第三話
豪奢なエレオノーラの部屋にはエレオノーラが自ら厳選したモノだけが置かれている。宝石、ドレス、絵画、それらは日々のストレスからエレオノーラを守ってくれていた。けれど、今日はいくら美しい宝石を眺めようと、世界に一点しかないドレスに身を包もうと、流行の画家が描いた新作絵画を観ようとも気が晴れることはなかった。
「最悪っ最悪っ最悪っ最悪っ!」
クッションに拳を何度もたたきつけ、くたくたになったクッションを用済みとばかりに床に投げ捨てる。それでも満足できずに次のクッションに手を伸ばした。
どれくらい時間がたったのか。気づけば床がクッションだらけだ。
まあ、エレオノーラが気にすることではない。テキトウな理由をつけて誰かに命令すればいいだけの話。いうことをきく駒はたくさんいるのだから。
「ああ、腹立たしい」
多少冷静さを取り戻したエレオノーラだが、マリーへの苛立ちのすべてが解消したわけではない。
マリーがあそこまで自分の状況を把握しているとは思わなかった。
それならそれでなぜ今まで黙っていたのか。今になってあんな態度を取るのはなぜか。いったいいつマリーの洗脳が解けたのか。気になる点は多々ある。
エレオノーラは乱暴に己の髪をかき上げた。くすんだ金髪の下から出てきたのは茶色の瞳。その瞳には憎悪が滲んでいる。
――――本当なら近いうちに華々しい聖女お披露目式を開き、私は国中からの喝采を浴びる予定だった。
それも全てマリーのせいで中止だ。
「まさか……気づいているわけではないわよね?」
そんな疑問が頭を過ぎり、不安になってきた。
――――もしかして、急にマリーの態度が変わったのは自分が『真の聖女』だと気付いたから?
ないとは言い切れない。となると、まずい。早々に手を打たないとマリーに今の立場を奪われるかもしれない。それだけは絶対にダメだ。
「早くお父様になんとかしてもらわないと……。お父様からの返事はまだなのかしら」
アンドレアが帰った後、エレオノーラは怒りの感情に任せて父であるサローニ公爵に手紙を出した。けれど、それはもう少し後にした方がよかったかもしれない。
今、エレオノーラは対外的には体調不良で寝込んでいるということになっている。つまり身動きが取れない状況なのだ。
「はあ。いっそのこと『真の聖女』を消してしまえればいいのに」
残念だが、それだけは父も国王も許してはくれないだろう。
エレオノーラはマリーが『真の聖女』だとずいぶん前から知っていた。次期聖女に、未来の王太子妃になると決まった際に、国王と大司教から告げられたからだ。
けれど、納得はしていなかった。昔も今も。
――――どうして公爵令嬢の私ではなく、子爵令嬢如きが……なにかの間違いに決まっているわ。
そうずっと思ってきた。
だから、父に願ったのだ。マリーを冷遇するよう大司教に頼んでほしいと。間違っても彼女が聖女扱いされないように。勘違いしないようにと。最初、大司教は渋っていた。ただ、精神的にも肉体的にも追い詰める事で聖女の力に覚醒するのではないかと付け加えれば納得してくれた。これも試練だと言って。もちろん、大金を握らせた上で。
けれど、それが良かったのか悪かったのか。マリーの力は本当に年を重ねるごとに強くなっていった。未だ聖女として覚醒したわけではないらしいが、それでも大司教以上の力は持っているという。そのことに気づいてからは大司教も己の仕事をマリーに押し付けるようになった。
いつしか重要な仕事のほとんどをマリーが一人で担うようになっていたのだ。そして今、マリーがその全てを放棄したことで皆がツケを払わされている。
一方、聖女の力どころか助祭程度の力も持っていないエレオノーラはなにもすることがない。こうして体調不良を理由に部屋へ閉じこもることしかできない。いつもなら、『真の聖女』として貴族の屋敷を回り、治療の対価にお礼をもらったり、褒め称えられたりしていたはずなのに。
「これも全部マリーのせいね」
部屋に一人でいると余計なことばかり考えてしまい、イライラがいつまでたっても収まらない。波のように引いては返し、を繰り返してくる。このイライラを解消するためのいい方法はないかと考えているとノック音が聞こえてきた。
「お嬢様急ぎの報告があるのですが、入ってもよろしいでしょうか」
「いいわ」
誰も入れるつもりはなかったが、彼なら別だ。公爵家にいた頃からの仲である護衛騎士マルクス・マインホフなら。
部屋の中に入ってきたマルクスは散らかった室内に目もくれずエレオノーラへと近づいた。
「なにかあったの?」
「マリー・フィッツェが消えました」
「なんですって?!」
「少なくとも教会の中にはいないようです。マリー・フィッツェに誰もつけていなかったのが災いして気づくのが遅くなりました。大司教から大ごとになるまえに連れ戻してくれと頼まれたのですが、いかがいたしましょうか」
「そうね……」
顎に指を添え考える。このタイミングで一人で外出したとなれば逃げた可能性が高い。大司教の失態なのだから「自分でどうにかしろ」と言いたいところだが、教会内でマリーが『真の聖女』だと知っている者は限られている。大司教が聖職者たちに探すように言ったところでむしろ探さないでいいのではという意見が絶対に出てくるはずだ。マリーがそういう扱いをされるように情報を操ったのは自分たちだから。
ここで必死にマリーを探そうとすれば不審がられるだろう。今は疑われるような行動は避けなければならない。疑われて困るのはエレオノーラも同じだ。
エレオノーラは溜息を吐いた。
「わかったわ。あなたの権限で動かせる騎士たちを総動員してマリーを探し出しなさい。ただし……」
マルクスの耳元に顔を近づけ万が一にも誰にも聞かれないように命令を下す。
「……かしこまりました。それでは、行ってきます」
「ええ、よろしくね。……頼んだわよ」
マルクスが出て行った後、エレオノーラはベッドに腰かけベルを鳴らした。
「お呼びでしょうか?」
すぐに助祭が駆けつける。部屋の中を見て一瞬驚いた表情を浮かべたが、そんな表情を見ても不快には思わなかった。
額に手を当て、助祭に弱弱しく話しかける。
「ごめんなさい。痛みに我慢できなくて……片付けてくれるかしら?」
「も、もちろんです。それよりも、体調は大丈夫ですか?」
「ええ。今は頭痛も少しおさまっているの。なにか食べるものはあるかしら?」
「すぐに持ってきます!」
「ありがとう」
エレオノーラにほほ笑まれた助祭は頬を真っ赤に染めた後、われに返り急いでクッションをかき集め部屋を出て行った。
再び一人きりになったエレオノーラはにんまり笑う。
「ふふっ……あらいけない」
今、自分は体調不良なのだ。ご機嫌に笑い声をあげているところなんて見られるわけにはいかない。エレオノーラは助祭が戻ってくるまで目を閉じ、横になることにした。
◇
教会を抜け出したマリーは王都にある商店街にきていた。ちょっとした外出のつもりで。そう、あくまで外出だ。教会に戻るつもりはあった。少なくとも今は。ただ、いつまでも部屋に閉じこもっているのが性に合わなかっただけ。前世の記憶を取り戻す前だったらいくらでも平気だったろうが、今のマリーには無理だ。
それに、教会の食事が非常に口に合わない。もっと美味しいものが食べたいという気持ちが一番だった。
「そのためにはまずお金よね」
確認してわかったが、やはりというべきか……マリーには給料という給料が支払われていなかった。市井で働いている大人の給料分にも満たない金額。それでも今までは問題がなかった。忙しいマリーが外に出る機会がなかったのと、最低限の衣食住はそろっていたから。
――――マリーって本当に世間知らずだったのね。
幼い頃に教会に預けられたのだから仕方ないといえば仕方ないことだが、それにしても人を疑うことを知らなすぎだ。明らかに嫌がらせを受けていたのに。
けれど、洗脳されていたマリーにとってはそれが『普通』だったのだろう。
「本当ひきょうなやつらよね」
まあ、その分これからは地獄を見てもらう予定だが。
「こんにちはー!」
最初の目的地である、武骨な建物の扉を勢いよく開いた。瞬間、鋭い視線が四方から飛んでくる。その全てを無視して受付に向かって歩いた。受付の女性が驚いた顔をしている。
「ギルドマスターはいますか?」
「え、あ、はい。あの……教会の方、ですよね?」
受付の女性の視線がマリーの顔から服装へと移動する。フード付きの外套を着ているが、その下は例の司祭から奪った祭服だ。特徴的な服だからすぐにバレたのだろう。
「はい」
「ちょ、ちょっとお待ちくださいね」
「はい」
慌てて受付の女性が奥へと引っ込んでいく。背中に視線を感じた。まあ、仕方ないとは思う。ギルドは王家も教会も不可侵の場所だ。ただ、ギルドと王家ほど接点が全くない訳ではない。
ギルドに所属している人が教会を訪れることはままある。その逆はめったにないが。
だからこそ、今マリーは注目されているのだろう。
「こちらへどうぞ」
「どうも」
カウンターの中に入るよう促され、さらにその奥へと通される。
奥の部屋には三人座れそうなソファーを一人で陣取っているいかにもギルドマスターっぽい人がいた。筋骨隆々。赤い髪と赤い瞳。見ているだけで室内の温度が数度上がった気がする。
マリーは臆することなく尋ねた。
「座ってもいいですか?」
「ん? ああ」
許可をもらったので遠慮なくギルドマスターの向かいの椅子へと腰を下ろした。
このやり取りだけでギルドマスターの興味は十分に引いたらしい。
「それで、話とはなんだ?」
前置きなしに本題に入る姿勢、嫌いじゃない。マリーは手に持っていた袋の中から小瓶を取り出した。
「コレをそちらで買ってくれないかと思いまして」
ギルドマスターは小瓶の一つを持ち上げてじっと見つめる。
「……上級回復薬か」
「いいえ。その上のエリクサーです。ちなみに三十本までなら今すぐ渡せます」
「は? ……帰ってくれ」
「え?」
「見慣れない司祭がきたと思ったらやっぱり詐欺だったか。ギルドマスターの俺を騙そうとしたその勇気は認めてやる。が、次はないぞ」
ぎろりと睨みつけられる。けれど、こうなることは予想していた。「はあ」とわざとらしく溜息を吐く。
「いらないというのなら仕方ありませんね」
小瓶をさっさと袋の中にしまい立ち上がる。素直に立ち上がった私を見上げ、ギルドマスターは意外そうな顔をした。
そして、フードの下、もっと言えばマリーの瞳を見て驚いた。
「ま、まて」
「なんですか? 買ってくれないならもうここに用事はありませんけど」
「お、おまえの名前は? この国の者なのか? もし、違うのだとしたらもう一度その薬を」
「マリー・フィッツェです。一応まだこの国の者ではありますけど」
「マリー・フィッツェ。……うわさの『偽の聖女』か!」
「? あなたもその認識なんですか?」
「……なんだと?」
訝しげな顔をするギルドマスターを鼻で笑う。
「知っているくせに。ギルドマスターなら他国に行くこともあるでしょう」
そう言ってフードを後ろに下げた。黒い長い髪が晒される。ギルドマスターは息を吞んだ。
「あの話は本当だったのか」
「あの話というのは?」
「……次代の聖女候補が二人いるということで、ようやくガルディーニ王国にも『真の聖女』が誕生したんじゃないかといううわさがあったんだ。ただ、『真の聖女』と言われているエレオノーラ・サローニは明らかに偽物だったし、もう一人のマリー・フィッツェが表に出て来ることは一度もなかったからあくまでうわさでしかなかったんだが……」
「まあ、半分当たっていて、半分外れているかな」
「え?」
「で、それでどうするの?」
「なにをだ?」
「このエリクサーを買うの? 買わないの?」
「あ、ああ。それが本物ならもちろん買うが」
「ふーん。まあ、用心深いのはいいことだね。鑑定士でも呼ぶ?」
「いや。ちょっとまっていてくれ」
おもむろに小刀を取り出すと、ちゅうちょなく己の腕に深々と突き刺した。神経に達していそうな深さだ。
「ちょ、ちょっと! なにしているのよ?!」
「なにってエリクサーかどうか確かめるためにはこれが一番だろう」
「だ、だからってコレが偽物だったらどうするの」
「本物を持っているから大丈夫だ」
「……そうだとしても痛みはあるでしょうに」
呆れながらも袋の中から一本を取り出し、傷に容赦なくぶっかける。みるみるうちに傷がふさがっていく。残りが半分くらいになったところでギルドマスターに差し出した。
「はい。残りは飲んで。その方が後遺症もなくて済むと思うから」
「ああ」
一気に飲み干すギルドマスター。味は激マズなはずなのだがさすがだ。
「おお! 本物のようだな」
腕をじっくり見つめた後、ぐるぐるまわしギルドマスターは満足そうに笑った。
それを見ていたマリーは苦笑するしかなかった。