第11話 弟キャラで埋められる穴なんて、知らない
佐久間さんに誘われて、静かな和食バルで過ごした夜。
でも、「弟みたい」と言われた一言が、胸の奥にずっと引っかかっていて……。
ぼんやりと街を歩いていたナオの前に、まさかの救世主(?)が現れる──
夜風が、ちょっと肌寒くなっていた。
俺は自分でも驚くくらい、ぼーっとした顔で歩いていた。
気づけば店を出てから、何を食べたのかも曖昧なまま。
あんなに美味しかったはずの料理の余韻も、ワインの香りも、どこかに吹き飛んでいた。
「……じゃあな」
それだけ言って、佐久間さんは振り返ることもなく、夜の街に消えていった。
(……あっさり、すぎない?)
声をかける間もなく、俺はただその背中を見送った。
胸の奥に、ぽっかりと穴が空いたような感覚。
あたたかくなったはずの心が、ひゅっと冷えていく。
(……なんか、やだな)
どうしてこんなに、さみしいんだろう。
弟──あの一言を聞いてから、頭の中がうまく整理できない。
“たまに飲みに行けると嬉しい”
それが佐久間さんなりの、精一杯の好意だってことはわかってる。
でも。
でも──
(……これ、俺が勝手に期待しすぎてただけ、なのか)
目の奥が少し熱くなる。
鼻の奥がつんとした。
俯いたまま、駅前のコンビニの明かりに向かって歩き出したそのとき──
ピロリン♪
スマホにLINEの通知。
《やっちゃん:今どこー? ちょうど近くで仕事終わって!》
え?
《ていうか前見たらナオおるやん笑》
──顔を上げた。
ほんとに、いた。
「なお〜〜!!」
手を振りながら駆け寄ってくるのは、幼なじみの“やっちゃん”。
ゆる巻きのロングヘアに、大きめのジャケット。
いつものように元気そうで、いつものようにちょっと馴れ馴れしい。
「な、なんでここに?」
「さっきも言ったじゃん、仕事! あと駅前のパン屋に寄りたくてさ〜。てかナオ、めっちゃ浮かない顔してない?」
「あ、いや、その……」
「飲み直そう。私、ちょうどそういう気分だったの」
「……うん、いいよ」
気づけば俺は、そのままやっちゃんに腕を引かれていた。
◆
入ったのは、駅近くの気さくなバー。
カジュアルで、おしゃべりするにはちょうどいい。
「で? 失恋でもした?」
やっちゃんはレモンサワーをひと口飲んで、ズバリ切り込んできた。
「う……いや、失恋っていうか……その……弟みたいって言われて……」
「弟!?」
「……しかも、亡くなった弟のことを思い出すから、嬉しいって」
「……え、それってどうなの?え、それって……おとこ?」
俺は無言でグラスの氷をくるくる回した。
「まあどっちでもいいけど。で? なおはその人のこと、好きなの?」
「……年上の人で、会社の人で、すごく尊敬してて……」
「あー、それは落ちるわ」
「……ちょっと、ショックだった。勝手に期待してたのかなって。でも、どうしてショックだったのか、自分でもよくわからなくて……」
やっちゃんは、しばらく黙ってグラスを傾けていた。
「それ、完全に恋じゃん」
「え……」
「期待してたんでしょ。たまに誘われるだけで嬉しかったんでしょ。弟扱いされたら悲しかったんでしょ。ぜんぶ、恋の症状だよ」
「……でも、脈ないし……」
「弟キャラでいいじゃん」
「は?」
「その人、きっと心に穴が空いてるんだよ。ナオが、そこをちょっとだけ埋めてあげられてるなら、それでいいじゃん。最初はそれでもさ、いつかちゃんと“ナオ”を見てくれるようになるかもしれないし」
「……」
「そもそも、自分の気持ちすらよくわかってないナオが、どうにかしようとする方が無理あるよ」
「う……たしかに……」
俺は、照れくささと切なさが入り混じった表情で、グラスの底を見つめた。
複雑な気持ちは、まだ整理できてない。
でも、誰かに話せて、少しだけ胸が軽くなった。
そして──店のガラス越し。
少し離れた場所で、俺たちの姿を見つけて、静かに立ち尽くしていた人物がいることに、俺はまだ気づいていなかった。
──つづく。
ナオの揺れる心に、やっちゃんの喝(?)が入りました。
「弟キャラでいいじゃん」のひと言は、ナオにとって救いになるのか、追い討ちになるのか……。
そして最後のあの視線、見ていた佐久間さんの気持ちは?
次回、ちょっとだけ、動きます。




