの取っ手を伸ばしていると、涼しい声が背中から届く。


「昨日は……すみませんでした」


振り返ると、結城 翔がいた。旅館の朝に馴染む薄色のシャツ。表情は整っていて、声も落ち着いている。


ナオは慌てて首を振った。


「い、いえ。もう大丈夫ですから」


佐久間は短く「……そうか」とだけ言って視線を外す。その無駄のない仕草に、まだ消え切らない棘の影が見えた。


結城がふっと視線を横に流す。


「あれ、真鍋さん?」


「お、バレた?」

真鍋が手をひらひらさせて近づいてくる。にやっと笑って、結城の肩を軽く小突いた。


「相変わらず、仕事でも現場でも顔が広いねぇ。昨日は“キャストの顔”は出さなかったじゃん?」


「さすがに旅館では。……そういえば、来週『METEORミーティア』のイベントでステージに出ます。二丁目の。よかったら、観に来ません?」


「ミーティア、いいじゃん。透(=桐谷)と行くわ。VIP空いてる?」


「もちろん。取り置きしておきます」


会話がごく自然に“界隈の言語”で転がり、ナオは半歩遅れて置き去りになった感覚を覚える。

結城がさりげなくこちらに向き直った。


「よかったら、お二人も。別に踊れって話じゃないので。見てるだけでも楽しいから」


「え、あ、その……」

ナオがうろたえる横で、佐久間は目を細めて無言のまま。気まずさが空気に薄く混じったところで、真鍋が軽く手を叩いた。


「まーまー。ふたりは純愛コースだから。社会見学くらいの気持ちで、そのうちね」


結城は肩をすくめ、営業スマイルに戻る。


「ではまた。仕事、頑張ってください」


すっと背を向ける。遠ざかる背中を見送りながら、ナオは胸の中のもやもやに、呼吸を合わせた。


(……仕事、戻ろ)



週明け。

オフィスに戻ると、総務の島から甲高い歓声が上がった。旅行の写真データがお披露目になったらしい。モニターにスライドショーが流れ、あちこちから「待って、それ拡大して!」の声。


コピー機の横を通り過ぎようとした瞬間、ナオの耳に、複数の旋律が重なって落ちてくる。


──♪ 旅館の廊下で すれ違う二人

   袖が触れて 世界止まる(合唱)


──♪ バスの中でティッシュを差し出す手

   それはもう 求婚の儀(ストリングス増量)


──♪ 浴衣の並び 尊い 尊い

   何度でも言う 尊い……!(太鼓ドン)


(うわ、来た……! 写真BGM合唱タイム……!)


画面には、宴会場のテーブルで肩を寄せるように座る自分と佐久間。別のカットでは、真鍋がナオの耳元でなにか囁いていて、佐久間が遠目にこちらを見ている──ように“見える”。


「ナオくん、これ! ねぇ、この距離、近くない?」

「ほらほらバス、これ! 佐久間主任のティッシュ差し出し、優しさの塊じゃん!」


(お願い、止まって……!)

心の中で土下座しながらも、表面上は「いやいやいや」と笑ってやり過ごす。そこへ、いつもの気だるげな声。


「ナオちゃん」


「……真鍋さん」


「来週の『ミーティア』、結城の出るやつ。社会勉強、行かない? 透がVIP押さえてくれるって」


「VIP……!」


女子社員の数名が一斉に振り向く。「VIP?」のさざ波に、ナオは慌てて両手を振った。


「ぼ、僕、一回佐久間さんに聞いてみます。予定もあるし……」


「はいはーい。じゃ、確認とれたら教えて」


真鍋は軽くウインクして去っていく。

デスクへ戻ると、佐久間がちょうど席についたところだった。目が合い、ほんの一瞬だけ、朝より柔らかい光が目元に灯る。


(……言うタイミング、どうしよう)


PCを立ち上げながら、ナオはこっそりスマホを手に取った。

打ちかけて、消す。言葉を選んで、また打って──送信は、まだ。


遠くでまた、写真BGMのコーラスが盛り上がる。


──♪ 旅は終わっても 物語は続く

   次のページは クラブの灯り? それとも──


ナオは苦笑しながら、画面に向き直った。


(つづきは……一緒に、決めよう)


──つづく。

朝の甘さから一転、夜の街の灯りが近づいてきました。

次回は『ミーティア』。結城のステージ、真鍋&桐谷の悪ノリ、そしてVIP席で揺れるふたりの距離。

BGMは高鳴り、視線は交差し、物語は次のビートへ。お楽しみに。

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