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18.仮面

インフルエンザに罹ってから3週間が経ったが、七海は自分が一番体調が悪い時も子どもたちの看病で身体を休めることが出来ずまだ体のダルさが残っていた。1週間で3キロ痩せて休み明けに仕事に行ったときには周りの人に心配された。


ポロンに行った時も治ってから1週間以上経過していたが恭吾は気づき心配して声をかけてくれた。


「七海さん、疲れてる感じですけどなんかありましたか?」

「ちょっと……今月初めにインフルエンザになっちゃって。」

「え。大変でしたね。発熱つらいですよね!ご飯とか大丈夫でした?」

「なんとか。食欲もなかったから大丈夫だった」

「そっか、じゃあ次そうなったら食べたいもの持っていきますよ!七海さんの家、知らないけどw」


悪戯そうに言う恭吾だが嬉しかった。


『春樹も実際に届けてくれなくてもこんな風に言ってくれたら気持ちも違うのに……。イヤ、あの人からこんな言葉は出てこないな』

七海はすぐに思い直す。



結婚した当初は、こんな未来が待っているなんて思ってもいなかった。

自分が大切な人のことも大切にしてくれる恋人だった春樹は、自分と血のつながりのある子どもだけを大切にする父へと変わってしまった。


『夫婦って言っても、血の繋がりはない赤の他人だもんな……。』


春樹との関係は、まるで薄氷の上を歩くようだった。表面上は夫婦の形を保っているけれど、その下には深い亀裂が走っている。海斗と陽菜、二人の可愛い子どもたちの存在だけが、私たちを繋ぎ止めている、そんな危ういバランスの上で成り立っている。



週末、春樹が帰省した。海斗は「パパ!」と飛びつき、陽菜も駆け寄っていく。春樹は、いつものように優しい笑顔で子どもたちを抱き上げた。その光景は、傍から見れば幸せな家族そのものだろう。

でもその笑顔は、子どもたちだけを見ており、自分に向けられることは決してないということを七海は知ってる。


夕食の席でも、春樹の関心は完全に子どもたちに向いていた。


「海斗、今日は幼稚園で何して遊んだ?」

「陽菜、お絵描き上手になったね」


優しい言葉をかける一方で七海にはただの一言もなかった。自分がそこに存在していない気分になった。


子どもたちが寝静まった後、リビングには重苦しい沈黙が漂う。春樹はソファで新聞を読み、七海は一人で洗い物を片付ける。かつては今日あった出来事を話したり、互いの気持ちを確かめ合ったりした時間も今はただの無音の時間と化していた。


七海は、その場にいると喉が詰まる感じがして自分の部屋へと戻った。ベッドに横たわると、とめどなく涙が溢れてきた。


『私たちは、一体いつからこんな風になってしまったんだろう……』


結婚当初、春樹はもっと優しくて七海の気持ちを理解してくれる人だった。それがいつから、こんなにも冷え切った関係になってしまったのだろう。


海斗が生まれてから、春樹の関心は完全に子どもたちへと移っていった。それは、父親として当然のことなのかもしれない。でも、七海は妻として一人の人間として置いてきぼりにされたような気がしてならなかった。


陽菜が生まれてからは、さらにその傾向が強くなった。春樹にとって七海はもはや「母」であり、子どもたちの世話をするための存在でしかないのかもしれない。インフルエンザに罹った時の一言が、それを如実に物語っていた。



数日後、幼稚園の帰り道、海斗が突然立ち止まって言った。


「ママ、お花きれい!ママにあげるね」


小さな手に握られたタンポポの花を七海はそっと受け取った。

海斗の無邪気な笑顔を見ていると、胸の奥が締め付けられるような思いがした。この子たちのために私は何をすべきなのだろう。この仮面夫婦の関係を、いつまで続けるべきなのだろうか。


夜、子どもたちを寝かしつけた後、七海は一人キッチンでコーヒーを淹れた。湯気の中に様々な思いが立ち上っては消えていく。

離婚という言葉が、頭をよぎることも一度や二度ではない。でも、海斗と陽菜のことを考えると踏み切ることができない。自分の感情で子どもたちから父親を引き離すのはあまりにも酷だ。


そんなことを考えていると、無性に寂しくなった。誰かに話を聞いてほしい。嬉しさや悲しさ、喜びも一緒に共有できる人が欲しかった。でも、春樹にそんなことを期待しても無駄だということは、もう十分にわかっていた。


ふと、以前ポロンで恭吾と話した時のことを思い出した。


「七海さん、疲れてる感じですけどなんかありましたか?」

あの時、恭吾は本当に心配そうな顔で七海のことを気遣ってくれた。春樹からはもう何年もそんな言葉をかけられていない。七海と春樹の間には目に見えないが、深く大きな壁が出来てしまっている。


週末が終わると、また春樹の単身赴任生活が始まる。玄関で春樹は子どもたちに「バイバイ」と手を振り、七海には一瞥もくれずに家を出て行った。


七海は、玄関に残された春樹の靴を見つめていた。まるで抜け殻のようだ。この家には、夫の温もりも、愛情も、もうほとんど残っていない。



一人になったリビングで七海は深くため息をついた。これからまた、一人で子どもたちの世話をし、家事をこなし、仕事に行く毎日が始まる。


海斗と陽菜は何も知らない。無邪気に遊び、笑っている。この子たちの笑顔を守るために七海は強くならなければならない。


夜、寝室で一人、七海は静かに涙を流した。仮面夫婦という現実に彼女の心はますます寂しくなっていった。けれど、二人の子供たちの小さな寝息が彼女に生きる力を与えてくれる。

明日もまた『母』として強く生きていこう。子どもたちの大好きな春樹の『妻』でいよう。七海はそう心に誓い灯りを消した。



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