第八話
鬼上司や取引先との会食で食欲が湧かないという経験は前世で何度も味わった。でも、現世ではこれが初めてだ。そもそも現世ではこれまで誰かと食事をするという機会がほとんどなかった。子爵家にいた時も基本一人で食事をとっていたし、教会では言わずもがな。王城でリヒャルトとカールと何度か食事を一緒にしたけれどリヒャルトたちが気さくだからか特に緊張はしなかった。
けれど、今マリーはとても緊張していた。自分でもびっくりするくらいに。食事会に参加しているのは、シュテファン、マリアンネ、クリスチャン、ヘンリエッテ。そして、迎えにきてくれたリヒャルトとマリーだ。どう考えてもマリーを見定めるために設けられた会としか思えない。この状況で緊張するなという方が難しい。彼らの独特のオーラ? にあてられているせいもあるかもしれないが。彼らからは普通の人にはないナニカを感じる。武道の達人と対峙した時のアレとよく似たナニカ。
「それで」
食事の途中で皇帝が話を切り出した。自ずと皆食べていた手を止める。
「リヒャルト。そろそろ話してくれてもいいんじゃないのか?」
皇帝の視線が一瞬だけリヒャルト、ではなくその隣にいるマリーに向いた。
――――やっぱり気になるわよね……。
シュヴァルツァー皇国式のマナーに自信がないマリーを気遣ってかリヒャルトは広いテーブルにも関わらずわざわざ椅子を移動させて隣に座った。そのおかげで会話を楽しんでいるフリをしながらリヒャルトをマネして食事を進めることができていたのだが……はたから見たらバレバレだったらしい。
――――最低限のマナーだけでも聞いておけばよかった。
今更ながら後悔する。しょんぼりしていると、リヒャルトが苛立ちまじりの声を上げた。
「マリーの紹介ならさっきしただろう」
「それはそうだが、そうじゃなくてだな……」
皇帝が困ったような表情を浮かべる。
――――まずい。私のせいでリヒャルトが反抗期の息子みたいになっている。
焦ってリヒャルトを見上げた。一瞬気持ちが通じたと思ったが、次の瞬間なぜかリヒャルトは優しい顔でほほ笑んだ。――――違う! なにを考えているかわからないけど、それは絶対に違う!
どこからか金属音が聞こえてきた。見れば、第二皇子が驚いた顔をしている。その手元にあったはずのナイフは食器の上に転がっていた。
どうしたのだろうと戸惑っていると隣のリヒャルトから話しかけられた。
「マリー」
「え、なに?」
「気にすることはないからな。父上たちが気にしているのはマリーのことではなく、俺のマリーへの態度だから」
「え?」
首をかしげる。リヒャルトの私への態度? どこか変だろうか。いつもと変わらない気がするが、私が気づいていないだけか……それとも別の問題があるとか? もしかして……リヒャルトには婚約者がいるとか? もし、そうだとしたら……。
どうして今までその可能性に思い至らなかったのか。リヒャルトに婚約者がいてもおかしくない。むしろいて当然だ。今更そのことに気づいて青ざめる。慌てて距離を取ろうと腰を浮かせたタイミングで今度は皇妃が口を開いた。
「マリーちゃん。無遠慮にじろじろ見てしまってごめんなさいね。リヒャルトが女性に対して紳士的(?)な態度をとっているのを今まで見たことがなかったから信じられなくてつい……」
「(マリーちゃん?)え?」
「私もお兄様のあんな顔初めて見たわ。まるで別人……いつものお兄様なら冷たく突き放すか、かたくなに女性扱いしないかの二択なのに」
「ええ?」
「そうそう。だから僕も驚いちゃったよ。明らかにマリー様には態度が違うんだもの。あんなにいや」
「クリス」
「え、ああ。そういう……わかったよ。ごめんね兄上」
「うそ」
信じられないとリヒャルトの顔をまじまじと見つめる。てっきり、リヒャルトは女性慣れした遊び人だと思っていたのに。
リヒャルトは気まずげに視線を逸らし、コホンと一度咳ばらいをした。
「マリーにだけ態度が違うのは当たり前だろう。マリーは他の女とは違うからな。マリーと初めて会った時のことを特別に話してやろう。あの時、マリーは」
「え、ちょちょっとまって」
いきなり嬉々として語り始めたリヒャルトの耳にはマリーの制止の声は聞こえないらしい。なんて都合のいい耳を持っているんだろう。あの時の話を聞いてリヒャルトと同じような反応をするのは、主と同じような感覚を持っているカールくらいだろうに。
ガルディーニ王国では『聖女』とは国に、人に、癒やしと希望と救いを授ける存在だと言われていた。教会が腐敗しているとはいえ、さすがにその認識までは改ざんしていないはず。きっとシュヴァルツァー皇国でも同じような認識なのだろう。――――もし、聖女だと認めてもらえなかったら……。
受け入れるしかないだろう。全て事実だから言い訳のしようもないし、その時は別の就職先を探そう。リヒャルトに仕事を斡旋してもらって。うん。そうしよう。覚悟を決め、顔を上げる。
「?」
なぜか全員キラキラした目をマリーに向けていた。
「マリーちゃんてすごいのね!」
「さすがシュヴァルツァー皇国の聖女だわ! 他の聖女たちとは一味違う」
「本当ね! 聖女はそういうものだと思って諦めていた私は浅はかだったわ。まさかマリーちゃんみたいな逸材がいたなんて。だからリヒトも……そういうことだったのね。本当に良かった!」
「私も同じきもちですわお母様!」
顔を見合わせてキャッキャッと騒ぐ女性軍に
「戦う聖女……かっこいいなあ。兄上は直接見たんですよね?」
「ああ。トドメに男の(自主規制)を容赦なく(自主規制)して(自主規制)していたところなんて最高だったな」
「ひぇぇぇぇぇ! そんなことされたらしばらく痛みで動けませんよ!」
怯えたような声を上げながらも頬は紅潮している第二皇子。
「それはそれは一度私も見てみたいものだな」
皇帝まで変なことを言い出した。この流れはよくない。嫌な汗が背中を流れる。
「あ、あの! そんなたいそうなものではありませんよ。アレはあくまで護身術ですし、実践を重視したものなので派手さもありませんから」
これで興味も少しは薄れるだろう。と思ったのに、逆に火にまきをくべてしまったようだ。
「お母様、今のを聞きました?! 実践を重視した護身術。ぜひとも知りたいですわ!」
「そうねえ。護身術は私たちも覚えていて損はないし、マリーちゃんさえよければ私たちにもその護身術を教えてくれないかしら」
「その時はぜひ僕も呼んでください。兄上や父上のような体格に恵まれなかった僕でもそれならできるかもしれません」
「そうだな。どうだろうかマリー。私たちにもその護身術とやらを教えてくれないだろうか?」
どうしてこうなったのかと口の端がひきつる。その時、リヒャルトがドン!とテーブルをたたいた。
「そこまでだ。これ以上マリーを困らせるな。順番を守れ。先に予約したのは俺。その次がカール。父上たちはその後だ」
「え、ちょっと勝手に話を進め」
「ふむ。まあ、仕方ないな。わかった」
「こういう時は年齢も身分も関係なく順番を守るんだったわね」
「兄上の邪魔をするわけにもいかないし」
「そうね。お兄様の数少ない手をつぶすわけにはいかないもの」
あっさりと引く皇族の方々。よかったような、よくなかったような。とにかく、その後も和やかな雰囲気のまま食事会は終わった。予想していた反応とは全く違ったが、おおむね受け入れられているようでホッとした。
◇
一方そのころのガルディーニ王国。
マリーたちが国を出てからすぐに聖女お披露目式の日程が公表された。そして、今日。ようやくその日を迎える。エレオノーラやサローニ公爵にとっては待ちに待った日だ。この日のために、もう一人の聖女候補であるマリーの悪評を広め、エレオノーラがいかに聖女にふさわしい人格者なのかをアピールしてきた。今回のマリーの件でマリーはガルディーニ王国を捨てた偽聖女だという認識を皆に完全に植え付けることができただろう。
お披露目式は王都にある大聖堂の入口前。より多くの観衆の前で行われることとなった。
長いあいさつを終え、大司教が
「ニュクス様に代わり、大司教であるワルターがエレオノーラ・サローニを今代の聖女と認めた!」
と宣言すれば続いて国王が
「王家もそれを認めた! そして、王家はエレオノーラ・サローニをアンドレア・ガルディーニの妃として、王太子妃として迎え入れることをここに宣言する。皆がその見届け人だ!」
国王の宣言とともに歓声が上がる。大勢の人たちに見守られながら、エレオノーラとアンドレアは一枚の紙に互いのサインをした。そして、その紙を大司教が掲げる。先程よりもさらに大きな歓声が上がった。エレオノーラが満足そうにほほ笑み、見届け人たちに手を振る。その横でアンドレアも手を振った。かたい笑顔で。誰もアンドレアの心の声に、不安に気づくものはいない。妻になったエレオノーラでさえ。
まさに幸せ絶頂のエレオノーラ。
――――これよこれ。これが私の本来あるべき姿なのよ。このためにずっと我慢してきたんだもの。でも、これからは我慢しなくていい! 私はこの国唯一の聖女、王太子妃になったのだから。地位も名誉も、アンドレアも私のものよ!
最高の気分でパートナーを見る。
「アンドレア様」
出かかった言葉はアンドレアの表情を見て消えた。目があった瞬間いつものアンドレアに戻ったけれど、エレオノーラの脳裏には先程の表情がしっかりと残っている。
――――どうして? どうしてあんな顔を……まさかまだあの女のことを気にしているの?
苛立ちがこみあげてくる。けれど、ここは公の場。皆の前でアンドレアに詰め寄るわけにはいかない。エレオノーラはアンドレアから顔を背け、恍惚とした顔でエレオノーラを見上げている愛すべき民たちだけに視線を向けた。
――――大丈夫。そうよ。アンドレアが今どう思っていようと私たちはもう夫婦になったんだもの。大切なのはこれから。今夜の初夜でわからせればいいのよ。焦らすだけ焦らして最後に慈悲を与える。アンドレアもすぐに私に夢中になるはずよ。他の男たちと同じように。
民たちの顔を見ていたら気持ちも落ち着いてきた。さて、この後は確か……と考えていたところで無粋な足音が近づいてきた。
「国王陛下!」
焦った様子で乱入してきた騎士。
「今は大事な式の途中「緊急連絡です!」なに?!」
国王と同じようにエレオノーラも眉根を寄せる。きっとここにいるほとんどの者が同じ表情を浮かべていることだろう。
けれど、駆け寄ってきた騎士は周りを気にする余裕もないらしい。ボロボロの格好の騎士を見て、アンドレアはひどく嫌な予感がした。
「なにがあった」
「お、王都の森に魔物が現れました! それも複数体!」
「なにぃいいいいい?!?!」
魔王が封印されてから数百年。世界は平和だった。ときおり現れる小さな魔物はあまりにも弱く、下手をすれば野生の動物にもやられてしまうくらいの脅威にはなりえない存在だった。でも、そんな魔物だったら数体現れたところで騎士がこんなに慌てるはずがない。
「っ、騎士団は?!」
驚くだけでなんの指令も出さない国王に代わってアンドレアが騎士に声をかける。騎士はすぐさまアンドレアの方を向いた。
「第三騎士団が戦闘中です!」
「わかった! 第一騎士団は数名を残して皆彼とともに行ってくれ! 僕も用意次第すぐに向かう」
「承知しました!」
聖女お披露目式の警備に当たっていた第一騎士団が一斉に動き出す。
「エレオノーラ嬢」
「は、はい?!」
強張った顔のエレオノーラをじっと見つめた後、アンドレアは諦めた様に視線を逸らした。
「君は大司教たちとともにありったけの回復薬と……聖水があれば聖水の準備をしておいてくれ」
「え、ええ」
ホッとしたようにほほ笑むエレオノーラ。戦場に無理やりつれていかれなくて良かったとでも思っているのだろう。連れて行くわけがない。本物の聖女であれば、戦場後方で治療をしたり、騎士たちに祝福をかけたりとすることはたくさんあるだろうが、エレオノーラにはそんな力はないのだから。
「父上と母上は王城に戻っていてください」
「あ、ああ。無理はするんじゃないぞ」
「危なかったらすぐ戻ってくるのよ」
「……ええ」
今の両親を見て、公の場とはいえ国王陛下とも王妃陛下とも呼びたくはなかった。アンドレアは苦い気持ちに蓋をして数名の騎士とともに準備をして魔物がいる森へと向かう。どうか被害が少なくすみますように。そして、今回だけですみますようにと必死に祈りながら。その声がニュクスに届いていないとも知らずに。