第六話
ガルディーニ王国は数百年もの間、ほぼ鎖国状態だった。自分たちからそうなりたいと望んだわけではないだろうが、そうなるように仕向けたのは間違いなく自分たちだ。ただ、そのことに気づいていない……いや、気づこうとしなかっただけで。
――――だからなのかしら? 久しぶりの外交活動、しかも相手はシュヴァルツァー皇国の皇太子。浮かれる気持ちはわかるけど……さすがにコレはないでしょ。それとも、本当は歓迎するつもりがないとか?
『リヒャルト皇太子殿下歓迎パーティー!』など銘打っておきながら、パーティー開催日はリヒャルトがきた初日でも翌日でもない中途半端な日取り。自分たちの都合のいい日を選んだのがまるわかりだ。パーティー会場も、ガルディーニ王国のオススメだけを集めましたとばかりの内装と料理。シュヴァルツァー皇国の要素は一つもない。
――――リヒャルトがコレを受け入れるのが当たり前とでも思っている……んでしょうね。
「ガルディーニ王国はシュヴァルツァー皇国の皇太子、リヒャルト皇太子殿下を歓迎する。それでは皆の者乾杯」
国王の声にあわせて皆、持っていたグラスを掲げた。
「リヒャルト皇太子、わが国のワインもなかなかのものだろう?」
「まあまあだな」
自慢げな国王に対し、おざなりに返すリヒャルト。そんなリヒャルトの視線にはマリーだけしか映っていない。国王のいる方から微かに歯ぎしりをする音が聞こえてきた。近くにいる者たちには聞こえただろう。もちろん、リヒャルトにも。ただ、それでもリヒャルトは全く気にしていないようだが。今、国王夫妻の近くにいるのはリヒャルト(とおまけのマリー)とアンドレア、そしてエレオノーラだけ。他の王子や王の側室たちは玉座から降りて散らばっている。各々貴族との交流を楽しんでいるようだ。
そのせいか、パーティー会場はざわついている。ただし、皆の視線はリヒャルトとマリーに注がれている。耳を澄ませば聞こえてくる。「あの女性は誰だ」「リヒャルト皇太子殿下の婚約者だろうか」という声が。マリーを見て自国の者だと気づいた者はいないらしい。もし、この場にマリーの両親がいれば気づいたかもしれないが……いや、何年も会っていない上にもともと彼らはマリーに対して興味がなかった。会ったとしても気づくかどうかもあやしい。
事情を知っているはずの国王側はマリーの正体について触れるつもりはないようだ。というより、触れられないのだろう。
――――リヒャルトの前では『聖女』についての話は避けたいんでしょうね。
「カール」
リヒャルトに呼ばれたカールが近寄ってくる。
「はい」
「あそこのケーキを全種類持ってきてくれ。果物も一緒にな」
「承知しました」
「あら」
先程から話題の糸口を探していた様子のエレオノーラが口を開いた。
「もしかして、リヒャルト皇太子殿下は甘いものがお好きなんですか? 実は私も」
「嫌いだ」
「え?」
「耳が遠いのか。仕方ないからもう一度だけ言ってやろう。俺は、甘いものが嫌いだ」
『嫌い』を強調するように言い切るリヒャルト。エレオノーラが狼狽えた。頬がひくついている。
「そ、そうなのですか?」
「ああ。頼んだケーキは全てマリーのためのものだ。俺のじゃない」
「え? ちょっと待って。リヒャルト、いくら私でも全部は無理よ」
慌てて言えば、リヒャルトは「大丈夫だ」とほほ笑み返してきた。
「食えない分は俺が食べてやる」
「いやいや。リヒャルトは甘いものが嫌いなんでしょう?」
「ああ。だが、マリーが食べさせてくれるモノは特別だ。いくらでも入る」
「そんなわけ……わかった。リヒャルト」
「なんだ?」
「次からはカールに頼む前に私に聞いて。いい?」
「ああ。わかった」
素直に頷き返すリヒャルト。エレオノーラはなんとか表情を取り繕っているようだが、面白くないという感情が漏れ出ている。
――――『淑女の鑑』と呼ばれているわりに感情を隠すのが下手なのね。
「マリー」
じっと見ていたせいかエレオノーラはマリーに話しかけてきた。
「なに?」
「今度は私を陥れようとしているのね?」
「はい?」
意味が分からなくて首をかしげる。すると、エレオノーラはマリーを見て怯えたような表情を浮かべ、次いでなにかを決心したように表情を引き締めた。
どうやら、今から寸劇を始めるらしい。
「リヒャルト皇太子殿下になにを吹き込んだの? あなたの過ちを一度は許したのに、あなたがまだこんなことをするならこれ以上は私も黙っていられないわ!」
いきなり立ち上がり、声を張り上げたエレオノーラに驚いて、会場にいる人たちが皆こちらに視線を向ける。
――――なるほど。
聴衆を味方につけて勝とうとするエレオノーラらしいやり方だ。ちらりと、隣にいるリヒャルトに視線を向ける。リヒャルトはこれからの展開を楽しみにしているようですでに顔がにやけ始めている。その顔を見て溜息を吐いた。慌ててリヒャルトが表情を戻す。ちらちらうっとうしい視線を無視して立ち上がり、エレオノーラと対峙する。
――――せっかくエレオノーラが用意してくれた舞台だもの。使わないとね。
「エレオノーラ。あなたいったいなにを言っているの?」
「え?」
「心当たりが全くないのだけれど。あなたを陥れようとしたこともなければ、リヒャルトになにかを吹き込んだこともないし、そもそも私の過ちってなんのこと? 私、あなたになにか許してもらわないといけないことをしたかしら?」
「そ、それは」
まさか直球で返されるとは思っていなかったのだろう。エレオノーラは狼狽え、二の句が継げない。
――――想像通り、打たれ弱いタイプみたいね。
エレオノーラが助けを求めアンドレアを見上げる。けれど、アンドレアは気づかない。かなりまえからアンドレアの視線は私に注がれたままだ。そのことにようやく気づいたらしいエレオノーラの表情が一瞬歪む。が、すぐに諦めて国王夫妻に視線を向けた。けれど二人ともエレオノーラをじっと見つめ返すだけで擁護する様子はない。
――――まあ、そうよね。王家がこの舞台に上がるにはリスクが高い。……リヒャルトがいるせいで。
悔しげに俯くエレオノーラの横に、一人の男性が立った。エレオノーラによく似た顔立ちの男性。
「お父様」
「エレオノーラもう大丈夫だ」
「サ、サローニ公爵」
今まで黙って様子を見ていた国王が慌てて口を開く。自分が黙っているのには理由があるのだと目で訴えかけている。サローニ公爵はわかっているとでもいうように頷き返した。どうやら代打でサローニ公爵が相手をしてくれるらしい。大人げないと思いつつも、内心やりやすくなったとほくそ笑む。
「どうやらリヒャルト皇太子殿下に気に入られたことで自分も偉くなったと勘違いしているようだな」
「勘違い?」
とぼけた顔で首をかしげれば侮蔑の視線が飛んでくる。
「まだわからないのか。マリー・フィッツェ。君が子爵令嬢であることとエレオノーラが公爵令嬢であることは変えようがない事実だ。これもまともな教育を受けてこなかった弊害か」
会場のざわめきが大きくなる。皆、マリーのフルネームを聞いてようやくマリーの正体に思い至ったらしい。エレオノーラの聖女お披露目式が近く行われることはすでに貴族たちの間ではうわさになっている。つまり、今は聖女候補でしかないマリーもその後はただの子爵令嬢、もしくは一聖職者になるのだ。公爵令嬢であり、次期聖女であり、未来の王太子妃でもあるエレオノーラには遠く及ばない存在。
そんなことも理解できないマリー・フィッツェはなんて愚かな人間だと皆に印象付けられただろう。
追い風を感じたのかエレオノーラも前に出てくる。
「もうこれ以上の慈悲は必要ないわね。この場であなたの罪を暴露してあげる」
「罪?」
「先日、私の護衛騎士だったマルクス・マインホフが罪人として罰を受けたわ。……でも、それはあなたのせいだった」
マルクスが起こした事件は表立って問題にはされなかったため、その詳細を知っている者はいなかった。けれど、エレオノーラのそばにいつもの騎士がいないことに気づいている者はいた。皆が興味津々で聞き耳を立てている。興に乗ったエレオノーラは話を続ける。
「あの日、私は大司教からの依頼で仕事をさぼって教会を抜け出したあなたを連れ戻すようにマルクスに頼んだわ。マルクスはあなたを捕まえようとした。けれど、あなたは奇妙な技でマルクスを攻撃した。マルクスは応戦し、そこに不運が重なりリヒャルト皇太子殿下が現れ、刃をまじえる結果となってしまった。決してわざとではなかった。あなたが仕事をさぼって教会を抜け出さなければ、あなたがマルクスを攻撃しなければマルクスは罰を受けずにすんだ。それなのに、あなたは罪悪感を覚えることも、反省することもしない。マルクスは片腕を失い。私は長年尽くしてくれたマルクスを失うことになったのに。これは立派な罪よ。私は聖女候補の一人としてたとえあなたが本物の聖女だとしても到底認めることなんてできないわ!」
両手で顔を覆い俯くエレオノーラ。そんなエレオノーラを慰めるように腕を回すサローニ公爵。
「おお。かわいそうなエレオノーラ」
心の中で拍手を送りたくなった。二人はいっそのこと舞台俳優にでもなった方がいいのではないだろうか。同情心を誘う演技は成功したらしく、この場にいるほとんどの人がサローニ親子に慰めの言葉をかけ、マリーへの非難を口にした。聖女候補を辞退して、相応の罰を受けろと。
国王は皆の言葉に耳を傾け考えているフリをしているようだが、すでにこの後の展開は決まっているはず。マリーを聖女候補から下ろして、相応の罰として教会で生涯奉仕させる。もちろん、裏では聖女の力を搾取して。
アンドレアはなにか言いたげな顔をしているが、きっとこの場ではなにも言ってこないだろう。
「それで、私になにを望んでいるの?」
「なんだと?」
「その罪とやらを認めること? それとも形だけの反省? 謝罪? それとも……皆が言っているとおり聖女候補を辞退して罰を受ければいいの?」
「わ、私はあなたが自分の罪を認めてくれたらそれで……」
周りはなんと慈悲深い聖女だと褒め称えている。そんな反応を見てクスリと笑う。隣にいるリヒャルトも笑いをこらえるのに必死らしい。
「悪いけど、認めるつもりはないわ」
「なんですって」
「かわりに皆が望む答えをあげる」
「たとえエレオノーラが許したとしても、私はそうは簡単に許すつもりはないぞ」
エレオノーラを守るように立ちふさがる公爵にほほ笑みかける。公爵の目尻がぴくりと動いた。
「聖女候補を辞退して、この国から出て行ってあげる」
「なに?」
「ま、まて! 勝手になにを言っておるのだ!」
ずっと静観していた国王が焦って立ち上がる。
「この場にいる誰もが納得する答えだと思いますが?」
そう言って周囲を見渡す。皆、憎悪の目を向けてきているが、私の答えに反論する者はいない。
「だ、だがそれでは」
「国王陛下。これが国の総意です」
「しかし」
「他に皆が納得できる案があるとでも」
「……」
サローニ公爵のおかげでスムーズにことが運びそうだ。ありがたい。
「ちょっとまってください」
まさかのここにきてアンドレアが立ち上がってしまった。強張った顔で国王に進言する。
「国王陛下。マリー嬢に罪がなかったことを王家は一度認めています。どんな理由があれマルクスがリヒャルト皇太子殿下に剣を向けたのは事実。それに、いくらマリー嬢から先に攻撃したのだとしても長年騎士をしているマルクスが剣を抜いて応戦するのはやりすぎです。マリー嬢は武器も持っていなかったと聞きますし。それでマリー嬢を国外追放とするのはさすがにやりすぎかと」
「う、うむ」
国王の顔に迷いが生じている。
「俺からもいいか?」
手を挙げたのはリヒャルト。国王がホッとした顔で頷く。
「もちろんだとも」
「王太子の言う通り、マルクスとやらが俺に剣を向けたのは事実。そして、そのことに対する罰についても俺は納得している。それと、俺はこの目で見たが、マルクスもその場にいた他の男たちもマリー嬢を殺す気で剣を向けていたぞ」
リヒャルトの言葉に再びざわめきが起こる。
「ということはマリーに非はないと?」
「ああ。自業自得だ。だが、それとは別にマリーは俺が皇国に連れて帰る」
「は?」
リヒャルトの宣言に国王たちの目は丸くなった。
「知らないのか? それとも忘れたのか。マリーの祖国はここだけではない」
「だ、だが」
「周りを見て見ろ。こんな国にマリーを置いて行けるわけがないだろう。皆もマリーが国を出る事を望んでいる。ちょうどいいじゃないか。それとも困ることでもあるのか? 次期聖女と未来の王太子妃はもうそこの女に決まっているんだろう?」
「そ、それはっ」
「今更マリーにするつもりか?」
「さすがにそれは」
できるはずがない。
「わ、わかった」
「ち、ちちうえ「おまえは黙っていろ」」
「賢明な判断だ。それじゃあ、俺たちは部屋に戻るとしよう。後は自由に楽しんでくれ。ああ、それと明日には帰国する予定だ。一日たったら気が変わったと言われても困るからな」
リヒャルトとともに会場から出て行く。
「おめでとうございます」
「カール!」
いつの間にか先に会場から抜け出していたらしい。
「ありがとう」とほほ笑み返す。
会場の中からも笑い声が聞こえてきた。きっと、彼らにとっての悪役が消えたからだろう。皆笑顔の結末。文句もないでしょう。――――今はまだ。