第3話 旅館マジックと獣のBGM
社員旅行の夜。浴衣姿の佐久間主任とナオが並ぶだけで、女子社員たちの妄想BGMが大暴走──!?
そして夜風が涼しいテラスで、まさかの修羅場(?)がはじまる…!
大広間は、湯気みたいな笑い声で満ちていた。
テーブルの上には、鮮やかなお造りや土瓶蒸し、陶器の徳利に瓶ビール。畳にちゃぶ台、旅館ならではの並びが、どこか懐かしくて浮き立つ。
浴衣に着替えた社員たちも、いつもより少しだけ砕けた表情。
照明は落とされ、障子越しの夕映えが、柔らかく場の輪郭を染めている。
「佐久間主任、やっぱり和装、似合いますね〜」
「ていうか、ナオくんも色白だから……ちょっと待って尊くない?」
──その瞬間、女子社員たちの脳内でBGMが爆発する。
スローテンポな和風ラブバラード。琴の旋律が切なげに揺れ、篠笛の音色が重なる。
サビでは艶やかなストリングスが入り、地鳴りのような太鼓がドクンと鼓動のように鳴る。
歌が重なった瞬間、空気に色と湿度が加わる。
──♪ 息をのむ浴衣の破壊力
淡い色 並ぶふたり ここは箱根の奇跡
肩と肩が触れそうで 触れなくて
距離近すぎて 呼吸困難……!?
まるで月9ドラマのエンディングのような壮大さ。
見ている本人たちの妄想を越えて、周囲が勝手に“物語”を構築し始めていた。
(……ああ、まただ……また始まってる……)
佐久間は、というとそんな空気を微塵も感じていない風で、落ち着いた手つきで猪口を傾けている。
黒と白の縞模様が入った浴衣がよく似合っていて、前髪の影から覗く目元にやけに色気があるのが困る。
ナオ自身も、明るい水色の浴衣に袖を通しているけれど、こうして並ぶとどうしても“並び立つ色彩”に見えてしまって、妙に意識してしまう。
「ナオちゃーん、こっちこっち!」
少し赤ら顔の真鍋が、向こうの卓から手を振った。佐久間は部署の上司たちのグループに呼ばれ、ナオも一度は別の席へ──
上司に注ぎ、注がれ、一通り場が落ち着いた頃、真鍋がいつの間にかナオの隣に滑り込んできた。
そして、唐突に──
「で、どうなの?」
「なにが、ですか」
「ナオちゃーん、同棲してるんでしょ? 進捗、聞いとかなきゃなって」
「業務報告みたいに言わないでください」
ひょうひょうとした笑いに、つい口元が緩む。が、次の一言で、箸が止まった。
「ぶっちゃけ、どこまでいってる?」
こっそりの小声。ナオは一瞬、頭の中が真っ白になる。
「……き、キスは、偶然の一回くらいで……」
「は!? そこ止まり!?」
テーブルの板が小さく鳴るくらい、真鍋は肩を跳ねさせた。周囲が一瞬だけ静まり、すぐにまた笑いに紛れる。
「……足りないな」
「えっ」
「このままだと尊すぎて燃え尽きる。よし、俺が攻略法を伝授しよう。旅先スペシャル、今夜から実践可」
「や、やめてください、ぜったいロクなことにならないやつ! あの、ほんとに大丈夫です」
「ナオくん、ナオくん……」
ぐいと肩を寄せて、真鍋が口元に手を当て、ごにょごにょと小声で何かをささやく。
「……そんなこと、できませんよ!? ていうか意味わかんないですし!」
顔が一気に熱を帯びる。真鍋は「まあまあまあ」と笑いながら背中をぽんと叩いて、「任せとけって」と根拠のない自信に満ちた顔をしていた。
そんなふうに至近距離で話している二人を、佐久間は視線の端でじっと見ていた。相手の話を聞いているふうでいて、明らかにそわそわと何度もちらちらとナオのほうを見る。
ナオはそれに気づき、耐えきれないように立ち上がった。
(……だめだ。ちょっと外の空気、吸おう)
おちょこを置き、「少し、外に」とだけ言って席を立つ。
廊下を抜けると、簀の子のテラスが庭にせり出していた。夜風が、汗ばむ頬にやわらかい。遠くで、源泉の落ちる水音。虫の声は細く、空は薄い群青。
手すりに指をかけ、息をひとつ吐く。
(ばれないように、って思うの、もうやめればいいのかな。……でも、会社、だし)
その瞬間、不意に背後で足音。
「ナオ」
低く、抑えた声。振り向けば、佐久間がすぐそこに立っていた。
「……さっき、真鍋と何を話してた?」
「え、あ、たいしたことじゃ……ほんと、どうでもいいことなんです」
視線が泳ぐ。嘘ではないけど、話せるような話でもない。顔がまた熱くなる。
「……ふうん」
言葉の代わりに、佐久間の手が伸びてきて、ナオの腕をとる。次の瞬間、ぐっと自分のほうへ引き寄せられ、胸に抱き寄せられた。
鼓動が、跳ねる。
「……佐久間さん……」
「さくまさ〜ん!」
タイミング悪く、大広間から同僚の声が飛ぶ。佐久間は舌打ちするかわりに、小さく息を吐いて、ナオを離した。
「……戻る。あとで、話そう」
背中を向け、佐久間が宴席へと戻っていく。その後ろ姿を、ナオは呆然と見送る。
(……え、なに、今の……)
まだ胸の鼓動が、うまく戻らない。
……そのときだった。
「……なおさん」
背後から名を呼ばれ、びくっとなる。
振り向けば、そこにいたのは──結城 翔。
淡い色の浴衣に身を包み、やけに落ち着いた表情で、ナオを見つめていた。
「さっきの……佐久間さん、ですよね? あれって……お付き合いされてるんですか?」
「え、あ……あの……」
言葉に詰まるナオ。結城はそんなナオの様子を、どこか愉しげに見ながら微笑んだ。
「ふうん……そうなんだ。でも、ナオさんみたいなタイプ、僕、すごく好みで」
一歩近づいてくる。
「よかったら、僕とも……楽しみませんか? 佐久間さん、かっこいいし、もしよければ……三人でも、僕は全然」
──その瞬間。
ナオの耳に、新たなBGMが突如として炸裂する。
妖艶なベース音。艶めいたサックス。ジャズとエレクトロが融合したような、底に蠢く獣的な音の波。
──♪ 欲望は理性を溶かす
灯りの少ない夜に 牙を光らせる
誰にも見せない顔で 君を飲み込む──
(……え、なにこの曲……っていうか、え、え、え!?)
状況が飲み込めず、フリーズするナオ。その動揺を「了承」とでも思ったのか、結城がさらに顔を寄せ──
「や、やめ──」
唇が触れそうになる、その瞬間──
「……何してるんだ」
背後から、低く冷たい声。
結城の肩をつかんで引き剥がすように、佐久間が現れた。
次の瞬間、静寂が夜のテラスを支配した。
──つづく。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
旅館の宴会は、色んな意味で危険ですね。
なおのピンチに駆けつけた佐久間さん、かっこよかったけど…続きが修羅場になるか、甘くなるか、ご期待ください!
次回、「結城、まだ引き下がらない」です(仮)。




