第16話 BGMは、キスの予告
「おやすみ」の直後、聞こえてきたのは、甘いBGM──
佐久間さんの“心の音楽”が、俺の眠りをそっと破っていった。
キスの予感と、触れた唇。
目を閉じたままの“初めて”に、心も体も、どうしていいかわからないまま──
ナオの“眠れない夜”が、はじまります。
……ほんの少しだけ、時間をさかのぼる。
「……おやすみなさいっ」
自分でもびっくりするくらい早口で言い放ったあと、俺はベッドにもぐりこみいつのまにか
寝てしまっていた。
──夢の中で、音楽が流れていた。
心地よくて、やさしくて──どこか甘ったるい、バラード。
(……なにこれ、いい曲……)
うっすらと意識が浮上してくる。けれど、まぶたはまだ重く、身体も布団の中に沈んだまま。
けど、その旋律はどんどんはっきりしていった。
──♪ I just wanna kiss you slowly
( ゆっくりと君にキスしたいんだ)
──♪ Hold you till the morning light
( 朝日が差すまで、君を抱きしめていたい)
(…………え?)
歌詞が、急に──際どくなった。
(……さ、佐久間さんのBGM!?)
頭の中に一気に血が上った。鼓動が、勝手に早くなる。
(ちょ、ちょっと待って、まさか……今……俺、寝てるって思われて……!?キス!?)
息を止めた。
そして──わかった。ほんの一瞬、吐息の気配と、微かな気配。
(やばい、これ、このままいったら──)
(──キス、されるやつじゃん。 されるやつじゃん。)
心が騒ぐ。でも身体は動かない。動かせない。
(ダメだ……今、目を開けたら、全部終わっちゃう)
どうしよう。とりあえず狸寝入りを、決め込む。
──その瞬間。
「……おやすみ」
低くて優しい囁きとともに、唇に──ふわりと、何かが触れた。
(……ぁ)
(な、に……これ……?)
戸惑いと混乱。けど、それ以上に──なにか、もっと別の感情がこみあげてくる。
どくん。どくん。
胸の鼓動が大きくなるのと同時に、ジャージの中で、下半身がゆっくりと膨らんでいくのを、ナオはどうすることもできなかった。
(うそ……なにこれ、俺……)
(どうしよう……俺のファーストキス……)
まだまぶたは閉じたまま。
(……起きてるなんて、言えない)
隣では、佐久間が静かな寝息を立てていた。
時おり、寝返りを打つ気配がして、そのたびにナオの心臓が跳ねる。
(こっち向いたら、どうしよう)
(もし、さっきみたいに──もう一回キスされたら……)
なぜか「嫌だ」と思えなかった。
心の奥がぐらぐらする。
不安と、緊張と、どこかにある“してほしさ”と。
そんな葛藤を抱えながら、ナオは動けずに、ただじっと──
佐久間の隣で、眠ったふりを続けていた。
朝、目を開けたときには、佐久間の姿はなかった。
ベッドの片側は整えられていて、隣に寝ていた痕跡も薄い。
(夢……じゃ、ないよな)
唇に残る感触が、その証拠だった。
顔が熱い。
手で覆っても、どうしようもない。
「おはよう。……起きたか」
不意に、ドアが開いた。
目の前に佐久間がいつものシャツ姿で、湯気の立つマグカップを手に立っていた。
「コーヒー、いるか?」
「……あ、はい。いただきます……」
声が、変に裏返らないよう気をつけたけど、たぶんバレてる。
佐久間さんは、いつも通りの落ち着いた表情で、静かに微笑んでいるだけだった。
(な、なんか普通すぎて……余計、気まずい……)
けど、その“普通さ”に、少しだけ安心する気持ちもあった。
ナオはマグカップを受け取りながら、どうしても視線を合わせられずにいた。
その手元に、ほんのわずかに触れた佐久間の指先。
一瞬でナオの全身がびくりと跳ねた。
(……まだ、変なんだ、俺)
あのキスは“事故”だったのか。
それとも──
「……今日、休みだよな?」
コーヒーの湯気越しに、佐久間の落ち着いた声が響く。
「あ、はい。佐久間さんも……?」
「うん」
少しの間を置いて、佐久間はマグを置いた。
「気になってる店があってな。近くにあるんだけど……店構えとか、客層とか、ちょっと一人じゃ入りづらくて」
「へぇ……どんな店なんですか?」
「野菜多めの、ヘルシーな朝食プレート出す店。若い女性が多くて、俺ひとりじゃ浮く」
「へえ〜!そういうの、好きなんですか?」
「まあな」
そこでふと目を伏せ、コーヒーに視線を落とす。
「……よかったら、付き合ってくれ」
その一言に、ナオの胸が跳ねた。
「え、僕でいいんですか!? もちろん行きます!」
思わず、声が上ずる。
(やば、なんかテンション上がってる……!)
佐久間は小さく笑って、「じゃあ、準備して出るか」と立ち上がった。
朝の光が差し込むキッチンで、ふたりのマグが並んで湯気を立てている。
その光景が、どこか“はじまり”みたいに見えた。
──つづく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
佐久間さんのキスを“聞いて”しまったナオ。
実は目を閉じたまま、心の中では大騒ぎでした。
そして迎えた翌朝。何事もなかったような佐久間さんとの距離感に、ナオのドキドキはさらに加速──
それでも、「一緒に朝ごはん行こう」って誘われただけで舞い上がっちゃうナオが、ちょっとかわいくて。
次回は、ふたりの“朝デート”編。
ふとした瞬間に近づいていくふたりを、ぜひ見届けてください。




