第18話 BGMが告げた、恋の侵入者
真鍋圭吾、登場──。
新たな男の影に、ナオの心が騒ぎ出す。
BGMが告げる“気配”は、本当に冗談なんかじゃなかった──かもしれない。
──昼前。
「おい、あれ……戻ってきたんだってよ」
「え、うそ!? ほんとに?」
会社の休憩スペースがざわついている。
声のする方を見ると、人垣の向こうに、ひときわ目立つ男がいた。
浅黒い肌に、引き締まった身体。
白シャツの袖からのぞく腕は、スーツ越しでも筋肉がわかるくらいで──
なにより、顔がいい。
(……誰?)
「本社営業に戻ってきたんだって、A事業部から」
「ねえねえ、名前なんだっけ?」
「真鍋さんだよ。真鍋圭吾さん」
──真鍋圭吾。
確かに、そんな名前……聞いたことある。
でも、俺のいる部署とは全然関係なかったから、会うのは初めてかもしれない。
「なにあのマッチョ……めっちゃいい身体……」
「日焼けしてるのも、またいいんだよね……」
女子社員たちがわいわい騒いでいるのを、俺は少し離れたところから見ていた。
(……なんか、俺と正反対だな)
ふと、その真鍋さんが、誰かをじっと見ているのに気づいた。
視線の先にいたのは──佐久間さんだった。
(……あれ?)
その瞬間、聞こえてきた。
──♪ Tempted by your eyes, can I steal your night?
(その瞳に誘われて──君の夜を奪ってもいい?)
──♪ I wanna know what it feels like to taste forbidden fire…
(禁じられた炎に触れたとき、どんな気持ちになるのか──知りたいんだ)
(えっ!? このBGM……)
心のなかに突然流れてきた音楽。
しかも、歌詞が──完全に“狙ってる”系。
(ちょ、ちょっと待って……まさか……)
***
昼休み、トイレで手を洗っていると──
隣に真鍋さんが来た。
「……あ、さっきの新人くんだよな?」
「え、あ、はい。三崎です」
「三崎くん、佐久間さんと同じ課?」
「はい……そうです」
真鍋さんはにこっと笑った。
「佐久間さん、かっこいいよな。仕事もできるし、無駄がないっていうか……」
「……あ、はい。そうですね」
とりあえず相槌を打つ。
でも──次の言葉が、思いもしないものだった。
「俺、両方いけるからさ。ちょっと気になるんだよね、ああいうタイプ」
「……っ!」
一瞬、心臓が跳ねた。
「冗談、冗談。ビビんなよ」
そう笑って、彼はペーパータオルで手を拭いた。
(……いや、あのBGM聞いちゃったら、冗談じゃすまないでしょ……)
なんとなく胸がざわざわする。
──昼休み後、フロアに戻ったナオは、棚の上にあるファイルを取ろうとしていた。
少し背伸びをして、あと数センチ──というところで、背後からすっと長い腕が伸びてくる。
「危ないよ。こういうのは、俺みたいな背の高いやつに頼らないと」
軽やかな声とともに、ファイルがナオの手元に渡された。
「あっ、ありがとうございます……真鍋さん」
「いやいや。可愛い後輩は助ける主義なんで」
真鍋はにやりと笑って、ナオのすぐ目の前に立つ。そして突然──顎の下に指を添えられた。
「君も、小動物みたいで……可愛いな」
顎クイ。
(えっ……なにこれ、ドラマかよ!?)
ナオが完全にフリーズしていると──
「……おい」
静かな、でも明らかに低めの声が割り込んできた。
ふたりの間に、すっと佐久間さんが入ってくる。
「三崎は俺の仕事を手伝ってくれてるんだ。急ぎのファイルだったから、俺が頼んだ」
その表情は、いつもの無表情に見えるのに、どこか“威圧感”がにじんでいた。
「……あー、そっか。佐久間さんが頼んでたのか。それは失礼」
真鍋は両手を上げるようなポーズをとって、軽くウィンクする。
「じゃ、邪魔しちゃ悪いから、俺はこれで」
と、ひらひらと手を振ってその場を離れていった。
ナオはというと──
(え……佐久間さん、助けてくれた……? 今のって、そういう……?)
混乱とときめきで、胸の内がざわついていた。
けれど──その様子を、黙って見ていた人たちがいる。
少し離れたデスクのあたりで、女子社員たちが小声でざわついていたのだ。
「ねえ……今の、見た?」
「見た見た見た! 真鍋さんが顎クイしたとこ! しかもそのあとすぐ佐久間さんが乱入って……展開すごすぎる」
「え、あれ何? 乙女ゲームの実写??」
「三崎くん、最近ちょっと垢抜けてきたと思ってたけど、なんか……今日のは爆発力あったね」
「ていうかさ、あの構図……真鍋×三崎、佐久間×三崎、そして佐久間×真鍋……無限じゃない?」
「やだ、もう……この職場、眼福すぎる」
ひそひそと、でも目は真剣。
女子社員たちの脳内では、すでに三人の関係が“創作的”に立体化されはじめていた。
そして、誰かがぽつりと漏らした。
「……三崎くんって、意外と“総受け”なのかもしれないね」
「わかる」
「モテ期きてるわ」
ナオは──そのざわめきを、まったく知らなかった。
ただ、自分の中にふつふつと湧き上がる“なにか”に、言いようのない戸惑いを覚えていた。
***
夕方、退勤準備をしていると、ふと視線の端に気配を感じた。
「佐久間さん、今夜空いてます? よかったら軽く飲みに行きません?」
振り返ると、真鍋さんが佐久間さんに声をかけていた。
「……いいですよ」
佐久間さんは、特に表情を変えずに応じた。
(……そっか)
それだけなのに、胸の中にずしんと重たいものが落ちてきた。
(……なにこれ)
なんとなく、勝手に“自分のもの”みたいに思ってたのかもしれない。
佐久間さんのこと──
***
その夜、俺はやっちゃんにLINEを送っていた。
『今晩、ご飯たべない?』
画面を見つめながら、小さくため息をつく。
(……俺、どうしたいんだろ)
わからないまま、スマホを握りしめていた。
──数秒後。
「オッケー!」と、絵文字付きの明るい返信が返ってきた。
その軽やかさに、少しだけ気持ちがほぐれる。
──つづく。
佐久間さんに向けられる、別の視線。
そして初めて感じる“嫉妬”のようなざわめき。
ナオの無自覚な感情が、少しずつ輪郭を持ちはじめます。
次回、やっちゃんとのごはん──何が見えるでしょうか。お楽しみに!




