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人生最後のときめきは貴方だった  作者: 中道舞夜(Nakamichi_Maya)


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24.窓明かり

「落ち着くまで側にいるから、我慢しないでいいですよ」


恭吾は、七海を優しくリビングへと促し、ソファに腰を下ろすのを見届けてから穏やかな声でそう言った。その言葉には、何の打算も下心もない、ただ純粋な思いやりが込められているように感じられた。



「……恭吾くん、ごめんね。……ごめんね」

七海は、こみ上げてくる感情を抑えきれず、何度も謝罪の言葉を繰り返した。


「七海さん、さっきから謝ってばかり。もうそんなに謝らないでください」


恭吾は、困ったような、でも優しい眼差しで七海を見つめた。


「ごめんね、ごめん、ありがとう……」


感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちと、様々な感情が入り混じり、七海の言葉は途切れ途切れになった。


恭吾は、泣きじゃくる小さな子どもをあやすかのように、そっと七海の頭を抱き寄せ、ポンポンと優しく撫でた。雨に濡れてまだ少し冷たい恭吾の指や手が、不思議と温かく感じられた。それは、体の表面的な温かさではなく、七海の心の奥深くまでじんわりと響くようなそんな温かさだった。


『一人で頑張らなくては、とずっと思っていたけれど、本当はずっと、こんな風に誰かの優しい温もりを求めていたのかもしれない……。』



普段、泣いている時はいつも孤独だった。部屋の隅で小さく蹲り、誰にも気づかれないようにひっそりと涙を流していた。

もしかしたら、そのすすり泣く声が、同じ家にいる春樹の耳にも届いていたことがあったかもしれない。それでも、春樹はいつも聞こえないふりをして、七海のことを心配しようともしなかった。そんな冷たい日々の中で、今、目の前の恭吾は、悲しみに暮れる七海に迷わず手を差し伸べてくれた。その温かさが、七海の止まっていた涙腺を再び開かせた。自分のことを想い、心配してくれる、そんな温かい温もりに触れ、七海は思わず恭吾の腰に手を絡め、彼の広い胸の中で、子供のように声を上げて泣いた。




「ん……」


かすかな光を感じて、七海はゆっくりと瞼を開いた。目に飛び込んできたのは、真っ暗な見慣れない部屋の天井だった。見慣れない電球、壁の質感。そして、ふんわりと自分の身体にかけられた、優しい肌触りのブランケット。ここは、一体どこなのだろうか……。


疑問に思い、顔を横に向けると、少し癖のある、猫のような柔らかい髪の毛が鼻をくすぐった。さらにそちらを覗いてみると、七海に背を向け、穏やかな寝息を立てて眠る恭吾の顔が見えた。


昨夜の記憶が、断片的に蘇ってくる。恭吾のアパートに上がり込み、彼の胸の中で、人目を憚らず泣きじゃくってしまったこと。その後、どうやって眠りに落ちたのかは、全く覚えていなかった。



自分の身体にそっと手をやると、羽織っていたコートは脱いでいたが、着ていた服はそのままだった。恭吾の優しさに甘え、部屋に入ってから、泣き疲れてそのまま眠ってしまったらしい。


七海が、そっと身じろぎをすると恭吾が微かに反応した。七海は、慌てて寝ているふりをして目を閉じる。恭吾は、ゆっくりと体を起こすと七海にブランケットがきちんと掛かっているかを確認しているようだった。


「七海さん。……良かった。ぐっすり寝てる。」


恭吾は、安心したような優しい声でそう呟いた。その声を聞いているうちに、七海は再び眠りの淵へと引き込まれていった。


次に目を覚ました時には、カーテン越しにも部屋の外が明るくなっていることがはっきりと感じられた。窓の中央部分だけが、薄いレースのカーテンになっており、そこから差し込む明るい光が、七海の目を眩しく照らした。




「……七海さん。おはようございます。」

もぞもぞと身じろぎをし、眠たそうに目を擦りながら少し寝ぼけた声で恭吾が話しかけてきた。その様子が、子供のように可愛らしくて、七海の強張っていた心がほんの少しだけ緩んだ。


「おはよう。恭吾くん、昨日は本当にごめんなさい。」

七海は、体を起こし、素直に謝罪の言葉を口にした。


「気にしないで下さい。七海さん、気分はどうですか?」

恭吾は、心配そうな眼差しで七海を見つめた。


「大丈夫。ありがとう」


「良かった。でも、僕の前では、無理しないでくださいね。」

恭吾のその一言が、七海の胸に深く突き刺さった。


「ありがとう。私、もう行かなきゃ。」


「……七海さん?」

恭吾は、驚いたような表情で七海を見つめた。


「ごめんね、本当にありがとう。ありがとう。」

七海は、もう一度感謝の言葉を繰り返すと、恭吾が完全に起き上がったのを確認し、自分の鞄と脱いでいたコートを手に取り、急いで玄関へと向かった。



「七海さん、ごめんなさい。嫌な思いをさせてしまいましたよね。でも……弱みにつけこむとか、都合のいいようにとか、そういうつもりじゃないんです。」

恭吾は、慌てて七海の背中に向かって言葉を投げかけた。


「いやなんかじゃない……。」


七海は、恭吾に聞こえないような、か細い声でボソッと呟いた。


「えっ?」


「ありがとう。でもごめんなさい。」


七海は、もう一度そう言うとリビングの扉の取っ手に手をかけた。その時、もう片方の手首を、恭吾が素早く掴んできた。そして次の瞬間、背後から優しく、でも力強く抱きしめられた。


「七海さん。僕じゃ、ダメですか?僕に、七海さんの悲しみを取らせてもらえませんか?」


鎖骨には恭吾の腕が絡みつき、左頬と首筋には、恭吾の頬の温もりと、温かい吐息がかかる。七海は取っ手にかけた手を力なく下ろし、その場から一歩も動けなくなった。背中や首筋から、じわじわと熱が伝わり、胸の鼓動は先ほどよりも一段と早くなり、まるで身体中に電流のようなものがゾクゾクと駆け巡るのを感じた。



それは、春樹との触れ合いで感じるような嫌悪感とは全く違うものだった。久しぶりに感じる、胸の奥がキュンとするような、ときめきにも似た感覚。振り向いて、もっと彼の温もりに触れてみたいと、本能的に刺激するような、そんな高鳴りに似た衝撃だった。



ドックン……ドックン……ドックン……



心臓が今にもはち切れてしまいそうになっている。七海は、恭吾の腕にそっと自分の手を重ねた。目を閉じ、深く息を吸い込む。まだ小さく震える唇をなんとか制し、意を決して口を開いた。


「ごめんね。私、これ以上、ここにいられないの」



その後のことは、あまりよく覚えていない。恭吾に抱きしめられていた腕をそっと解き、慌てて靴を履き、小走りで恭吾のアパートを後にした。後ろを振り返っては行けない、という強い思いだけが、七海の頭の中を支配していた。冬の冷たい風が剥き出しになった頬に当たり、まるで針のように突き刺さる。



昨夜、自分が眠った後に、恭吾がそっと布団を掛けなおしてくれたこと。七海が普段、海斗と陽菜に何気なくやっているような、そんな優しい気遣いを、あの夜、恭吾は七海にしてくれたのだ。七海は、すやすやと眠る子どもたちの顔を見ると、無条件の安らぎと愛おしさが溢れ出し心から幸せな気持ちになる。



(……恭吾くん。恭吾も同じような気持ちで私を見てくれている……?)



親子の触れ合いと、大人の男女間の触れ合いでは、同じ動作でも、そのニュアンスが全く異なる時もある。恭吾の本当の気持ちは、計り知れないけれど、彼の優しさに触れた七海の心は、確かに温かい光に包まれた。しかし、同時に愛しい子どもたちの姿が鮮明に蘇り、母であることを一瞬忘れて異性の温もりに安堵してしまった自分を深く恥じた。


『私は母親なのに……。』



先ほどまで、ときめきで苦しかったはずの胸が、今は、抑えきれない罪悪感で押し潰されそうになっている。久しぶりに走ったせいで、横腹が激しく痛み、呼吸も苦しい。足がもつれて、今にも転んでしまいそうだ。それでも、ここで立ち止まってはいけないような気がした。七海は、まるで、走れメロスのように自分の帰りを待っているであろう、大切な子どもたちの元へと全速力で駆け出していった。


お読みいただきありがとうございます。

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@MAYA183232

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