第四話
周りからの視線で自分が無意識に鼻歌を歌っていたのに気づいた。
恥ずかしくなってフードを目深に被る。ついでに外套の上から心臓らへんに触れ、硬い感触が返ってくるのを確かめた。そこには金貨がたっぷり入った袋がある。気前のいいギルドマスターがくれたものだ。
鼻孔をくすぐる香りにつられて足を進める。
「さてさて、どこにしようかな~」
さすが王都の商店街。飲食店も充実している。
――――迷うなあ。こんなことならギルドマスターにオススメの店を聞いておけばよかった。
後悔しつつも、ちらりと後ろに視線をやった。
――――やっぱりつけられてる。バレないと思っていたんだけどなー。さすがにこのぼろ布じゃあ隠しきれないか。
祭服は長い上に、白い。いくら黒い目立ちにくい外套を上に着ているからといって隙間や足元から白い服がちらちらしていたら聡い人は気づくだろう。
それにしても想像以上に聖職者の需要は高いらしい。結構な人数に後をつけられている。まるでかるがもの親子だ。
――――私はあんたたちの親でもなんでもないっていうのに。
これではゆっくり食事もできない。
「はあ」
仕方なく目的地を変更した。
目的の場所まで後五十メートル程度。マリーは予備動作なしに走り出した。後ろからなにか聞こえた気もするが無視して目の前の服屋へと飛び込んだ。
「いらっしゃいませ」
「すみません! お忍び用の服を至急お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
慣れているのか店主は表情を変えずに奥に引っ込み、すぐさま商店街で若い娘たちが着ていそうな服を持って戻ってきた。
「店内で着替えていかれますか?」
「はい」
「ではこちらに」
着替え用の小部屋に通され、服を渡される。大きな姿鏡があり、着替えた後はその鏡で全身をチェックした。
「うん。いいね。……ただ、帽子は必要かな」
己の黒い髪を一束つまむ。
瞳の色はともかく、この髪色は遠目でもすぐに気づかれてしまう。それに、そろそろ教会を抜け出したのがバレた頃だろう。
「あの~」
「はい」
「ここって帽子も売ってます?」
「ございますよ。今お持ちしますね」
またもや数秒後に、店主はつば広帽子を持って戻ってきた。服との相性も良く、一見するといいところのお嬢様がお忍びの格好をしているとしか思えない。ただの町娘には見えないだろうが、聖職者と思われることもないだろう。
「うん。この一式、買います」
「ありがとうございます。そのまま着ていかれますか?」
「はい」
「それでしたら着ていた服はこちらに」
「ありがとう」
店主から袋を受けとり、中にしまう。そして、例の袋から金貨を取り出した。
「はい、これお代。おつりはいらないわ」
「え?! こ、こんなにいいんですか?」
「もちろん。期待以上の接客をしてもらったお礼にね」
「あ、ありがとうございます」
金貨二枚を受け取り、頬を紅潮させる店主。
「あ、あの、外に出るのでしたらこちらからどうぞ」
「え?」
「お忍びでしたら前から出るよりはこちらからの方が良いかと思いまして」
「そうね。ありがとう」
「いえいえ。またぜひいらしてください」
「ええ。その時はまたよろしくね」
店主に見送られ裏口から外に出る。そのまま路地裏をまっすぐ歩き、途中から表の通りに出てさっと人ごみに紛れた。誰も私に気づいている様子はない。先程の店の近くにはまだ人がうろついているのが見えた。
――――気が利く店主で助かったわ。
あのまま表から外に出ていたらせっかくの変装もすぐにばれたに違いない。
「あらアレは? ふーん。そういうこと……」
くるりと踵を返す。
今はまだ見つかるわけにはいかない。まだ、目的の半分も達成していないのだから。
◇
アンドレアは実の父親である国王へ初めての直談判をしていた。いや、しているつもり……だった。
「それで? おまえはなにが言いたいんだ?」
「ですからマリー嬢に対する不当な扱いをすぐにでもやめさせてくださいとお願いを」
「アンドレア」
「はい……」
「今更そんなことを言うなんてどうしたのだ。おまえもわかっているだろう? それがどういうことなのか。エレオノーラの、サローニ公爵の機嫌を損ねることになるんだぞ」
「で、ですが、このままだとたいへんなことにっ」
「たいへんなこと?」
「は、はい……っ」
国王にじっと見つめられ奮い立たせていた気持ちが一気にしぼんでいく。
いつもこうだ。言いたいことがあっても、『もし自分の考えが間違っていたら』『僕が指摘したら相手は嫌な気持ちになるんじゃないか』『嫌われるんじゃないか』そんなことばかりが頭に浮かんで結局口を閉じてしまう。特に父上相手には。
でも、今回はそれではいけない。このままだと本当に取り返しがつかなくなる。
「マ、マリー嬢は変わったんです!」
「変わった?」
「はい! 今のマリー嬢は今までの大人しいマリー嬢ではありません。このままでは父上やサローニ公爵の計画は失敗に終わります。現にマリー嬢は今まで周りから押し付けられていた分の仕事を放棄していますから」
「なんだと? たかが子爵令嬢がそんな生意気な態度を取っているのか? 一度痛い目をみないとわからないようだな」
「父上! マリー嬢は『真の聖女』です。ぞんざいに扱っていい相手ではありません。これ以上の無理強いは止めてください。このままでは、いざという時に『真の聖女』の力を貸してもらえなくなりますよ」
「なに。魔王は封印されているのだ。『真の聖女』の力が必要になる時などくるはずがない。そんなことよりも、子爵令嬢如きがわれわれを侮ったことの方が問題だ。こうなれば計画を早めた方が」
「父上! 聞いてください。はやまらないでください。お願いですから」
「うるさい! アンドレア、まさかその小娘に情が移ったんじゃないだろうな」
「ちがっ」
否定しつつもアンドレアの頭を過ったのはマリーの寝起き姿と、司祭の服を身にまとった姿。
国王はその小さな表情の変化を見過ごさなかった。
「やはりな! おまえはしばらくの間教会へ行くことを禁ずる」
「そ、そんな。王太子の公務はどうするのですか?!」
「そんなの教会の者をここへ呼べばいいだろう。その小娘と間違いが起きるよりはよっぽどマシだ」
吐き捨てるように言い切った国王。あぜんとする。
――――結局、僕の言葉は父上には届かないのか。なにも変えられず、それどころかマリーと会うことすらできなくなった。
自分の無力さに打ちひしがれる。
突然、激しい足音が聞こえてきた。次いで、扉が勢いよく開かれる。
国王の眉間に皺が寄った。
「いったいなにごとだ!」
入ってきたのは若い騎士。おそらく誰かに伝令役を頼まれたのだろう。あいさつもそこそこに騎士は口を開いた。
「と、取り急ぎご報告いたします。シュ、シュヴァルツァー皇国のリヒャルト皇太子殿下が到着いたしました!」
「なんだと? 到着するのは明日じゃなかったのか?」
「そ、それが前日入りして王都観光をするつもりだったらしく。し、しかも……その際に何者かの襲撃にあったとのことです!」
「なにぃいいい?! こ、皇太子は無事なのか? 今どこにいるのだ? いますぐ案内しろ!」
「は、はい!」
勢いよく立ち上がる国王。
皇太子の入国日を正確に把握していなかったのも問題だが、国内で皇太子が襲われたことの方がもっと問題だ。最悪、国際問題に発展する可能性がある。
国王は焦った様子で部屋を飛び出した。もちろん、アンドレアもその後を追う。
幸いなことに皇太子の部屋はすでに準備が整っていた。そこに皇太子を通したという。
「し、失礼する!」
返事を待たずに部屋の扉を開いた国王。アンドレアは青ざめた。
――――いやいや。さすがに一国の王とはいえ、他国の、しかも格上の皇国の皇太子の部屋に確認も取らずに入るのはダメだろう!
そう思いはしたが、口を挟むタイミングはなかった。
「邪魔をするな。出ていけ」
「ひぃっ!」
皇太子に睨まれでもしたのか、竦み上がる国王。
怯える国王に代わりあいさつをしようとアンドレアは部屋の中を覗き込んだ。そして、そこにいるはずがない人物を見つけた。
「え? マ、マリー嬢?」
「あ、どうも~」
乾いた笑みを浮かべながら片手を上げたマリーはあろうことか皇太子の膝の上に横だきで抱えられていた。
「な、なぜ? も、もしやお二人はそう関係で?」
「まさか! これは流れでこうなっただけでこの人とは初対面ですから!」
慌てて皇太子の膝上から降りようとしたマリーの腹に皇太子の腕が回る。
「こら、まだ確認が終わっていないのだから降りるな」
「大丈夫ですって! 無傷だから確認は必要ないって言ったでしょう」
「わからないだろう。こんな細腕で男たちを相手にしたのだ。もしかしたらどこかに傷があるかも」
「そうだとしても私は自分で治療くらいできますから。ちょ、ちょっとそこは触らないで! それセクハラ」
「皇太子殿下!」
堪らず声を上げた。じろりと睨まれ一瞬怯んでしまったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「い、いくら皇太子殿下といえど、嫌がる淑女に手を出そうとするのはどうかと」
「は? おまえの目は節穴か。マリーのどこが嫌がって」
「嫌がってますけど。ずっと」
「そ、そうなのか?」
マリーの言葉に動揺する皇太子。
追い打ちをかけるように壁際にいた従者らしき青年が一歩前にでた。
「せんえつながら……」
青年がかわいそうなものを見るような目で皇太子を見つめる。
「一部始終を見ていた私から言わせてもらいますと……マリー嬢はずっと嫌がっているように見えましたよ」
「なにぃ!?」
そんな馬鹿なという顔をする皇太子。本気で困惑しているようだ。やれやれと青年が首を横に振る。
「いいですか殿下。マリー嬢は普通の女性ではないのです。見たでしょう?」
「あ、ああ」
「そんな特別な女性が他の女性と同じ感覚を持っていると思いますか?」
「それは……一理あるかもしれんが」
「でしょう。先入観を捨て、よく見てください。普通の女性なら殿下の顔に惑わされているでしょうけれど、マリー嬢はむしろ殿下を警戒しています」
「な、なぜだ? なぜ助けた私を警戒しているのだ?」
今度はマリーが呆れた表情を浮かべた。
「なぜって……助けてもらったのはありがたいけど……この手が……」
マリーの生足に触れている皇太子の手に視線が集まる。青年はマリーが言い淀んだ部分の補足をした。
「先程から無許可でマリー嬢の体をベタベタ触り、じろじろ見つめている殿下は私の目から見ても下心があるようにしか見えません」
「はあ」と溜息を吐く青年。ようやく理解したのか皇太子の顔が徐々に真っ赤に染まっていく。
「す、すまない! そんなつもりじゃなかったのだ」
両手を上げた皇太子の隙をついてマリーが膝の上から降りる。
「あ」
残念そうな声を上げた皇太子を見てアンドレアはなぜかイラっとした。
「それで、いったいなにがあったのですか?」
自分で聞くのも初めてなくらい低い声が出た。
皇太子は答えることなく、向かいのソファーへ座るようにと促してきた。ちゃっかりマリーを己の隣に座らせて。
「マリーが襲われているところに俺がでくわしたのだ」
「と、いうことはリヒャルト皇太子が狙われたわけではないのだな」
途端に国王の表情が明るくなる。が、皇太子の顔を見て再び青褪めた。
「なにを言っている。マリーが襲われたのだぞ?」
「し、しかし子爵令嬢が襲われるのとリヒャルト皇太子が襲われるのでは話が違うというか……なあ、アンドレア」
「は、い、いえ……それは」
「ほう……やはりこの国にとって聖女の価値などその程度なのだな」
「そ、それは……た、ただ私はそれだけリヒャルト皇太子が特別だと言いたかっただけで」
「ならば、俺に剣を向けてきた犯人はきちんと罰してくれるんだろうな?」
「そ、それはもちろんだ」
「それはよかった。確か、もう一人の聖女候補の家の者だったと思うがきちんと罰してくれるのなら俺が動く必要はなさそうだな」
「もう一人の聖女候補? ま、まさかそんな……なにかの間違いじゃあ」
「剣にサローニ公爵家の紋章があったのを肉眼で確認している」
「私も確認しました。他国とはいえ未来の王太子妃になる者の生家の紋章くらいは記憶していますから」
さりげなく青年も付け加える。そこに皮肉が混じっていることに国王は気づいていない。そんな余裕もないのだろう。
「わ、私は確認することができたのでここらへんで失礼する! アンドレア後は頼んだぞ」
「は……」
「行ってしまったな」
この数分間ですっかり国王の威厳は失われてしまった気がするが、今はそれよりも気になることがある。
「マリー嬢、大丈夫でしたか?」
「え? ああ、はい」
「それ以上近づく必要はない。傷なら俺が確かめたからな」
皇太子の言葉にマリーが頬を微かに染め、睨みつける。その顔を見て皇太子はにやりと笑った。なんだか胃がムカムカする。
「それでしたら、なにがあったのかもっと詳しく話してくれませんか?」
「詳しくと言われても……突然マルクスたちから襲われただけですから」
「襲われた時にマルクスの顔をはっきり見たということですか」
「ええ、まあ」
どうせ自分の発言は揉み消されるだろうというようなマリーの顔。父上のあの態度を見れば仕方ないとは思いつつも、初めて会ったはずの皇太子よりも信用されていないのは悔しい。
「それにしても素晴らしかったな」
不自然な沈黙を掻き消すように皇太子が呟いた。
「なんのことでしょうか?」
「マリーの戦闘術のことだ」
「マリー嬢の?」
「ああ。後ろから襲いかかられそうになった瞬間、振り向きざまに相手の腹部に二発。相手が怯んだ瞬間、ちゅうちょなく金的していた。剣をものともせずに男たちをのしていくのは見ていて痛快だったぞ」
「別に、戦闘術というほどのものじゃありませんよ」
「いやいや。そんなことはない」
金的という単語に驚き、同時にその場にいたほぼ全員がやや内股になった。平気そうな顔をしているのはマリーと皇太子くらいだ。
「や、野蛮な」
部屋に残っていた国王の護衛騎士が漏らした言葉に皇太子の片眉がぴくりと上がる。
「なんだと? もう一度言ってみろ」
「ひ、人を傷つけるなど聖女のすることではないという意味で言っただけです」
「ふむ……。確かにわが国でさえ歴代の聖女たちにそのような者がいたという記録はなかったな」
「そ、そうでしょう」
「だが、そういう聖女がいてもいいではないか。闘う聖女。世界一の武力を誇るわが国の聖女にならぴったりだ」
「シュ、シュヴァルツァー皇国ならそうかもしれませんが、ガルディーニでは」
「ガルディーニでは受け入れられないのか。そうか。……やはり私が迎えにきて正解だったな」
「「え?」」
皇太子の最後の言葉が聞こえていたのはアンドレアとマリーだけだったらしい。
「そ、それはいったいどういう」
「マリーに俺の部屋の隣を用意してやってくれ」
「へ?」
「聞こえなかったのか? ここの隣をマリーの部屋にしろと言っているんだ。俺が滞在する間な」
「その必要はありませんよ。私は教会に」
「戻る必要はないだろう。俺の側にいた方が安全だ」
「あ、ある意味安全じゃないと思いますけど」
「あ。そのことについてなら、私が側にいて殿下を見張っているので安心してください」
青年が手を挙げる。
「それなら隣じゃなくて別の部屋を用意」
「隣だ」
「いや、さすがに」
「あの国王とそこの騎士を見た後でも安心できるのか?」
「それは……わかりました」
渋々受け入れるマリー。
「アンドレア王太子殿下、よろしくお願いします」
「あ、ああ」
「部屋の準備ができないなら俺と一緒でも」
「すぐに用意しよう」
護衛騎士からなにか言いたげな視線を感じたが、無視をした。
父上に許可を得ずに話を進めたのはこれが初めてだ。後で怒られるかもしれないが、後悔はしない。――――正直、僕はもう父上の判断を信用できそうにないから。