15.癒しの時間
コポッ……コポコポ……コポッ…
この日も、喫茶ポロンでサイフォンからコーヒーの雫が落ちる音と店内にさりげなく響くジャズの音色に耳を傾けながら、本のページをめくっていた。
静かな空間は、まるで日々の慌ただしさと格闘する七海を浄化しているようだ。
「ねーー起きて!朝だよーーーー!!」
「起きて!朝だよ」
「そろそろ起きようか、朝だよ」
「もーー遅刻しちゃうよ、起きて!!」
起きてもらうための台詞をパターンを変えつつ何度言っているのだろうか……。
起きて・早く・ご飯食べて・着替えて・急いで・遅刻する、などこの類の言葉を毎朝繰り返しているがそれでも進まない。
子どもたちに、そしてイライしてしまう自分にも嫌気がさす。
そんな七海にとってポロンは、心休まり日々のイライラを鎮める場所になっていた。ここにいると穏やかで優しい気持ちになれる気がする。
カランカラン……
誰かがやってきたようだ。
入口に目を向けると以前コインランドリーを尋ねてきた青年が入口に立っていた。青年も気が付いたようでこちらに近づいてくる。
「あ、この前はコインランドリーの場所を教えて頂きありがとうございました」
初めて会った時と同じくしゃっとした笑顔で話しかけてきた。
「いえ。無事辿り着きましたか?」
「はい、おかげさまで。あの時引っ越してきたばかりなんですが洗濯機が届くの1週間後って言われて……。あやうく同じ下着やYシャツを着続けなくてはいけないところでした。」
そう言って悪戯げに笑った。
「ふふふ、それは良かったです。」
「あの、隣いいですか?」
一人の時間を楽しんでいたが、自然と嫌な気分はしなかった。
「どうぞ」
「ありがとうございます。あ……読書中でしたか?邪魔してすみません。僕、別の席いきます」
「いいですよ。いつも一人で来るので誰かと話することがないので新鮮です。」
「そうなんですね。僕、転勤でここに来て全然土地勘ないし知り合いもいないので、僕はいつも一人です!!!」
転勤か……。ふと春樹の姿が頭をよぎる。
「知らない土地だと何があるか分からないし大変ですね。慣れましたか?」
「スーパーとドラッグストアを覚えたのでなんとかなっています。この2つがあれば大体、生活できます!次は飲食店の開拓していこうと思っています。」
まるで探検しているかのように話す彼は可愛らしかった。
「あ……あのなんてお呼びすればいいですか?僕は、恭吾です。河野恭吾といいます。」
「さ、坂下七海です。」
自分の名前を言うことが久しくなかったのでなんだかこそばゆい。少し噛んでしまった。
「七海さん、このへんでお昼のテイクアウトをやっている店、知りませんか?毎日、コンビニ弁当ばかりで飽きてしまって」
テイクアウトを聞いてくるなら変な誘いとかではなさそうだな。と思いこの周辺の店を思い出す。
「うーーん。ココットって知っていますか?江川町にある洋食屋さんなんだけど、ナポリタンやハンバーグ弁当をたまに出していますよ。私は和風ハンバーグ弁当が好きだけど、店内で食べるなら煮込みもおすすめです。時間かかるのでお昼休みだと少し厳しいかもしれませんが」
「あ、名前聞いたことある気がします。」
恭吾はスマートフォンを取り出し調べ始めた。
「ここですか?趣あるお店ですね」
外壁はレンガ調で丸いフレームの窓に赤いビニールの雨除け屋根がある昔ながらの洋食店の写真が映し出されていた。
「そう、ここ、ここ!」
「ありがとうございます。今度行ってみます。」
再びくしゃっとした笑顔で恭吾が言う。
(なんだかこの人の笑顔って癒されるな……。)
七海は今日、ポロンだけでなく恭吾の笑顔にも心洗われた気分になった。
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