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夏のお出かけと後輩さん

「あっつ……」

 待ち合わせ場所に決めていた最寄り駅の改札前の壁にもたれかかってぼそりと呟く。屋根が遮ってくれるのは日差しだけで、うだるような蒸し暑さは防いでくれない。肌にまとわりついてくるそれらはポータブル型の扇風機をもってしても振り払えず、本来なら涼しさをもたらすのであろう風を生温い、サウナの熱風に似たそれへと変貌させていた。

 休日の昼前にもかかわらず、都会の駅であれば絶え間なく鳴り続けているのであろうICカードをタッチした時の電子音や切符が改札を通り抜ける音が全く聞こえてこない。眩しいくらいの日差しが照っている外を見てみても人通りはほぼなく、あるものといえば駅前にある塾へ駆け込んでいく、夏期講習にでも通っているのであろう小中学生くらいだった。

 そう、本来ならばこんな日は自宅に引きこもって家族へのご飯を作るなり授業の予習をするなり趣味に時間を使うなりしているはずであり、するべきなのである。

 なぜわざわざこんな暑い日に外に出なければならないのか。それを考えた途端にぱっと頭の中に浮かんできた雨ヶ谷先輩の、まるで何も考えていなさそうな顔に少しイラっとした。

 ため息をつきながらスマホを取り出すと、丁度その時にメッセージアプリから通知が飛んできた。送り手の欄には『Amame』と、その下には『もうすぐ着く。どこいる?』とシンプルな文章が表示されていた。連絡先を交換した時に教えてもらったけれど、この『Amame』というのが雨ヶ谷先輩のハンドルネームであるらしい。

 それをタップしてトーク画面に入り、改札前にいる旨を伝えると、わたしが入ってきた方とは逆の入り口から雨ヶ谷先輩らしき人が駅に入ってきた。

 まだ遠かったのでわたしにははっきり見えなかったけれど、先輩側は気づいたようで、目が合った途端に小走りでこちらへ近づいてきた。

「ごめん晴宮、待った?」

 初めて見た雨ヶ谷先輩の私服は、ショートのデニムパンツと黒のタンクトップの上に白のサマーカーディガンを羽織った、お洒落な大学生を思わせるものだった。そこに元からある顔とスタイルの良さがプラスされて、ファッション雑誌のモデルか何かの宣材写真かと思うくらいには映えている。

 そのタンクトップの上からは、少し心配になってしまいそうなくらいに細い腰回りがうかがえた。部活もせずにいつも屋上でだらけているはずのくせに、なんでそんな綺麗な体を維持できているのか聞いてみたいけれど、意識していることなんて何もないのだろうな。という根拠のない確信があった。

 わたしの場合は外行きの服があまりないから、迷った末に黒のノースリーブシャツと白のロングパンツというシンプルな服装で来たのだけど、先輩の場合はきっといつも着てるからとかそういう理由で選んだのだと思う。それでばっちりはまってしまうのだから、やっぱり美人は得だ。

「べつに。わたしも今来たところですから」

「そ。よかった、遅刻してなくて」

 少し安心したような声音でそう言いながら、雨ヶ谷先輩は何故か意味ありげな表情を浮かべてわたしをじっと見つめる。つい最近になって分かってきたけれど、先輩がこういう顔をする時はたいてい何かろくでもないことを考えている時だ。だからつい、何を言われるのだと少し身構えてしまう。

「晴宮」

「……はい」

「その服、似合ってんじゃん。かっこいい」

「え?」

 表情を保ったまま雨ヶ谷先輩が口にしたのは何の変哲もない、あまりにも普通の誉め言葉だった。

 普段とは別の意味で驚いて、思わず少しの間呆けてしまう。まあ正直言って嫌味にしか聞こえないのだけど、先輩がそういう駆け引きをしない人……というかできない人だということはこの短い付き合いの中でも理解できているつもりだ。

 だから多分お世辞とかではないのだろうけど、それはそれで嫌だ。そんなこと、友達はおろか家族にすら言われたことが無いから。

「晴宮?」

「……あぁ、ごめんなさい。初めて言われたものですから」

「え、マジ?みんな見る目無いね」

 けろりとした顔で、そんなことを言われた。その顔を見るにきっと何も考えていないのだろうし特別な意味なんて何もないのだろうけど、少し、ほんの少しだけ顔が火照ってくる。そんなチョロい自分と見てくれを整えても中身が相変わらずの先輩になんだか腹が立って、ひとりでに眉間に皺が寄っていった。

「なに怒ってんの?」

「べつに怒ってません。先輩の将来が少し心配になっただけです」

「なんでよ」

「自覚してないならそれでいいですよ。そっちの方が先輩らしいですし。さ、そろそろ行きましょう。電車、もうすぐ来ますよ」

「やっぱ怒ってるじゃん……」

 雨ヶ谷先輩の戸惑いを纏った声を無視して歩き出し、改札を抜ける。少し遅れて先輩も改札を抜けて、わたしの隣に並ぶ。アナウンスの音声だけが流れる駅舎に、少し感覚の空いた二つの電子音が響いた。

 行き先は雨ヶ谷先輩が昨日の夜に「やっぱりお礼はちゃんとしたいから」と提案してきたので行くことになった、電車で二、三十分ほど行った先にあるショッピングモールだ。なんでも、遊びに出かけるついでにお昼ご飯を奢ってくれるらしい。

 遠いうえに決して安くない交通費がかかってしまうけれど、悲しいことにわたし達の住んでいる町には遊べるところがほぼないのだから仕方がない。

 ホームで電車を待っている最中に何となく気が向いて、頭一つ分くらい高いところにある雨ヶ谷先輩の顔を見上げてみる。昼休みにいつも寝ているあたりこの時間帯にも眠くなっていそうなものだけど、雨ヶ谷先輩の目は珍しくぱっちりと開いていて、眠気をかけらも感じさせなかった。

「そういえば、意外ですね」

「なにが?」

「先輩の事ですし、どうせ寝坊して一、二時間くらいは遅刻するだろうと思っていましたから」

「あぁ、そういう。大丈夫だよ。私も楽しみにしてたし、寝過ごさない。それに今日は晴宮へのお礼で、私から誘ったんだから。私が遅刻するのは違うでしょ」

「……そうですか」

 そんなことを自信満々に言うのはやめてほしい、あとその「私、今いいこと言ったでしょ?」みたいな笑顔も。

 その遊びに対するモチベーションをほんの少しでも学校生活に向けてくれれば、きっと寝過ごすことも少なくなるだろうに。勿体ない。

「晴宮、今なんか嫌なこと考えてるでしょ」

「そんなことありませんよ。ただ、やっぱり今度からは引っぱたいて起こした方がいいのかなと思っただけです」

「え、なんで。いいこと言ったじゃん私」

 そんな会話をしていると、聞きなれた駅メロとともに電子掲示板に電車が到着する旨のメッセージが表示され、ほどなくホームに電車がやってくる。開いたドアから乗り込んですぐ左にあった二人掛けの座席の奥側に座ると、雨ヶ谷先輩はその隣に腰を下ろした。

 人があまりおらず、冷房がかかっている車内の空気はひんやりとしていて涼しいけれど、薄くかいた汗に冷気が触れて少しだけ肌寒い。しばらく乗っていると、あまりにもな外との温度差に思わず身体が震えた。

 こんなことなら雨ヶ谷先輩のように、何かしらの上着でも羽織ってきた方がよかったかもしれない。それはそれで外が地獄になってしまうからあれなのだけど。

「晴宮、もしかしてちょっと寒い?」

「……まぁ、少しだけ」

「そっか。ならこれ、あっちに着くまで貸すよ。これからしばらく降りられないんだし、辛いでしょ」

 そう言って雨ヶ谷先輩は、自分が羽織っていたサマーカーディガンを脱ぎ、わたしの肩にかけてくれた。先輩に貸しを作るのはあまり好かないけれど、肌寒いのは事実なのだから仕方ない。袖を通すと、薄手とはいえ寒気が少しマシになったような気がした。

 一つ息をつこうと軽く息を吸うと、いつも屋上にいる時に感じられる匂いが鼻腔をくすぐる。それは明らかに、先輩のカーディガンから漂ってきているものだった。何故かと問われても絶対に答えたくはないけれど、少しだけ頬が熱くなったように感じられた。

「先輩は、寒くないんですか?」

「私?大丈夫だよ。なんか昔からそういうのには強いんだよね。風邪ひいたことないし」

「……馬鹿は風邪を引かないってことですね」

「そういう嫌味は顔を赤くしながら言うもんじゃないと思うけど」

 雨ヶ谷先輩がわたしの顔を見つめながら言った。どうやら顔に出てしまっていたらしい。……あぁ。いつも通り本当にムカつく。今回は珍しくまっとうなことを言われて反論できないのだから猶更だ。

「晴宮って、案外初心だよね」

「うるさいです。ちょっと黙っててください」

「はいはい」

 その軽くあしらうような声音と視界の端に映るしたり顔に、得も言われぬ敗北感を覚えた。そこからなんとか気を逸らそうと窓枠に肘をついて、まだ梅雨にすら入っていないにもかかわらず馬鹿みたいに日が照っている外の景色を眺めながら、朝からずっと疑問に思っていたことに思考を傾ける。

 ――なぜ、こんな誘いを受けたのだろう。

 わたしは元々インドア派だし、夏はあまり好きじゃない。汗で肌がベタつくし、無駄に蒸し暑いし、虫は多いし散々だ。何かしら部活……特に運動部にでも入っていれば夏に大会か何かがあって、そこに向かって頑張れるのだろうからまだマシなのかもしれないけれど、そういうものに所属していないわたしにとっては夏の利点なんて夏休みがあることくらいで、それ以外は何もない。その夏休みだって毎年恒例となっている家族との旅行以外はほとんど、家事やらバイトやらに勤しんでいるだけなのである。

 それなのに、今日の誘いは何故か受けて、今こうして電車に揺られている。あの屋上にいるときのように、雨ヶ谷先輩にイラつかせられることを分かっているのにも関わらず。本当に、分からない。

 雨ヶ谷先輩と出会ってから、自分が自分でわかりにくくなったように思う。

 今まで家族にすら見せてこなかったわたしを、恋人はおろかまだ友達ですらない人にこうして見せている。その違和感が引っ掛かり続けて、わたし自身を見えづらくしているのかもしれない。

 周りの人たちから見ればわたし達はごく普通の友達に見えるのかもしれないけれど、それはたぶん違う。

 わたしは、雨ヶ谷先輩についてほとんど何も知らない。知っていることといえば寝ることが大好きで、一見すると賢そうなくせに頭が空っぽであるということぐらいで、寝ているとき以外にしていることとか好き嫌いとか、行きたい場所とか。そういったものを何一つ知らない。

 そういう関係はきっと、友達とは呼ばないだろう。人にもよるのだろうけど、少なくともわたしはそう思う。ならかわりになんと呼べばいいのかは分からないけれど、とにかくそういうことなのである。

 雨ヶ谷先輩ならこの関係をなんと呼ぶのだろうと想像してみるけれど、きょとんとした顔をして「え、友達じゃないの?」なんて言っている姿しか浮かんでこなかった。尊敬できるところなんて何一つないけれど、そういうところだけは少し羨ましい。余計なことを考えずに生きられるというのも一つの才能なのだと、そんなことを思った。

 ――ふわぁ……あふ。

 ふと、隣から小さなあくびが聞こえてくる。頬杖から顔を離して視線をそちらへ向けると、雨ヶ谷先輩が背もたれに身体を預けてぼんやりとしている。身体から力が抜けきっていて、座席と背中がくっついているようにすら思えた。瞼が閉じかけていて、目尻には涙まで浮かべている。端的に言って、すごく眠そうだ。

「眠くなるの早くないですか?」

「あぁ、ごめん……私、休日のこの時間はいつも、昼寝の準備してるから……」

 つい先ほどまでわたしをからかっていた人と同一人物とは思えないくらいに声がか細く、小さくなっている。その横顔はいつもよりいくらか幼なげで、眠気を我慢する子供を彷彿とさせた。まぁ、中身が中身だから別に違和感はそれほどないのだけど。

「さっきまでわたしへのお礼云々はどうなったんです」

「大丈夫……あっちに着くころには、復活してるから……。じゃあ、おやすみ……」

 そう言っている間に元々閉じかけていた瞼が完全に閉じて、間もなく寝息が聞こえてくる。軽く呼びかけたり体を揺らしたりして見るけれど、反応がない。いつも通り、無駄に綺麗な顔をして眠っている。これが先程まで『今日はお礼だから』とかなんとか言ってドヤ顔をしていた人だというのだから驚きだ。朝起きられてもここで寝てしまうのなら意味がなくなってしまうというのに。

 これが屋上なら引っぱたいてでも起こしてやりたいところだけど、電車内ではそうもいかず、仕方なく頬杖をついて窓の外に視線を戻す。車窓から見える景色はわたしの知っている街並みを通り越して、緑が目立つ田舎から都会へと姿を変えつつあった。

 ――着くまでに起きなかったら、その無防備なおでこに思いっきりデコピンを喰らわせてやる。

 頬杖をついていない右手でデコピンの素振りをしながら、心の中でそう独りごちた。


 

 結果から言うと、雨ヶ谷先輩は目的地の駅に着く直前で目を覚ました。いや、わたしからすればせっかく準備万端だったデコピンを披露できなかったのだから、覚ましてしまったと言った方が正しいのかもしれない。途中で停車する駅のアナウンスでは眉一つ動かさなかったくせに、目的の駅にもうじき着く旨のアナウンスが流れた途端、眠りながらそれを察知したかのように瞼を開けたのである。なんて無駄に高度なスキルなのだろう。……まぁ、先輩のように寝ることそのものを趣味とする変わり者の間では必須なのかもしれないが、一体どこの器官で起きるタイミングを判別しているのだろうか。

 それはともかくとして、雨ヶ谷先輩はわたしの怒りを込めたデコピンを食らうことはなく、駅前のショッピングモールにも無事到着し、時間もちょうどいいからとフードコートでお昼を食べようということになった。

 ……なった、のだけど。

「なんですか、それ」

 雨ヶ谷先輩の前に置かれているのは、店頭に並んでいる天ぷらをほとんど全種類、これでもかとトッピングしたのち、無料でかけられる天かすとねぎをがばっと盛った特盛の肉うどんだった。衣のきつね色とねぎの緑色にうどんの白が埋め尽くされていて、見ているだけで胃がむかむかしてくる。器に書いてあるお店のロゴと、隣に添えてある明太子とおかかのおにぎりが無ければ、新しいタイプの天丼か何かだと勘違いしてしまいそうだ。……いや待て、そのおにぎりも食べるつもりなのか。

「うどんだけど?」

「そういうことじゃなくて。全部食べられるんですか、それ」

「そりゃね、自分で頼んだんだし。晴宮こそ、それだけで本当に足りる?私の奢りなんだから、もっと食べればいいのに」

「これくらいが普通なんですよ……」

 一つため息をついてから手を合わせ、同じお店で頼んだうどんをすする。それに合わせるように、雨ヶ谷先輩もうどんのつゆに少しだけ沈めたいも天にかぶりつき始めた。わたしが注文したのは並盛のかけうどんに海老天と野菜のかき揚げを載せて、天かすとねぎを少しだけ添えたものだ。わたしとしてはこのくらいでちょうどいいし、一般的な女子高生の昼食からすればむしろ多い方なんじゃないかと思うけれど。目の前の天ぷら地獄を見ているとこれでも少ないのではないかと錯覚してしまいそうだった。

「いくらしたんですかそれ。」

「別に大したことないよ。えーっと……多分、三千円くらい?」

「っ!?――げほっ、げほっ!」

 驚いた拍子に天かすが気管に入って、激しくせき込む。自慢してるのかと思って恨めしげに雨ヶ谷先輩を見ると、当の言った本人はきょとんとした、自分の発言に何の違和感も持っていないような表情を浮かべていた。そこに自分の裕福さを見せびらかすような下卑た悪意は一切見られない。

 思わずうどんを頼んだお店へ顔を向けると、丁度カウンターに立っていた店員さんと目が合う。予想通りというか何というか、困ったような苦笑いを浮かべていた。

 ――もしかしてこの人、本気で言ってるのか?

「……雨ヶ谷先輩」

「ん?」

「月のお小遣い、いくら貰ってますか?」

「五万円。親がほとんど家にいないから、食費とかもろもろ合わせて多めにもらってるんだ」

「ごま……っ!?」

 一瞬、目が眩みそうになる。わたしのバイト代とちょうど同じくらいだ。

 ……まぁ、親がほとんどいないというのであれば仕方ないとは思わなくもない……むしろ、足りないとすら思うけれど。

「まぁ、経済的に大したことないのは分かりました。でも、それでなんでそんな食べるんですか。いつもお昼は惣菜パンで済ませてるくせに」

「それが私にも分かんないんだよねぇ。晴宮といると、なんでかすごくお腹空くんだよ。この間だってそうだったし」

「えぇ……?」

 雨ヶ谷先輩の中のわたしがいつも以上に分からなくなる。いったいどういう存在になっているのだろう。一緒にいるとお腹が空くって、捕食者と獲物の関係みたいじゃないか。

「というか、そんなに食べて太らないんですか?カロリーも馬鹿にならないと思うんですけど」

「それは大丈夫。私、昔から食べてもそんなに太らない体質だから」

「は?」

 反射的に目が見開いて、思わず眉間に皺が寄ってしまう。けれど、そのこちらを害そうとする気が一切見られない表情を見ていると、怒るに怒れなくなってしまった。きっと雨ヶ谷先輩にとっては本当に、ただ事実を言っているだけなのだろう。

 普通の人が言うと嫌味にしか聞こえないのに、この人が言うとそうは聞こえないのだから不思議だ。美人は得だと昔から言われているけれど、こういうところでも得をするのは本当にずるいと思う。

「どうしたの晴宮。手、止まってるけど」

「いえ、なんでもないです。先輩は悪くないですし。世界は残酷なんだなって、そう思っただけですから」

「ふうん。……あっ」

 雨ヶ谷先輩が何かに気づいたような声を上げたあと、朝にも見せたような意味ありげな表情をしてわたしを見る。あぁ。と、心の中で何かを察した。やっぱり今朝が特別だっただけで、この表情は何かろくでもないことを考えているときのそれなのだ。本当に、付き合いたくない。

「晴宮」

「なんですか」

「羨ましいなら素直にそう言いなよ」

「……そうですね。その頬を思いっきり引っぱたいてやりたくなるくらいには羨ましいですよ」

「今日なんか引っぱたきたがりじゃん」

 自棄になりそうな気持ちを抱えながら、無言でうどんをすすっていく。美味しいけれど、それと同じくらい悔しい。わたしのような一般人は食べた分だけ運動しなければすべて身体に出てしまうというのに。

 本当に、得をしすぎだ。

「あ、そうだ。この後のことだけど、行きたいところとかある?無ければとりあえずゲーセンにでも行こうかなって思ってるんだけど」

 先程までもちゃもちゃしていたうどんを飲み込んでから、雨ヶ谷先輩が言う。その器を見ると、そこにはもううどんのつゆしか残っていなかった。隣に添えられていたはずのおにぎりも、いつの間にかそれを包んでいたはずのラップだけになっている。

 量も量だけど食べるの早いな。わたしのでさえまだ残ってるのに。

「あー……はい。別にいいですよ。特に行きたいところもありませんし」

「おっけ。じゃ、決まり」

 行きたいところを争うこともなく、さらっと次の行き先が決まった。

 我ながら、女子高生らしい雰囲気というか、煌めきというか。そういうものが一切ない会話だと思う。

 でも、本当に行きたいところなんてないのだから仕方ない。化粧品とか服とか、そういう洒落たものにはあんまり興味がないし、本とか調理用具を店で見て回るのは好きだけど、誰かと遊びに来ている中でわざわざ足を運ぶほど好きというわけでもないのだから。

 要するに、わたしは致命的に誰かと行く外遊びに向いていないのである。だったらもう雨ヶ谷先輩に全部任せてしまった方がいくらか気楽でいいだろうと思う。

「ごちそうさまでした」

 最後のうどんを飲み込み、手を合わせる。ちらっと雨ヶ谷先輩の器を見てみると、もうつゆすら残っていなかった。奴の胃袋はブラックホールか。

「おそまつさまでした、じゃあ行こっか」

「先輩が作ったわけじゃないでしょ……まぁ、奢られはしましたけど」

 ため息をつきながら呟いて立ち上がり、お店の返却口にトレーを返却する。ごちそうさまでした、と一言かけると、すぐそばにいた店員さんが会釈してくれた。

「あ、ごめん晴宮。ちょっとお手洗い行ってくる」

「分かりました。じゃあそこで座って待ってますね」

「おっけ、ありがと」

 雨ヶ谷先輩はわたしと同じことをした後にそう言って、フードコートを出てすぐにあるトイレに向かって歩いていく。一瞬食べすぎて下痢でも起こしたのかと思ったけれど、走ってもなかったし、特に急を要する感じではなかったから多分大丈夫だろう。

 少し歩いて、先程わたしが指定した二人がけのスツールに腰掛ける。やることもなかったので、膝に頬杖を突きながらぼうっと人混みを見ていると、ふと子供の頃にやった夏祭りのスーパーボールすくいを思い出した。あれの密集具合も、確かこのくらいだった気がする。そこそこ規模は大きいけれど、こんな地方のショッピングモールによく人が集まるものだと思う。正直、あまり理解できるものではなかった。

 今のところ、わたしにこの人混みに紛れてまで欲しいと思うものはない。今周りにある物で十分満ち足りているし、本を読むのは好きだけど、いちいち買いに行くのが面倒で最近はもっぱら電子書籍に頼っている。それに、仮に何かが欲しいと思ったのであれば通販を使えばいい。便利なもので、今の時代は条件こそあれど、購入ボタンをポチればほとんどの商品を翌日には届けてくれるサービスがあるのだから驚きだ。

 将来の事はあまりわからないけれど、少なくともこの女子高生という立場に甘んじている間は、この中へ突貫することはあまりないのだろうなと。そんなことを思いながら、人混みを意味もなく見つめ続けていた。

「おまたせ、晴宮」

 やがて周りの喧騒すら遠ざかるくらいに意識がぼんやりとしてきたところで、隣から声がする。そちらを見ると、いつの間にかわたしのすぐ隣まで来ていた雨ヶ谷先輩がいた。

「あぁ、いたんですか。了解です」

 立ち上がって、小さく伸びをしながら答える。それに誘発されるように欠伸まで漏れてきて、その拍子に、目尻に涙が滲んできた。お昼ご飯を食べた後だからか、少し眠くなっていたらしい。

 小さく息をつくと、隣から生暖かい視線を感じた。見なくても分かる、どうせいつも通りに、わたしが嫌いな表情を浮かべているんだろうと思う。本当に、分かりやすい人だ。

「念のため言っておきますけど、屋上の言い訳にはなりませんからね。学校とショッピングモールを混同しないでください」

「まだなんも言ってないんだけど」

「どうせ言うつもりだったんでしょう?それくらいは分かります。表情と視線から感情がにじみ出てるんですよ」

 たぶんわたしでなくても……初めて会った人でも分かると思う。それだけこの人は、自分の感情を一切隠そうとしない。それが意図したものなのかそうでないのかはともかく、悩みのなさそうな人だと、そう思った。

「僕らはいつも以心伝心ってやつ?マブじゃん」

「先輩が分かりやすいだけです。一方通行の理解を以心伝心とは言わないはずですけど」

「そういう細かいことは気にしないでいいの。それじゃ、そろそろ行こ。今くらいなら多分人もそんないないと思うし」

 そう言いながら先輩は、三階へ続く下りのエスカレーターに向かって歩いていく。わたしもその後に続いて、二人してエスカレータ―に乗り込んだ。間もなくたどり着いた降り口のすぐそばにあるそこへ入ると、すぐに様々なゲームの音声なり効果音なりが混ざり合った轟音が鼓膜を突き抜けるようにして頭を揺らしてきた。

 雨ヶ谷先輩はどうか分からないけれど、わたしはあまりこういうところに慣れていない。来るときと言えば今のように誰かに付き合う形で来ることが多いのだけど、その度に頭がくらくらしてしまうものだった。私が好きなのはどちらかというと、静かな部屋で料理とか読書とか、自分の趣味に没頭することだから。

「へっへっへ、今日は乱獲してやんぜ……」

 メダルゲームやリズムゲームがある所より手前の、UFOキャッチャーが密集している場所で、雨ヶ谷先輩が手をわきわきとさせながら獲物を前にしたような表情をして言う。最も、その声は轟音にかき消されてほとんど聞こえてこないのだけど。

「そうですか。じゃあわたしはそこで座ってるので、楽しんできてください」

「なに言ってんの、晴宮も乱獲するんだよ。せっかく一緒に来たのに、一人なんて寂しいじゃん」

「えー……。でもわたし、あまり取れないと思いますけど。慣れてないですし」

「大丈夫大丈夫、私もだから」

 まるで先程自信満々で言ったことを全部忘れたかのような、頭の悪そうな笑顔を浮かべて雨ヶ谷先輩が言う。流石にそこまでとは思わないけれど、この人ならあり得ると思えてしまうのが嫌だった。

 ……どうして今日は、この人に付き合おうと思ったんだろう。

「え。じゃあ、さっきの乱獲する云々はどういうつもりで言ったんですか?」

「こういうとこ来ると言いたくなるじゃん?」

「……そうですか」

 本当、何も考えずに生きている人だなと思う。まぁ、出会ってからずっとこうだからもう慣れているけれど。

 小さくため息をつきながら、UFOキャッチャーが織りなす道に入っていく雨ヶ谷先輩の後をついていく。ぬいぐるみだのフィギュアだのお菓子だのといった色とりどりの景品に、目がちかちかしてしまいそうだった。



「ぐぬぬぬぬ……」

 わたしがスマホをいじっている隣で、雨ヶ谷先輩が唸り声を上げながらUFOキャッチャーに張り付いている。

 度々台の横を見ながらアームの位置を合わせたりしながら、もうかれこれ二〇〇〇円くらい使っている気がするけれど、少しずつ位置がずれるだけで未だに目的のもの……わたしが知らないアニメのフィギュアは取れていないようだった。途中で寄った、別にそれほど欲しくはなかったのだという謎のキャラクターのぬいぐるみやタオルはあまりお金を使わず取れていたというのに。

 もしかすると、これが俗にいう物欲センサーというやつなのかもしれない。ただの確率機にそんな感覚的なものを持ち込んでもしょうがないとは思うけれど。

「ねぇ晴宮、ちょっと横からアームの位置見ててくれない?いい感じの所で声かけてくれればいいから」

「いい感じって……別にいいですけど、どんな風にずらしたら取れるとか、そういうの何も知りませんからね。わたし」

「大丈夫、そこは晴宮の感覚に任せるから。よし、次いくよ!」

「えぇ……」

 わたしの心配をよそに、雨ヶ谷先輩がもう一度お金を入れてボタンを押す。わたしから見て手前側へとアームが動き、やがて止まった。

 フィギュアは今、二本あるバーの手前側に向かい、左端の角が支えになって斜めに立てかかっているような状態になっている。それが影響して、右下の隙間が出来ていた。だから多分、その隙間を埋めるように奥をもう少し持ち上げてやれば取れると思う。そんなにうまくいくとは思えないけれど。

「そのあたりです」

「はいっ!」

 ゆっくりと動くアームを見ながら。奥側のバーをほんの少し越えたくらいのタイミングで声をかける。それとともにアームがぴたりと止まり、狙い通りの場所へ向かって降りて行った。やがて下まで降りきって閉じたアームがフィギュアの箱の奥側の端を掴んで、斜めだった箱を真っすぐにしていく。

 どうせまた同じ形に戻るんだろうな、なんて思いながら期待しないでそれを見ていると、なんと手前のバーから箱の角が外れて、二本のバーの隙間からフィギュアがすとんと下に落ちていった。

「……うそ」

「おぉ」

 ここまでうまくいくとは思わなかったから、小さく声を漏らしながら驚いてしまう。多分、お金をたくさん入れたからアームが強くなったとかそういうのなんだろうけど。

 そんな夢のないことを思っていると、そのわたしと手に持っているフィギュアの箱の間で視線をしばらく行き来させた後、眉間に皺を寄せて「くわっ」といった感じの擬音が似合いそうな表情をして言った。

「お主、知っておったのか。この『沼』の攻略法を……」

「なんですかそのノリ。知りませんし、たまたまですよ。ところでそれ、なんのキャラクターなんですか?」

「……聞きたい?」

 なんとなく聞きたくなっただけなのだけど、わたしのその言葉を聞いた瞬間に、雨ヶ谷先輩の目が見たことのない色に光ったように見えた。

 ……なんだか、語らせたら長くなりそうだ。

「あ、やっぱりいいです」

「えー……」

 わざとらしく落ち込んだような表情を浮かべた雨ヶ谷先輩が口を尖らせる。そんなに話したかったのだろうか、まぁ話されても、わたしには多分理解できないのだけど。

「それじゃ、どこか別のところ向かいますか?さすがにこれ以上UFOキャッチャーにお金を溶かすのはもったいない気がするんですけど」

「何言ってんの晴宮、これだけじゃ足りないでしょ」

「いや十分多いですよ。これ以上取ったら邪魔になりそうじゃないですか?」

 その両手を見てみると、景品の入ったビニール袋を両手にぶら下げていて、中身もそれなりにつまっているように見える。

 もう十分乱獲と言っていいほど取れているように思うし、それ以上取られるとわたしが周りの人から貧相に見られてしまいそうで、なんとなく嫌だった。

「違う違う。私だけじゃなくて、晴宮もやらないと」

「え、わたしもですか?」

「当たり前じゃん。言ったでしょ、晴宮も乱獲するんだよって。ほら、何か無いの?取りたいものとかさ」

「やるとは一言も言ってませんよ。というか、そんなこと急に言われても……あ」

 雨ヶ谷先輩に言われて周りの台に目を向けていると、ふとその中の一つに目が留まる。

 その台の景品は、わたしが時々やっているアイドルものの育成ゲームで出てくるキャラクターのフィギュアだった。

 あくまで育成ゲームが好きというだけで、その中にいるキャラクターにはさほど興味はないけれど。周りにある台の景品には、知っているものがそれくらいしか無かった。

「お、取りたいもの見つかった?」

「え。……まぁ、一応は」

「よっし、じゃあ次はそれ取りに行こう。大丈夫、私たちならまた一発で取れるって」

「いやですから、あれはたまたまで」

「たまたまだとしたら、今日はツイてるってことじゃん?だったら今やらなきゃ勿体無いでしょ」

「……ほんとにポジティブですよね、先輩。そういうところだけは少しだけ羨ましいです」

 顔やスタイルの良さに反して性格はかなり残念だけど、明るくはあるし良くも悪くも明け透けだから、たぶんわたしと違って友達は多いんだろうなと思う。

 最も、わたしにそんな友達がいたところでという話ではあるのだけど。

「『だけ』ってなに、『だけ』って。もっとあるでしょ、めちゃくちゃ美人とか、スタイル抜群とか、色々」

「自分で言わないでください。まぁ強いて言うなら、そういうことをなんの恥ずかしげもなく言えるメンタルは本当に凄いと思います」

「ふふん、見習ってもいいのよ」

「褒めてないんですけど……」

 ため息を吐いて軽く愚痴りながらお金を入れると、先程雨ヶ谷先輩がドツボにはまっていた台と同じように、軽快なBGMとアニメチックな女性の音声がスピーカーから流れだす。

 それに合わせるように、早く押せと追わんばかりに左向きの矢印が書かれたボタンが光り出した。



「……まさか、本当に取れるなんて」

 帰りの電車に揺られる中で。膝の上にフィギュアの入ったビニール袋を抱えながら小さく呟く。

 とりあえず何回かやってみて、駄目だったら雨ヶ谷先輩をなんとか言いくるめて別の場所に行こうと……それこそ本屋にでも足を運ぼうかと思っていたのだけど。何の奇跡か、先輩の言う通り一発で取れてしまったのである。

 大方もともと取りやすい配置だったとか、前にやっていた人が沢山お金を入れていた影響でアームの力が強くなっていたとかそういう要因があるのだろうけど。

「やっぱ才能あるんじゃないの、晴宮」

「なんですかその無駄な才能……。というか、ああいうゲームって才能よりかは理論の方が大事なんじゃないですか?景品が特定の姿勢の時は、ここ狙うと取りやすくなるとか」

 詳しくは知らないけれど、そういうものは多くの場合、既に体系化されているように思う。

 だからそれを熟知した人が景品を荒稼ぎして、ゲームセンターを出禁になったりするのだろうし。

「それはそうだけど、その理論に基づいた行動をいかにうまく取るかは才能なんじゃない?ほら、動画サイトでもよく上がってるじゃん。配信者がUFOキャッチャーで沼ってる動画」

「そういう人たちは多分、そもそも方法を知らないようにしているんじゃないですか?楽に景品を取るだけじゃなくて、苦戦している様もエンターテイメントになると思いますし」

「なるほどねー……ちなみに聞くけど、晴宮はどっち派なの?私は沼ってる方が好きだけど」

「あまり見ないって言いましたよね、わたし。……まぁでも、強いて言えば楽に取れている方が好きだとは思います。よく知らないわたしから見ても、単純に凄いと思いますし」

 でも、なんだかこう言ってしまうと、目の前で二つのビニール袋から溢れそうなくらいに景品を取っている雨ヶ谷先輩のこともそれに含まれてしまいそうだ。

 そう思いながら隣に座る雨ヶ谷先輩の顔をちらっと見ると、案の定こちらを見てにやけていた。

「……その顔やめてくれませんか。腹立つんですけど」

「いやぁ。だって、晴宮が珍しく私を褒めてくれたものだから」

「褒めてません。先輩、あのフィギュアを取るの苦戦してたじゃないですか。勝手に無かったことにしないでください」

「あれは私の中の物欲センサーが反応しただけ。それ以外は結構簡単に取れたもん」

「関係ないでしょう。相手はただのゲームですよ?」

 わたしがそう言うと、雨ヶ谷先輩の目から一瞬で光がふっと消える。その代わりに宿ったのは、荒んだような暗い光だった。

 それだけ見れば、何か大きな地雷を踏んでしまったように思えてしまうけれど。多分大したことはないんだろうということは、まだ出会ってそれほど時間が経っていないとはいえ理解しているつもりだった。

「晴宮はゲームをそんなにやらないんだろうから、恐ろしさを知らないんだよ。ソシャゲのガチャで天井近くまで沼ったキャラが、ある日突然なんとなく回した一〇連のすり抜けで出た時の虚しくなる気持ち、わかる?」

「いや分かりませんけど、普通に。出たならいいんじゃないんですか?」

「それはそうだけど、違うの。こんな簡単に出るのなら、あの日費やした私の時間と労力はなんだったのっていう気持ちになって、感情がぐちゃぐちゃになるんだよ」

「そんなに熱く語られても知りませんよ……」

 そんな何の意味もない会話をしばらく交わしていると、電車内に流れるアナウンスが、最寄り駅に到着することを知らせた。

 それから間もなく電車が止まり、開いた扉から駅のホームに降りると、来た時よりは少しだけ涼しくなっている夏の湿気をはらんだ空気に身体が包まれる。階段を出て改札を出ると、出口から見える空は少しだけオレンジ色に染まっていた。

「どう、今日は楽しかった?」

「……まぁ、退屈はしなかったです。先輩がずっと騒がしかったので」

「そっか、それならよかった。んじゃ、次はどこ行こっか」

「え、まだどこか出かけるんですか?」

「当たり前じゃん。テストが終わったら夏休みなんだし、いっぱい遊ぼうよ。今度はお礼とか関係なく、ただ楽しむためにさ」

 浮き足立っているような声音をして先輩が言う。その声音に違わず、心の底からそれがあると信じて心待ちにしているとでも言いたげな、満面の笑みだった。

「今日の先輩もなんだかんだ、ほとんどただ楽しんでいただけのような気がしますけど」

「あはは、それはそうかも。でもさ、それのおかげで晴宮も今日は退屈しなかったわけでしょ? だったらいーじゃん。昼ごはんのお返しもできたし、二人とも万々歳じゃん? 私たち相性MAXだし、また行きたくなるじゃん?」

「なりませんよ……。こんな暑い中でわざわざ私用で出かけるなんて、自殺行為もいいところです」

「えー……でも、それならなんで今日は付き合ってくれたの?」

「お礼だって言われたら断るわけにはいかないでしょう。いくら先輩みたいな人に対してでも、そんなくらいの気は遣いますよ」

 少しだけ、嘘をついた。

 お礼だと言われたら断れないのは事実だけど、それはあくまで家族も含めたみんなに対してであり、そこに属さない雨ヶ谷先輩に気を使う必要なんてわたしにはない。

 だったら何故今日は付き合ったのか。それは今日一日考えてみても分からなかったのだけど。

「そっかー。晴宮らしいね、なんか。じゃあそうだなぁ……今度はいつものお礼に、晴宮の服を選んであげる。今のも似合ってるけど、磨けばもっと光る気がするんだよね」

「思いっきり私欲じゃないですか、隠せてないですよ」

「私欲じゃないし。後輩にファッションを整えてあげようっていう立派な先輩の思いやり、ね?」

 雨ヶ谷先輩はわたしを指差し、軽くウインクをしながら言う。普通の人ならただの痛い人に見えるのだろうけど、外見だけは本当に綺麗だから、その姿は無駄に様になっていた。

 ――不平等だな、本当に。

「はぁ……分かりました、付き合いますよ。そう言わないと先輩、家に帰してくれなさそうですし」

「そんなことないですー。ていうかそんなに家出たくないなら、晴宮の部屋でおうちデートでもいいけど?」

「……で、いつにするんですか。帰ってからやりたいこともあるんですから、早く教えてください」

「めちゃくちゃ無視するじゃん。ま、そういうところも好きなんだけど。そうだなぁ……じゃあ、来週の水曜日とかどう?うちは午前授業なんだけど、確か一年もそうだったくない?」

「あぁ、そういえばそうでしたね。大丈夫ですよ、その日ならバイトも入ってないので」

 ――入れておけばよかった、とは思うけれど。

「おっけ、じゃあ決まり。……っとと、もうこんな時間か。んじゃ晴宮、また明日ね」

 雨ヶ谷先輩は手を軽く振ってそう言い残し、朝と同じわたしが来た反対方向へ歩いていった。その両手にはUFOキャッチャーで乱獲した景品を詰め込んだビニール袋が握られていて、その華奢な身体とはなんだかミスマッチしているように感じられた。

「……自由な人だな、本当に」

 その背中が見えなくなってから、小さく呟く。

 自分で言うのもなんだけど、嫌味と悪口が折り重なったような、そんな声音だった。

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