26.さよならの言葉
子どもたちは本当に可愛い。小さな体で一生懸命遊ぶ姿、機嫌がいい時に何の迷いもなく抱き着いてくる笑顔は、七海の心を一瞬で明るく照らしてくれる。
予想もしない言葉や行動で笑わせてくれることも、子どもたちがいてくれるからこそ生まれた、かけがえのない宝物のような瞬間だ。
しかし、そんな幸せな日々を送る中で、七海は常に心のどこかで言いようのない息苦しさを感じていた。子どもたちと過ごす幸せと引き換えに、自分自身の感情や好きなこと、本当はやりたいことを心の奥底に押し込めて見ないふりをしているような感覚に時折襲われる。
もちろん、全ての家庭や母親が同じような思いを抱えているわけではないだろう。世の中には、自分も大切にしながら輝いている母親もたくさんいる。
しかし、春樹の妻として、そして海斗と陽菜の母親としての幸せを手に入れることは、まるで自分という存在を少しずつ消していくような、そんな感覚を伴うものだった。春樹が求める「良き母」の理想に近づこうとすればするほど、七海の心はどんどん置き去りにされていくような気がしていたのだ。
春樹が単身赴任となり、子どもたちとの三人暮らしが始まって二年。以前は、それが当たり前で、幸せだと信じて疑わなかった日常が今ではどこか色褪せて見える。子どもたちは、寝る前のルーティンとして洗面所で楽しそうに歯を磨いている。その様子を七海は鏡越しに見守った。鏡に映った自分は、子どもたちに笑顔を向けているけれど、その表情には隠しきれない疲れが滲み出ており、目の下のクマがくっきりと目立つ。ふとした瞬間に気を抜くと、まるで生気を失った死んだような魚の目をしていることに気づき、七海は自分の顔に慄然とした。
そんな時、不意に、魚基地で会った恭吾のあの屈託のない笑顔が脳裏に蘇る。一点の曇りもなく透明なガラスのように光を反射し、虹色にキラキラと輝かせるような、あの眩しい笑顔を思い出すと、七海の胸は締め付けられるように切なくなった。彼の隣にいたら、もしかしたら自分も恭吾のような心の底から笑える笑顔を取り戻せるかもしれない。そんなありえないはずの錯覚さえ、七海は抱きそうになってしまう。
(私は母親だから……)
七海は、自分自身に言い聞かせるように心の中でいつもの呪文を唱えた。この言葉を繰り返すことで、どうにか心のバランスを保とうとしていた。
(私は母親だから……心の中から、恭吾くんが完全に消え去ることはないかもしれない、それでも……私は母として生きていく。海斗と陽菜の母親として、この子たちの未来のために生きる。だから……さよなら、恭吾くん。)
七海は、静かに洗面所の電気を消し、子どもたちの小さな手をそれぞれ握りしめて寝室へと向かった。二人の温かい手に包まれていると確かな安心感が湧いてくる。
(両腕を広げ、愛しい子どもたちの頭をそっと撫でながら眠りにつく。これが私の幸せで、私の生きるべき生活だ。)
七海は、恭吾との幻のような温かい時間を心の奥底にそっとしまい込み、以前の子どもたちとの日常へと再び戻ることを固く決意した。
春樹の求める母親像に応えることは、まるで自分の存在を消してしまうような苦しさを伴う。それでも、春樹と自分の間に生まれた海斗と陽菜は、何よりも愛おしく、大切な存在なのだ。彼らの笑顔を守ることこそが今の七海の全てだった。恭吾への淡い想いは、決して忘れることはないかもしれないけれど、これからは、二人の母親としてしっかりと生きていく。
それが、七海の選んだ道だった。
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