シーズン3 第1話 同棲、はじまりました。
ついに始まった、新しい生活。
クールな佐久間さんと一緒に住むなんて、ついこの前まで夢だったのに──。
ボサノヴァが流れる、段ボールだらけの2LDK。
心が浮かれすぎて、バレないようにするのが精一杯です。
……それでも、幸せです。たぶん、佐久間さんも──。
──新居、初日。
「……これ、キッチンの箱じゃなかったっけ?」
段ボールの山を前に、ナオが首をひねる。
「いや、それ、トースター入ってる方」
「なんでそんな即答……」
佐久間は床に片膝をつきながら、目の前の箱を器用にほどいていく。
その横顔は、いつもどおりクールで淡々としていた。
ふたりで借りた、明るくて清潔感のある2LDK。
ナチュラルウッドの床に、白を基調とした壁。南向きの窓からは夏の光が差し込んで、室内をやさしく包み込んでいた。
まだ家具もインテリアも揃っていないけれど、それでも新しい生活のはじまりには、特別な空気がある。
そのとき──
ふと耳に心地よいリズムが届いた。
──♪ シャバダバ〜 シャバダダ〜 シャバ〜ダバ〜〜♪
(ん? なんか、ボサノヴァ……?)
ゆるくて洒落た感じのリズム。てっきりどこかで音楽を流しているのかと思ったナオは、無意識にスマホのスピーカーやキッチンを見渡した。
けれど──なにもない。
(……え、これ、まさか)
ゆるやかなベースに、気の抜けたようなコーラス。
耳に馴染みすぎて気づかなかったが──これは、佐久間さんの心のBGMだった。
(……嘘でしょ。あの佐久間さんが……!?)
目の前で黙々と段ボールを開けているその姿は、いつも通りクールで、表情も変わらない。
けれど、心のなかではこんな“シャバダバ”な音楽が流れてるなんて。
(……浮かれてる。絶対、浮かれてる……!)
まさかのギャップに、ナオは吹き出しそうになりながらも、胸の奥がふわっとあたたかくなるのを感じていた。
(そっか……佐久間さんも、同じ気持ちなんだ)
「……夢みたいですね。ほんとに一緒に住むんだって」
ナオは手を止めて、ぽつりとつぶやいた。
「現実だろ。領収書、財布に入ってる」
「……ああ、そういうロマンの砕き方します?」
「それでも、俺は嬉しいよ」
──その言葉に、ナオの心はまた、やさしく波打った。
佐久間の横顔には、さりげない微笑みがあった。
ナオはその表情に照れ隠しのように咳払いしながら、別の箱へ手を伸ばす。すると、中から出てきたのは物件の資料ファイルだった。
「あ……これ」
無意識に口からこぼれた声に、自分で気づいて、ナオは資料をそっとめくる。
――まだ、引っ越しを決める前。
不動産会社で初めてこの部屋の内見をしたあの日の記憶が、ふわりとよみがえる。
「えっ、この部屋……めちゃくちゃ良くないですか!? 陽当たりも完璧だし、バルコニー広いし、あとキッチン、これ、アイランドですよ!?」
当時のナオは、テンションが上がりすぎて、部屋の内見中にもかかわらず走り回っていた。
「俺たちが最初に見に来たんで、ほぼ決まりですね」
そう言ったのは、担当の不動産営業・結城翔。
爽やかなイケメンで、物腰は柔らかいのにどこか“押し”が強い。
内見中、やたらナオにばかり話しかけてくることに、佐久間が微妙にピリついていたのをナオはうっすら感じていた。
「ナオさんって、料理とかされるんですか? このキッチン、絶対映えますよ」
「いやー、どうですかね。まだまだ修行中ですけど……」
「映えるって、料理じゃなくて部屋の話だろ」
佐久間の声が、やや低めに割って入る。その場は何事もなかったように流れたけれど、ナオは心の中で苦笑していた。
(……なんかバチバチしてる)
とはいえ、こんなに条件のいい部屋は他になかった。
陽当たり、間取り、アクセス、家賃。どれをとっても文句のつけようがない。
「わ、見てください! このバルコニー、めっちゃ広い! 夏になったら、ここでふたりでビールとか……いや、冷やし中華とか食べてもいいですね! あ、ほら、キッチンもアイランドですよ!? このコンロ、三口ありますよ佐久間さん!」
ナオは部屋のあちこちを動き回りながら、少年のような目を輝かせて喋り続ける。
佐久間の返事を待つ前に、とにかく伝えたい気持ちがあふれて止まらない。
「……この部屋、いいですよね。僕、ここがいいです」
そう言って、ナオはパッと振り返り、まっすぐに佐久間の目を見た。
佐久間は少しだけ目を細めて、その勢いに押されるように静かに頷いた。
「じゃあ、ここにしよう」
その一言に、ナオの顔がふわっと緩む。
まるで「自分の気持ちを丸ごと受け止めてもらえた」みたいな、安心と嬉しさがにじむ笑顔だった。
その場で仮申込を済ませるふたりを見ながら、結城は笑顔を崩さなかったが──
ナオの背後に立つ佐久間の視線が、ほんの少し鋭くなっていたのを、彼だけは気づいていた。
*
週明けの月曜日。
会社のエレベーターで、ナオはなぜか妙に緊張していた。
(……べつに、悪いことしてない。してないけど……)
同じ部署の人たちと顔を合わせるたびに、“なにかバレてないだろうか”と不安になる。
もちろん、自分と佐久間が付き合っていることを公表したわけではない。
ただ、同じ社内にいて、今や「恋人同士」というのが、なんとなくバレそうでバレてない──そのギリギリのラインに立っている気がして。
そんなことを考えながらPCを立ち上げていたら──
「ナオ」
背後から、低く落ち着いた声がした。
(ひゃっ!?)
ナオはビクリと肩を震わせて、跳ねるように振り返った。
「さ、佐久間……さん……!」
そこには、いつも通りクールな表情の佐久間が立っていた。
変わらない落ち着き、少し前より距離が近い気がして──ナオは無意識に背筋を伸ばした。
「この資料、君がまとめたやつか?」
「あっ、はい! そうです!」
「助かる。精度も高い」
「ど、どういたしまして……!」
(こ、これは……! 社内で“ナオ”って呼ばれた……!)
その瞬間──
どこからか、乙女心満載の歌声がナオの耳に飛び込んできた。
──♪ ナオ呼び尊い 職場で名前呼び〜
あれはもう、付き合ってる確定演出……!♪
(……誰の!? っていうか、どこから……!?)
視線の端に映ったのは、コピー機付近でこっそり耳をそばだてている女子社員数名。
そのひとりが、目をキラキラさせながらナオと佐久間を交互に見ていた。
(やばい! BGM聞こえるってことは、相当妄想が暴走してる!)
ナオは慌てて体をそらせ、動揺を隠すようにモニターに視線を戻した。
そのとき──
すっと横から、気だるげな声が耳元に滑り込んできた。
「よぉ、ナオちゃん」
「……真鍋さん」
振り向いた先には、いつも通りネクタイを緩めたチャラさ全開の真鍋の姿。
「ところでさ〜、来週の社員旅行なんだけど」
「は、はい……?」
真鍋はニヤッと笑い、ナオの耳元に顔を近づける。
「佐久間さんと、同じ部屋にしといたから」
「…………は!?」
「よかったな〜、恋人部屋♪」
ウインクと共に背中をポンと叩かれ、真鍋はそのまま軽やかに去っていった。
(……ちょ、ちょっと待って!? どういうこと!?)
顔から火が出るかと思うほど真っ赤になり、ナオはぐるぐると頭を抱える。
(え、もうバレてる!? バレかけてる!? いや、真鍋さんは最初から気づいてたけど……!)
──よりにもよって、社員旅行。
社内恋愛を隠し通すには、最難関のイベント。
(どうするの俺……!? このまま行ったら、絶対なにかやらかす……!)
ナオは机に突っ伏したい衝動を必死で抑えながら、モニターに目を戻した。
──つづく。
シーズン3、いよいよスタートです!
新生活に舞い上がるナオと、クールなはずなのに“シャバダバ”な佐久間さん。
ふたりの関係はバレずに続けられるのか……?
次回はいきなり社内旅行の爆弾が落ちてきます。お楽しみに!




