第十八話
ガルディーニ王国へ到着した私たちを出迎えたのは国王だった。側にいるのはメイドと護衛騎士一人のみ。アンドレアとともにリヒャルトと私がガルディーニ王国に向かう知らせを送った結果がコレだ。
――――わざとなのか。それとも、今はそれほど切羽詰まっているのか。
「よくきてくれた。シュヴァルツァー皇国の皇太子」
友好的な笑みをリヒャルトにのみ向ける国王。しかし、リヒャルトはそれを軽く受け流した。
「今すぐ休みたいんだが。部屋はあるか?」
会話を断ち切られた国王の顔に一瞬だけ苛立ちが現れる。が、それもすぐに消えた。
「もちろんだ。部屋は用意してある。すぐに案内させよう」
国王に指示されたメイドがリヒャルトを部屋へと案内しようとする。マリーも一緒についていこうとして、国王に呼び止められた。
「マリーは残れ。話がある」
マリーが自分に従って当然だという言動にリヒャルトの表情が険しくなる。
「マリーに話があるのなら俺も残ろう」
「いや、リヒャルト皇太子には関係のないことゆえ」
「関係はある」
「え」
「マリーは俺の大事な婚約者だからな」
「……は?」
理解が一瞬では及ばなかったのだろう一国の王にあるまじき顔で呆ける国王。思わず笑いそうになった。
しかし、リヒャルトにはちっとも面白いとは思えなかったようで真顔で国王を見据えている。
「耳が遠いのか? ならば仕方ないな。もう一度言ってやろう」
リヒャルトは絶対に聞こえるだろう範囲まで近寄り、言い逃れは許さないとばかりに目をかっぴらいて大きな声でマリーとの関係を告げた。
国王の表情が徐々に変わっていく。最後には声にはならない悲鳴を上げた。救いを求めるようにアンドレアを見るが、アンドレアは否定せずに頷き返すのみ。
国王は奥歯を噛みしめた後、形だけの笑みを浮かべた。
「そ、そうか。それはめでたいことだ。本来なら二人の婚約を祝うパーティーでも催すところだが、今わが国にはそんな余裕もない。マリーへの話というのは魔物討伐についてだ。知っての通りわが国には聖女がいない。エレオノーラは偽物だったのだ。そこで『真の聖女』であるマリー……嬢の力を借りたいのだ。マリー嬢にとってはこの国も母国だろう。この国の民たちを助けると思って力を貸してくれないだろうか?」
「ああ。その件ならすでにアンドレア王太子と話がついている。そうでなければ俺たちがこんなところにくるはずがないだろう」
「そ、そうであったか。それはよかった。さすがわが息子だ!」
皆が真顔の中、一人だけ空笑いを続ける国王。しばらくして違和感を覚えたのか口を閉じた。
タイミングを計ったかのように今度はリヒャルトが話し始めた。
「ひとまず俺たちは部屋で休ませてもらう。詳しい話はその後に聞かせてもらおう。いいな?」
「も、もちろんだ」
頬をピクピクとひくつかせながら頷いた国王に背を向け、私たちはその場を後にした。
残された国王はアンドレアと向き合う。その目には怒りがこもっていた。今までのアンドレアなら怯んでいただろう。けれど、リヒャルトで慣れたのか今はなんとも思わない。
「アンドレア、あの二人が婚約を結んだというのはまことか?」
「はい。公への発表はまだですが、婚約を結んでいるのは事実です。城内ではすでにマリーが皇太子妃として扱われていました」
「……なぜ邪魔をしなかった」
「はい?」
国王に睨まれ、瞬きを繰り返すアンドレア。そんなアンドレアの反応に国王の苛立ちは加速する。
「いくらでも二人の邪魔をする方法はあっただろう!」
「いえ、それはさすがに」
「言い訳はいい! おまえは相変わらずまったく使い物にならんな! 次期王の自覚がないのか。おまえに王位を譲るのはまだまだ先になりそうだ」
「……申し訳ありません」
「はあ。とにかく、マリーに迂闊に手が出せなくなった以上魔物の処理だけでもして帰ってもらわんと困る。いや、まてよ……。マリーがシュヴァルツァー皇国の妃となるのか……」
なにかよからぬ企みが浮かんだのか嫌な笑みを浮かべる国王。自分の父親ながら不快感を覚えた。
「作戦変更だ。おまえはあの二人を精一杯もてなせ」
「はい」
「このまま下がっていいが、夜の食事会までに二人にささやかなプレゼントを用意しておくように」
「プレゼント? 今はパーティーどころではないのでは」
「パーティーではない。情報共有をかねた少しだけ豪華な食事会だ」
アンドレアの眉間に皺がよるが国王は気づかない。シュヴァルツァー皇国の皇族を見た後ではいかに自分の父親が王に向いていないのかがわかる。アンドレアは息を静かに吐き出し頷き返した。
「わかりました。用意しておきます」
「頼んだぞ。それと、空いている時間にでもシュヴァルツァー皇国でなにを見たのか報告しにこい。後ろで控えている騎士も一緒に連れてな。なにか役に立つ情報があるかもしれん」
「はい」
国王に形ばかりのあいさつをして下がる。騎士もアンドレアの後に続いた。
自室に戻る途中、アンドレアは足を止めつぶやいた。
「父上は僕のことなど全く気にしていなかったのだな」
そのつぶやきをただ一人耳にした騎士はなにも答えなかった。いや、答えられなかった。ただ、今まで完璧だと思っていた王太子の背中はとても小さく見えた。
◇
「ねえ、聞いた?」
「あのうわさのことか?」
「そう。エレオノーラ様が偽の聖女だったっていう話」
「そんなわけないだろう。あのエレオノーラ様だぞ。誰かの陰謀に決まっている」
「そう、よね。あのエレオノーラ様だし……それにもしエレオノーラ様が偽物なら歴代の聖女様たちも偽物ってことに」
「おい。こんなところで不用意な発言をするな。誰が聞いているかわからないんだぞ」
「そうね。でも、不安なんだもの。私たちこの先大丈夫なのかしら」
「それは……わからんが」
最近、ガルディーニ王国では毎日のように同じ話題が繰り返されていた。日ごとに増していく不安。
「魔物だ! 魔物が現れたぞー!」
誰かが叫べば、皆慣れたように家を飛び出し、まっすぐに避難場所へと走る。いったいこれで何度目だろうか。魔物が現れるたびに何人かが命を落とす。今度こそ自分の番かもしれない。そんな不安が全員拭えない。
「あっ」
避難場所へと向かう親子。手を繋いでいた子どもがこけた。母親は焦る。子供を抱き上げて逃げたくてもすでにその腕には赤子がいる。だからといって子どもを見捨てて逃げることもできない。誰かに助けを求めようと周囲を見回したが皆逃るのに必死で気づかない。いや、気づいたとしてもすぐに視線を逸らされた。涙が出そうだった。
「立って」
「いたい、ママ、いたいよ」
「いいから立って! 今は走るの」
「ひっ」
つい強い言葉が出た。今はその言動が逆効果になると頭ではわかっていたのに。案の定、息子は泣き出した。
「ごめ、ごめんね。でも、今はここから逃げないといけないの。だから、お願いだから立ってちょうだい」
必死に言葉をかけるがもう子供には母親の言葉を聞く余裕がなかった。泣き声で場所がバレたのか。息子の足から出ている血の匂いにつられたのか。建物の間から狼型の魔物が姿を現した。母親はとっさに息子を、赤子を魔物から隠すように立ち、背中を向けた。無意識の行動だった。せめて子供たちだけでも。その一心だった。けれど、いつまでたっても魔物が襲ってくる気配はない。代わりに凛とした声が聞こえた。
「もう大丈夫よ。安心して、落ち着いてからでいいからゆっくり安全なところに移動して」
ゆっくりと振り向く。そこには女神……いや、女神をほうふつとさせる『聖女』がいた。
見た目は歴代の聖女たちとは全く違う。けれど、本能が告げている。彼女こそ本物だと。
黒い艶やかな髪をなびかせ、不思議な力で次々と魔物を弱らせていく女性。女性は神々しいオーラをまとっていた。
気づけば母親も、泣いていた子どもも彼女を見つめていた。母親は拝み、子どもはキラキラした瞳を向け応援する。まさかその相手が一時期うわさになっていた『ガルディーニ王国を追い出された偽の聖女』だとは知らずに。どこからか聞こえてきた彼女の名前で彼女の素性を知る。
「マリー様。聖女様ご無事ですか?!」
「私は無事よ!」
マリーは追いかけてきた騎士に向かって手を挙げて答える。合流するとすぐに別の被害が出ている場所を目指して走り出した。
残された親子や周りにいた人々は皆、ぼうぜんと座り込んだまま。少ししてから自分たちのけがが治っていることに気づいた。かすり傷や古傷まで全て。
「やはりあの方が本物だったんだ」
誰かが呟いた声に、同意の声が続く。
少し前までエレオノーラが本物だと信じていた者たちも認めるしかなかった。自分たちは間違っていたのだと。本物はエレオノーラではなくもう一人の候補生だったのだと。
◇
アンドレア主導で現国王夫妻が捕らえられたのはそれから数日後。
「アンドレア! なにを考えているのだ。この裏切りもの」
「アンドレア。あなたはそんな子ではないでしょう。わかった。その女ね。その女から騙されたのでしょう?!」
「こいつらうるさいな。黙らせろ」
リヒャルトの命令で二人の口に猿ぐつわがつけられる。うなっているがなにを言っているかは全くわからない。捕まってなお抵抗しようとする両親を見てアンドレアはぐっと眉間に皺を寄せた。ここ数日で眉間の皺が深くなった気がする。
さっさと終わらせたい。けれど、それではリヒャルトもマリーも納得しないだろう。彼らは自分の頼みを聞いてくれたのだ。その気持ちに応えなければならない。
アンドレアは目の前の罪人たち――――両親と司教、サローニ公爵の顔を順に見た。
皆、目でアンドレアに助けを求めている。けれど、アンドレアはそれを無視して告げた。
「この者たちは多くの大罪を犯した。中でも『ニュクス様の加護を偽った罪』と『真の聖女を冷遇し、利用しようとした罪』は大きい。そこで、ニュクス様の代理人でもある『真の聖女』シュヴァルツァー皇国のマリー様に神罰を下してもらうことにした」
マリーがアンドレアの隣に立つ。うわさの聖女を初めて目にした民たちは困惑の声を上げた。自分たちが想像していた聖女像とは全く違ったからだろう。けれど、シュヴァルツァー皇国の皇太子もシュヴァルツァー皇国からきた騎士たちも当然の顔で立っているのを見て異論は唱えなかった。
マリーは手を組み、目を閉じる。
――――ニュクス様出番ですよ。
合図を送れば、待っていましたとばかりに体の自由が奪われた。ゆっくりとまぶたを開く。最初に視界に捉えたのは猿ぐつわをされ、呻き声をあげている醜い罪人たち。
罪人たちはマリーを睨みつけたものの、その瞳に浮かぶ星を見て静かになった。
『そなたたちは幾度も私を裏切り、軽んじた』
マリーの声に重なり、人ならざるものの声が響き渡る。喧騒がピタリと止んだ。
きっとリヒャルトも驚いているだろう。
これはニュクス様と私の二人だけで決めたことだから。
罪人たちは必死に首を横に振っている。けれど、そんなことで神罰が、この断罪が止まるわけがない。
『よって、そなたたちには特別に私自ら罰をくだす』
ニュクス様が手を振れば、光が罪人たちを包み込んだ。――――そして、まばたきの間に消えた。
再び民がざわつく。それを無視してニュクス様は続けた。
『罪人は私の加護がない国……ともいえぬ孤島へと永久追放した。今後、罪人が私の加護がある国に立ち入ることは二度とない。孤島から脱出しようとも辿り着く先は私の加護がある国ばかり。上陸もできない。……それが罪人への罰だ』
おもむろにニュクス様がアンドレアの名を呼んだ。
「はい」
緊張した面持ちでアンドレアが応える。
『次の国王はそなただ。しかし、それは罰を免れたということではない。そのことをゆめゆめ忘れぬようにな。おまえを生かしたのは誰のおかげかも』
「もちろんです。決して忘れはしません。僕は残りの生をこの国のために、シュヴァルツァー皇国のために使います」
『ふん。それではそろそろ戻るとしよう。これ以上はマリーの体に負担をかけるからな。ああ、そうだ。リヒャルト』
「はい?」
『声が届かぬとも、姿を見せられぬとも私は見守っているからな。マリー以外認めぬ故、絶対に逃すんじゃないぞ』
「言われなくとも」
リヒャルトの答えに満足げな表情を浮かべ、ニュクス様はマリーの体から出ていった。意識を失ったマリーをリヒャルトが支える。そして、民の視線が自分に集中していることに気づく。その顔にあるのは緊張と不安と困惑。
アンドレアが国王となるのは理解したが、そのアンドレアはシュヴァルツァー皇国のためにと言った。いったいどういう意味なのかと。聞きたいが聞けない。
その疑問に答えるためにリヒャルトは民と向き合った。
アンドレアがマリーを支える役目を代わろうとしたが、リヒャルトはその手を無視してマリーを支えたまま、もう片方の手を挙げる。
「皆の者今日からこの国は、おまえたちはわが国のモノとなった。ゆえに、しばらくすれば加護もいきわたるようになるだろう」
おー!という歓声が上がる。言葉を続ける。
「しかし、国王はアンドレアだ。俺とマリーが決め、ニュクス様が認めた。異論は認めない。……が! それでも文句があるやつは国から出て行くがいい。止めはしない」
アンドレアの任命に不服そうな顔をした人たちもリヒャルトの言葉に顔色を変える。反対されても当然だと心づもりをしていたアンドレアは驚いたような表情を浮かべた。そして、深々と頭を下げる。リヒャルトとしてはどうでもいいことだが、きっとマリーが起きていたら同じようなことを言っただろう。
――――起きたら褒めてもらおう。
というリヒャルトの魂胆は誰にもバレずに済んだ。




