第30話(シーズン2最終話) 君と歩くこの先に、永遠を
※この話は「シーズン2(第2部)」の最終話となります。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
ナオと佐久間、ふたりの関係が少しずつ変わりながら、気づけば「家族の輪」の中に、そして「これからの人生」の中に、ちゃんとお互いの姿を見つけられるようになってきました。
第2部のラストは、そんなふたりの「小さな始まり」の物語です。
ゆっくりと、でも確かに動き出した未来を、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
玄関のにぎやかな見送りから、門をくぐった瞬間──
世界が、ふっと静かになった気がした。
あれほどわいわいと賑やかだった実家。
笑い声に、手料理の匂い、あたたかい眼差しと、あたふたする自分。
そんな嵐のような時間が、急に遠く感じられる。
「……じゃあ、いきましょうか」
ナオがぽつりと言うと、佐久間さんが一歩うしろで静かにうなずいた。
「そうだな」
ほんのりと残るお酒の余韻。
気温は高いはずなのに、夜風が妙に涼しくて──
さっきまでの喧騒と対照的な、静かな夕暮れだった。
蝉の声もどこか遠くに引いていく。
道の向こうには、日が傾いていく空と、ふたりきりの帰り道。
さっきまでのあの賑やかな“家族”の空間が、まるで夢だったみたいで。
ナオは胸の奥に、ぽつりと灯った何かを抱えながら、並んで歩き出した。
「さっきの……ちょっと、びっくりしました」
「俺も驚いた」
「え?」
「まさか“彼氏さん”って、先に言われるとは思ってなかったからな」
ナオは思わず吹き出した。
「……え? そっち!?」
言葉が、うまく続かなかった。
(……なにこれ……なにこの感じ……)
胸の奥がぐるぐるしてる。
嬉しいとか照れるとか、そんな単純なレベルじゃ足りない。
生まれてこのかた、彼女も恋人もいたことがない自分が、まさか、プロポーズを──あの佐久間さんに──されてしまうなんて。
(どうしよう、気まずい……うまく呼吸できてる? 俺、いまちゃんと歩けてる?)
そんなふうに、頭の中がパニック寸前でぐちゃぐちゃになっていたそのとき──
視線の先、ほんのり夕日に染まった赤茶色の鉄棒が目に入る。
その奥には、色あせた滑り台。隅には少し傾いたブランコが、誰もいないのにゆっくりと揺れていた。
「……あ」
ナオの口から、自然と声が漏れた。
「あ……ここ、俺の通ってた小学校です」
声が勝手に出ていた。
歩いてきた道の先に、懐かしい校舎が見える。
夕焼けに染まるグラウンド、誰もいない鉄棒と滑り台。
ナオはそこに視線を向けたまま、なんとか落ち着こうとするように続けた。
「滑り台の上、あのあたり……やっちゃんに毎日占拠されてて、僕、泣かされてばっかりでした」
フェンスの向こうを見つめながら、話すトーンも自然と柔らかくなる。
「“支配の塔”って呼ばれてたんですよ、ここ。やっちゃんが降りてこなくて、男子は全員、下で泣かされるっていう……」
苦笑しながらナオはフェンスに手をかけた。
ようやく、自分の心拍が少しずつ落ち着いていくのを感じる。
「……小学生のときは、あんなに大きく感じたのに。今見ると、驚くぐらい小さいですね」
そのままナオは、隣にあるブランコへ足を向けて──ふっと腰を下ろした。
軋むチェーンの音と、夏の終わりの蝉の声だけが、空にのびていった。
その様子を、数歩離れた場所から佐久間はじっと見ていた。
ゆっくりと揺れるブランコ。その上で、気持ちを落ち着けようとしているナオの横顔。
風が吹いて、髪が少しだけ揺れた。
(……こんな顔もするんだな)
佐久間の視線はやわらかく、どこか愛おしさを滲ませていた。
そして──
ひとつ、決意を込めたように息を吸い、佐久間は静かにナオへ歩み寄っていく。
その足取りはまっすぐで、もう迷いはなかった。
一方でナオの脳内では──
──♪ 君となら 歩いていける
今日が始まりの記念日
この手を離さない 未来の先まで──
(……佐久間さんのBGM、ずっと流れてる)
あたたかくて、まっすぐで、嘘のない音楽。
優しすぎて、ずるいくらいにやさしくて──
ナオは、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じていた。
それは、泣きたくなるようなあたたかさだった。
まるで、心の奥に触れられてしまったみたいに。
視界がほんのりにじんだ、そのときだった。
佐久間がそっと、ナオの背後から腕を回す。
「ナオ、お前を一生幸せにする」
その声は、冗談でも勢いでもなく──ただ、まっすぐに、心の奥に届くものだった。
そして佐久間の手が、ポケットから何かを取り出す。
佐久間はそのまま、ナオの左手を取り──薬指に、そっとリングをはめた。
ぴたり、と吸い付くように収まるシルバーの指輪。
「……うそ」
ナオが顔を上げると──佐久間の左手にも、同じ指輪がはめられていた。
その瞬間、ナオの脳内にはまっすぐで、情熱的なバラードが流れはじめた。
ストリングスの響きが心を包み込むように広がり、男性ボーカルの澄んだ声が、まるで告白のように歌い上げる。
──♪ 愛してる ナオ 誰よりも
君と出会って 僕は変わった
この想いはもう 止まらない
ずっと君を 守っていく──
(……佐久間さん……)
(こんなふうに、俺のこと……)
ナオは胸がいっぱいになって、うまく言葉にできなかった。
けれど、心の奥のどこかが、確かに震えていた。
佐久間の腕の中で、ナオはそっと手を握った。
「僕でよかったら……こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言ったあと、ナオの声はほんの少し震えていた。
自分でも気づかないうちに、ぽろっと涙がこぼれる。
「……なんで、泣いてるんだよ……俺……」
佐久間はなにも言わず、そっとナオを抱き寄せる。
その腕のあたたかさに、ナオは目を閉じた。
***
段ボールの山が積まれた、明るい部屋。
夏の光が大きな窓から差し込み、白い壁とナチュラルウッドの床をやさしく包み込んでいた。
キッチンはアイランド型。リビングの奥には、ガラス扉の向こうにもう一部屋──。
「ナオこっち、カーテンの箱だっけ?」
「えーっと、違います。それは……トースターでした」
「どんな分類なんだよ」
新居。
ふたりで借りた、少し広めの2LDK。
まだ家具は揃っていないけど、笑い声だけはちゃんとある。
ナオがふと手を止め、白くて広い天井を見上げた。
(……ほんとに一緒に住むんだ……)
そして、目の前で段ボールを開ける佐久間の背中を見つめた。
(……ずっと憧れてた、佐久間さんが……いま、俺の横にいる)
ほんの少し前まで、手が届かない存在だった人が、いまは同じ部屋で、同じ未来を見てくれている。
そのことが、信じられないほど嬉しくて、そして、少し怖くなった。
(誰にも……渡したくない)
胸の奥にわきあがったその気持ちが、ナオの唇から自然にこぼれた。
「……蓮」ナオは佐久間の下の名前を呼んでいた。
名前を呼んだ瞬間、自分の声が震えていたことに気づく。
けれどそれは、迷いのない決意がこもっていた。
佐久間が、ピクリと動きを止めた。
ゆっくりと顔を上げたその耳は、真っ赤に染まっていた。
そして、ナオの頭の中に──
──♪ 君が名前を呼んだとき
僕の世界は 君しかいなくなった
守ると決めたよ すべてを
この愛で──
まるで宣言のように、爆音で流れはじめたBGM。
ナオは照れくささに顔をそむけながら、手にした缶コーヒーを差し出した。
「じゃあ、改めて──」
ふたりで缶をカチンと合わせる。
「「よろしくお願いします」」
缶の中で、未来の音が確かに鳴った気がした。
──第2部 完
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
第2部では、「ふたりの気持ちが重なる瞬間」までを丁寧に描くことを意識しました。
最初はちょっと不器用で、すれ違ったり焦ったりしていたナオも、ようやく一歩踏み出せるようになり、佐久間さんもまた、言葉よりも行動で愛を示していく姿に成長が見られたと思います。
そして、あのプロポーズ──
「ナオ、お前を一生幸せにする」という言葉と、それに込めた“まっすぐな音楽”。
BGMの聞こえるナオだからこそ、言葉以上に伝わる「想い」があったのではないかと思っています。
次回からは、ふたりの「新しい生活」が始まります。
同棲、日常、すれ違い、小さな幸せ、そして……?
少し大人になったふたりを、これからもどうか見守っていただけたら嬉しいです。
心からの感謝をこめて──
ありがとうございました!




