第26話 不意打ちのBGM、心が追いつく前に。
出張は順調に終わるはずだった──ツインルームでドキドキしなければ、母の知らせが届かなければ。
ナオが「家族」と向き合った夜。そして初めて、胸を張って言えた「好きな人」。
最後に待っていたのは、“あの人の気持ちが先に届く”サプライズ。
第26話、どうぞお楽しみください。
「……じゃあ、これでひと通り完了です」
「助かりました。また次回もよろしくお願いします」
出張先の打ち合わせは、思った以上にスムーズだった。いや、それは佐久間さんの段取り力と交渉力がすごすぎたせいだ。
時計を見れば、まだ16時前。
「……え、もう終わりなんですか?」
「終わったから帰るだけだろ」
「いや、そうですけど……」
ナオは、どこか落ち着かないままホテルに向かった。
チェックインを終えたフロントスタッフがにこやかに言った。
「ツインルームになります。こちらのカードキーをお渡ししますね」
──ツイン。
(え、ええっ……!?)
隣にいる佐久間さんは、まったく動揺していない。
「大浴場あるってよ。荷物置いたら風呂行くか?」
「そ、そうですね……(落ち着け、俺……!)」
部屋に入ると、セミダブルのベッドがふたつ並んでいた。
(……距離、近っ)
ナオの脳内には、どこかゆるくて甘いメロディが流れはじめる。
──♪ あ〜今夜は ふたり in 出張〜
ベッドはふたつでも、心は one room〜♪
(ちょ、なんだこのBGM………佐久間さん、絶対その無自覚さが一番罪深い……!)
思わず顔を押さえてしまったとき、スマホが震えた。
画面には父からの短いLINE。
『母さん、倒れて救急。今、病院』
その瞬間、ナオの心臓が嫌な音を立てた。
「……っ!」
膝が震える。手が冷たくなる。佐久間さんのほうを、どうにかして見た。
「佐久間さん……母が……救急で……」
それだけ言うのが精一杯だった。
佐久間は驚くこともせず、すぐにスマホを取り出して現在地と時刻を確認する。
「いまからなら、間に合う。タクシーで駅に行こう」
ナオの腕をとるようにしてホテルを出て、タクシーを呼び、新幹線の指定席を取り、交通系ICカードを渡してくれた。
「あの……お金……!」
「気にすんな。帰ってこい。ちゃんと」
新幹線の窓から見える景色がぼやけていく。
どこまでも、佐久間さんは頼もしくて、優しかった。
実家の最寄り駅に着くと、すぐに母が搬送された病院へ向かった。
診察室のベッドに横たわる母は、穏やかな表情でナオを見て言った。
「あら、ナオ。来てくれたの? なんかね〜、貧血みたいで倒れちゃって。大げさよねぇ」
ナオはその場にへたり込みそうになった。
「も、もう……驚かせないでよ……!」
安堵と緊張の糸が同時に切れて、笑いながら泣いた。
個室のテーブルには、父が自販機で買ってきたお茶のペットボトルが並んでいる。
「まあ、倒れたって聞いたら帰ってこないわけにいかないし」
「でも、出張中だったんでしょ? 急に帰ってきて大丈夫だったの?」
そう言ってきたのは、高校生の妹・芽衣。
パーカー姿でスマホをいじりながら、チラチラとこちらを見ている。
「……うん。予定はだいぶ巻いて終わったから。同行してた人がすごく段取りよくて、急いで新幹線も取ってくれて」
「へぇ〜、なんか……その“同行してた人”のこと、やけに褒めるじゃん」
ナオは一瞬言葉に詰まり、目をそらす。
(……あ、やば)
「ふーん……まあ、頼れる人がそばにいてよかったね」
芽衣は何気ない風を装っているけど、その目はどこか探るように笑っていた。
母がにこにこしながら口をはさんだ。
「そういえばナオ、そろそろ結婚とか考えないの?」
「彼女、いるの?」
(……彼女、じゃなくて……)
ナオは一瞬、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
浮かんでくるのは、あのまっすぐな横顔。
「……好きな人は、いる」
自分でも驚くくらい、自然に口から出ていた。
母が優しく笑った。
「そっか。なら、応援するね」
「うわ、マジじゃん! えー誰? 写真見せて? 」
「芽衣、やめなさいってば」
ナオはお茶を口に運びながら、顔が熱くてたまらなかった。
──♪ ちゃらら〜ん……ぽろんぽろん……
家族のBGMは、緩やかで、やさしくて、ちょっと照れくさい。
夜、自室に戻って佐久間さんにLINEを送った。
『母は大丈夫でした!ただの貧血っぽいです。すみません、バタバタして』
すぐに返信が来た。
『よかった。ゆっくり休め。明日土曜だから、のんびり帰ってこい』
その一言に、胸の奥がじんわりと温まった。
翌朝──
改札に向かう階段を上りきったそのときだった。
駅のざわめきにまぎれて、ナオの脳内に突然、甘くてまっすぐなメロディが流れ始めた。
──♪ 君に会いたくて この朝を選んだ
迷わず行くよ その笑顔が待つ場所へ
やっと出会えた 君という光──
(……え……これ……)
ナオは思わず立ち止まった。
鼓動が速くなる。息がふっと浅くなる。
(……この感じ、どこかで……いや、まさか──)
振り返ると、改札の向こうに、スーツ姿の佐久間さんが立っていた。
片手に缶コーヒー。ほんの少しだけ、目元を緩めて。
ナオの心の中に流れていたのは、間違いなく──
佐久間さんから響いている、“会いたかった”って気持ちのBGMだった。
「……佐久間さん……?」
声がかすれる。現実味がない。
「お疲れ。ちょうど途中まで戻るつもりだったから」
さらっと言って、手に持っていた缶コーヒーを差し出してくる。
「一緒に帰るか?」
ナオは呆然としたまま受け取り、隣にいた芽衣の視線に気づく。
見送りについてきていた彼女は、目をぱちぱち瞬かせたあと、静かに、でもわかりやすく口角を上げた。
「……ふ〜ん。なるほどね」
なにが「なるほど」なのか、ナオは問いただす余裕もなく、顔が熱くなった。
──もう、この人の隣が、いちばん落ち着く場所になってる。
──つづく。
恋人だけど、まだ慣れない。だけど、心はもう決まってる。
そんなナオの揺れる気持ちと、佐久間さんのさりげない“本気”が交差した一日でした。
次回はふたりの帰り道。そして、これからの話。
どうぞ引き続き、見守ってくださいね。




