第1話 違和感と音楽と、今日という朝
「ふとした瞬間に、人の“心の中”が音楽になって聞こえてきたら──」
そんなちょっと不思議な出来事が、ある日突然、僕に訪れた。
それはただの幻聴か、それとも心の声か。
やがて、あの“クールな同僚”の頭の中で流れていた音楽に、僕は思いがけず巻き込まれていく。
*ちょっと切なく、でもじんわり温かいオフィスBLです。
よろしければ、最後までお付き合いください。
その音楽に、最初は気づかなかった。
──いや、正確には“聞こえて”はいたのかもしれない。でも、それが「人の心の中から流れている」なんて、そんな突拍子もない考えにたどり着けるはずがなかった。
目が覚めたのは、アラームが鳴る三分前。癖になっている早起きではなく、単に眠りが浅かっただけだった。カーテンの隙間から射す白っぽい陽射しにまぶたをしかめながら、俺──三崎ナオは、どこか“落ち着かない朝”を迎えていた。
自分で言うのもなんだが、俺はわりと地味なタイプの人間だと思う。
小柄というほどではないが、背は平均よりやや低く、目立つような体格でもない。髪はくせ毛気味の黒で、くるんと跳ねた前髪を整えるのに毎朝それなりの努力を要する。目元は丸く、垂れ気味。人には「優しそうな顔してる」と言われるけど、それはたぶん“警戒されない”というだけの話だ。
スーツのサイズはジャストより少し余裕があるくらい。アイロンをかけ忘れたワイシャツの袖に気づき、少しだけ気分が下がる。
コーヒーを一口飲んだ瞬間だった。
……ふ、と、何かが耳に触れた気がした。
かすかに、音楽のようなものが──
鼓膜ではなく、もっと奥。頭の内側、意識の底に近いところで鳴るメロディ。
最初は空耳かと思った。
アラームの残響が残ってるのかもしれないし、冷蔵庫のモーター音かもしれない。俺は一度、頭を横に振ってから、苦笑まじりにカップを置いた。
通勤電車の中でも、それは続いた。
ドアにもたれてうとうとしていると、不意に何かのメロディが脳裏をかすめる。
軽快なリズムと、少し懐かしい雰囲気。ボーカルこそないものの、まるで80年代のシンセポップみたいな、古めかしくも耳に残る旋律だった。
「なんか……聴いたことあるような、ないような」
つぶやいて周囲を見回すと、隣にはスーツ姿の初老男性が立っていて、その視線の先にスマホの株価アプリが見えた。
彼の背後から、妙にピッタリな「勝負の朝!」みたいなBGMがまだ流れているような気がして、俺は一瞬だけ鳥肌が立った。
会社に着いてからも、妙な現象は止まらなかった。
受付に立ついつもの女性、吉永さんが明るい声で挨拶してくれる。
「おはようございます、三崎さん」
そのときだった。
♪み〜さ〜き〜く〜ん〜、今日もが〜ん〜ば〜れ〜♪
──軽快なアイドルソングのような旋律と共に、名前を呼ぶような歌詞が頭に響いた。
幻聴?
俺は思わず立ち止まりかけたが、吉永さんはにこやかに書類を整理しているだけだった。
彼女が俺に好意を持ってる様子もないし、もちろんどこかで音楽が流れているわけでもない。
それでも、今の音楽は、確かに俺の名前を……歌っていた。
それからの一日は、どこかぼんやりとしていた。
仕事中、同僚が近づくとそれぞれ違う音楽が聞こえた。誰かがため息をつけば、バイオリンの悲しげな旋律。誰かがミスをしたときは、激しいドラムと焦りのようなビート。
中でも一番強烈だったのは、昼休みの食堂でのことだった。
上司の武田課長とすれ違った瞬間、突然──
ババンッ! ドドンッ! とまるで軍隊の行進のような重厚なブラスが頭を突き破ってきた。
♪今日も成果を!結果で語れ!迷うな進め、社会の歯車ァ!♪
「…………。」
思わずトレーを落としかけた俺は、課長の背中を見送りながら、深く深くため息をついた。
──これ、完全に何かおかしい。
そう思いながらデスクに戻るときには、もう確信していた。
これは幻聴でも、気のせいでもない。
俺、人の……心のBGMが聞こえるようになってないか?
(つづく)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第1話では、主人公・ナオの“違和感の始まり”を描きました。
人の心のBGMが聞こえるって、便利なようで、ちょっと怖くて、不思議な体験ですよね。
次回、彼が“本命のあの人”と向き合ったとき、何が聞こえるのか──ぜひ楽しみにしていただけたら嬉しいです。
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